2006年10月26日

函館 史跡めぐり 3日目(その壱)


3日目 いよいよ最終日。
1・2日目に行かれなかった場所へ向かいます。


1.碧血碑 〜 2.弁天台場跡 〜 
3.地蔵寺 〜 4.高龍寺 〜 
5.称名寺 〜 6.実行寺 〜 
7.沖之口番所跡 〜 8.丁ザ跡 〜 
9.武蔵野楼跡 〜 10.歳三最期の地碑 〜 
11.千代ヶ岡陣屋跡 〜 12.中島三郎助父子最期の地碑



1.碧血碑
「義に殉じた士の血は三年たつと碧となる」
との中国の故事から、明治8年に
榎本武揚や大鳥圭介らによって建立された
東軍の戦没者慰霊碑です。


函館山の麓、人気のない山林に
ひっそりと佇んでいるのが印象的です。

23.碧血碑
碧血碑 posted by (C)ルンちゃん
ひっそりと佇む碧血碑


2.弁天台場跡
市電の「函館どっく前」の児童公園に
弁天台場跡の看板がありました。


幕末は海だった所。


その海に浮かぶ不等辺六角形の砲台、
それが弁天台場でした。


写真でみると
正面のアーチの門から中へ入るようになっていて、
ずいぶん頑強の造りに感じられます。
今はそれもなく、海はかなたとなってしまいました。


3.地蔵寺
旧幕軍戦士者埋葬の地と伝えられている所です。
ここから高龍寺や称名寺は近く、
歩いて行くことができます。


4.高龍寺
箱館戦争時、箱館病院の分院として使用されました。
高龍寺は明治12年に今の場所に移動してきたので、
幕末時の場所ではありません。


境内の「傷心惨目の碑」は
戦争当時病院にいた手負いの会津藩士が
薩摩藩士に惨殺されてしまった供養碑です。


高龍寺の敷地は広く、お願いすれば
本堂や羅漢像なども見学させて頂けます。
私たちも長時間見学させて頂きました。(^-^)

26.高龍寺
高龍寺 posted by (C)ルンちゃん


5.称名寺
こちらも当時の場所ではありませんが、
今も土方さんらの供養碑があります。


箱館商人 大和屋友次郎らが建てたのが最初ですが、
それは消失し、昭和47年に
有志が建立したという碑になっています。
いつ行っても新しい花が供えられていて、
大切にされているのがわかります。


6.実行寺
明治12年の大火で消失し、
称名寺などと共に現在の場所に移転しました。
安政元年ペリー来箱の時、
ペリー一行の写真家ブラウンがこの寺に写真場を設け、
役人や婦人たちを撮影したそうです。


見慣れた教科書のペリーの写真は
この寺で撮られたとの話を聞き、
まったく知らないお寺なのに
親しみを感じてしまいました。

30.実行寺
実行寺 posted by (C)ルンちゃん


ここからはお食事の話です。
3日間の食事は、とても変化に富んだものでした。
そして函館最後の食事に選んだのは“五島軒” 


国の有形文化財の指定を受けている
優雅な洋館の人気はすごいもので、
その日も1時間以上待ちとの事。


待つにはかなりの時間でしたが、
私たちには他に目的がありました。
本館ロビー正面には幕末以来の資料の展示室があり、
これがなかなか当時を知るには良いのです。


特に幕末の頃の箱館山周辺の地図には
移動前の称名寺や実行寺、沖之口番所等があり、
見ごたえがありました。
その他、調度品なども見ものです。


料理は通常の洋食と、
カレーのバイキングとがあったので、
今回はカレーへと向かいました。


イギリス・フランス・インド風など
色々な辛さ(味)を楽しむことができ、
少しずつ試食するだけで満腹になってきます。


しかもビスケットやアイスなどもあり、
充分満足できます。
またラウンジは2階なので
窓からの函館の町を見るのもいいものです。

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posted by ルンちゃん at 15:01| Comment(0) | TrackBack(0) | ☆函館〈2006) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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