2023年04月20日

中里介山を訪ねる

先日、羽村市に行ってきました。
それは中里介山先生の
お墓を訪ねる為です。


中里介山は、以前にも
こちらのブログでご紹介した通り、
「大菩薩峠」という超長編小説を
書いた方で、「大菩薩峠」には
新選組も登場しているのでした。


そして「土方歳三資料館」には、
介山先生が描いた近藤勇像が
あります。


だいぶ前になりますが、
羽村市郷土博物館の
介山先生ゆかりの品や建物を
見学しました。


でも、その時はお墓詣りまでは
しなかったんですよね。


なので今回は、
中里介山ゆかりの地を再び訪ねる
ということで、出かけてみたのです。


中里介山先生のお墓は、
羽村市郷土博物館の近くにある
「禅林寺」というお寺にあります。


禅林寺
禅林寺 posted by (C)ルンちゃん


「東谷山禅林寺」は
臨済宗建長寺派の寺で、
1593(文禄2)年に創建されました。


でも1811(文化8)年と、
1922(大正11)年に火災があり、
本堂は焼失してしまったとか。
山門は、1862(文久2)年
当時のものだそうです。


再び建てられた本堂の裏手に、
中里介山のお墓があります。


山門をくぐって、本堂で手をあわせて、
裏手に向かうと階段があります。
その階段の雰囲気がすごく良くて
ずっと歩いていたい気分になりますよ。


介山への道
介山への道 posted by (C)ルンちゃん


傍らには介山先生のお墓に至る
道しるべも建っています。


階段を上りきると墓所になります。
そのまま進むと「介山居士墓入口」の
碑があるので、すぐにわかりました。


奥まで進んでいくと、ありました。
「中里介山居士之墓」


すごい立派ですね。
想像していたのとは違っていて
チョッとびっくりしました。


介山先生のお墓は五輪塔だったんですよ。
亡くなったのは昭和になってから
ですけど、昭和の時代に五輪塔のお墓って
珍しくないですか。


中里介山のお墓
中里介山のお墓 posted by (C)ルンちゃん


私の中では、五輪塔って
平安時代とか鎌倉時代とかの
イメージがあったものですから。


なぜ介山先生のお墓が
五輪塔なのかはわかりませんが、
なにかしら理由がありそうですよね。


墓碑のお隣には墓誌がありました。
それを拝見すると介山先生の戒名
が刻まれていました。


「介山」の文字や
文学の「文」の字が刻まれているのが
わかります。


墓碑に手を合わせて
その場を後にしました。


本堂に戻って、住職様にお会いして
御朱印をいただいたり、
玄関にあった「大菩薩峠」の碑を
見せていただいたりしました。


屏風は見ましたか?


住職様の問いかけに、
「? 見ていません」と答えると
どうぞこちらへと言って
建物の中へ案内されました。


そこにあったのは、
山岡鉄舟の屏風でした。


内容はよくわかりませんでしたので、
文の写しをいただいたいて、
家に帰ってじっくり読もうと思います。


思いもしなかった場所で、
山岡鉄舟さんの屏風まで見ることができて、
充実した日を過ごすことができましたよ。


またいつか再び、訪れてみたい場所が
ひとつ増えました。


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posted by ルンちゃん at 20:08| Comment(0) | 中里介山の話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする