2023年02月21日

「走り湯」と「伊豆山神社」

少し前の話になりますが、
熱海に行ってきました。
チョッと行きたい所が
あったものですから。


その場所とは「走り湯」
という所です。


それは、伊豆山神社のふもとにあり、
日本三大古泉のひとつといわれている所です。
伊豆山温泉の源泉で、日本では珍しい
「横穴式源泉」と呼ばれるものだそうですよ。



走り湯の入口
走り湯の入口 posted by (C)ルンちゃん



約1300年前に発見されたとかで、
湧き出した湯が海岸に走り落ちていた
様子から「走り湯」と呼ばれるように
なったそうです。


「走り湯の神とはむべぞ言ひけらし
     早き験のあればなりけり」

「伊豆の国山の南に出づる湯の
     早きは神のしるしなりけり」

「わだつみの中にむかひていづる湯の
     伊豆のお山とむべもいいけり」



の三首の歌を、かの源実朝公が
詠んだ場所でもありますよ。


現在は海岸に湯がほとばしる
というようなことはなくて、
そこは洞窟のようになっています。


中の方は湯けむりで
ほとんど見えませんでした。


覗いてみると
覗いてみると posted by (C)ルンちゃん


それで、入口でしゃがんで洞窟を覗くと、
なんとか奥まで見えました。
中の様子を見て、これなら
奥まで行かれるかな、と
意を決して中に入ってみます。


走り湯の中
走り湯の中 posted by (C)ルンちゃん


熱気がムッとくるけど、なんとか
奥まで入れました。といっても
中はこんな感じです。
ほとんど何も見えませんね。


立ったまま奥に行くと
立ったまま奥に行くと posted by (C)ルンちゃん


だから早々に出てきます。
出口付近のお湯に、注意深く触れると
結構な熱さのお湯でしたよ。
(後で調べたら奥は90度ですって!)


資料館みたいな部屋もありましたが、
お休みのようで開きませんでした。
残念。次回また来よう。


洞窟の上の方には、
前には足湯もあったようですが、
現在はありません。


それから、他に鳥居があって、
以前は神様が祭られていましたが、
祭壇を建て替えるとかで、
現在は伊豆山神社の方にお移り
いただいているそうです。


さて「走り湯」を見学した後は、
その脇にある階段を上っていきます。
この階段は伊豆山神社まで続いているのです。


階段をのぼる
階段をのぼる posted by (C)ルンちゃん



でも、その階段数は半端じゃありません。
全部で837段あるそうですよ。
以前来たときはバスで来たので、
その半分位しか上っていませんでしたね。


伊豆山神社の看板が
伊豆山神社の看板が posted by (C)ルンちゃん


今回は下からずーっと神社まで上ります。
途中には温泉もあったりします。


ゆっくり階段を上がって、神社に到着。
こちらの「伊豆山神社」は、
源頼朝様と政子様ゆかりの地といわれる
場所ですよ。


昨年の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」でも
登場していましたよね。ほら、政子達
女性陣が逃げてきていた神社がありましたよね。
それがこちらの「伊豆山神社」です。


こちらには現在も、頼朝様と政子様が
座ったといわれる石があり、
実際に座ることもできます。


頼朝・政子腰掛け石
頼朝・政子腰掛け石 posted by (C)ルンちゃん


腰掛け石
腰掛け石 posted by (C)ルンちゃん


でもね。私は知っている〜。
この石、以前は駐車場の方にあったのですよ。
それが大河ドラマの影響か、現在は
人目につく場所に移されていました。


二人の絵もあります
二人の絵もあります posted by (C)ルンちゃん


また敷地内にある
伊豆山郷土資料館の方には、
政子の髪で作ったとされる
「頭髪曼陀羅」のレプリカが
展示されていました。


郷土資料館
郷土資料館 posted by (C)ルンちゃん


他にも「源頼朝下文字」という
頼朝が伊豆山の船に自由な通行を
認めさせたという内容のもの
も展示されていましたよ。


これらの展示も
大河ドラマの影響なのでしょうか。
でも、そのおかげでこれらの品々が
見学できたのは、良かったのかな。


ちなみに「伊豆山神社」は、
源頼朝公の他に、徳川家康公も
立ち寄ったことのある場所なんだそう。


それ故、強運をいただくことができる
場所なんだそうですよ。


私も御朱印もいただいたので、
多少は強運をいただけたかな。


今年もいろいろ、史跡めぐりが
できるといいなと思う
今日この頃です。


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2023年02月09日

冬季企画展に行ってきました

日野市の「新選組のふるさと歴史館」で
行われている「冬季企画展」を
見に行ってきました。


新徴組と新選組の兄弟
ー浪士組で上洛した沖田林太郎と総司ー

令和4年12月20日(火)〜
      令和5年2月19日(日)


昨年から行われていたのですが、
なかなか行かれず、終わり間際になって
やっと見に行くことができましたよ。
間に合ってよかったです。


タイトルにある通り、
浪士組として京へ上った兄弟が、
一方はすぐに江戸へ戻り、
もう一方はそのまま京に留まります。


その二人の、その後を追った
展示となっています。その兄弟、
といっても義理の兄弟ですが、
だれあろう沖田林太郎と
沖田総司の二人のことですよ。


展示はいつもと同じように、
二階のこじんまりした空間です。
そちらに林太郎関連の品と
沖田総司関連の品が展示されていました。
(一部複製)


「英名録」や「浪士名簿」
井上源三郎や近藤勇の書状(写)は
今までにも拝見したことはあります。
その他にも、見たことあるものが
多数展示されていました。


その中でも、沖田総司の姉、
ミツさんの肖像画には、
チョッと感動しましたよ。


もちろん、それも今までにも何度も
お目にかかったことはありました。
でもたぶんそれは、本に載っていた
物だったでのでしょう。


でも今回、実際の肖像画を見たとき、
思っていたよりも大きくて、
とても強い印象をうけたのです。


その肖像画をじっくり見ていると、
総司さんのことも考えてしまいますね。


その肖像画を見れただけでも
今回の企画展に来てよかったな
と思いました。


あとは、企画展でも書かれていましたが、
総司と林太郎の「兄弟」の交流がわかる
史料が発見されていないとのことです。


あまり考えたことはなかったけど、
いわれてみればありませんね。
総司とミツさんの手紙も見たことないし。


でもそれは、ミツさん夫婦は戦争時、
庄内藩士たちと共に庄内へ移動していたし、
当時は定住地のない生活だから、そんな
手紙まで保存していないだろうな
ということは察しはつきます。


希望は薄いかもしれないけれど、
もしどこかに残っていたなら、
見てみたいですけどね。


「新選組のふるさと歴史館」さん、
これからも、企画展開いてくださいね。
次回の企画展も絶対に行きますので、
どうぞよろしくお願いいたします。

2023-2.JPG














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