2006年10月27日

函館 史跡めぐり 3日目(その弐)


7.沖之口番所跡
海上自衛隊分室の近くに
番所跡の案内看板があります。
私たちが訪れたとき、
後ろの建物を壊していたのですが、
この案内看板もなくなってしまうのでしょうか。

31.沖之口番所跡
沖之口番所跡 posted by (C)ルンちゃん


8.丁サ跡
今回下調べで知った場所です。
土方さんの箱館市内での宿舎だった所で、
箱館の商人 佐野左衛門の店「万屋(丁サ)」がありました。


元町公園から基坂を市電の通りまで下ると、
左にちょっと特徴のある洋館
「相馬株式会社」が見えます。


その左側一帯らしいのですが、碑もなにもないので
「この辺」と写真を撮るのみです。

32.丁サ跡付近
丁サ跡付近 posted by (C)ルンちゃん


9.武蔵野楼跡
年始のNHKドラマ「新選組!! 土方歳三最期の日」では
2階建て(階上庭園付)の武蔵野楼が出ていましたが、
実際は3階建て(2階に庭園)でした。


当時の3階建てはすごく目立ったでしょうね。
しかし今はなく、その場所から少し視線をそらせば
人気のレンガ倉庫等が見え、
人々の波はそちらへと流れていくのでした。


10.土方歳三最期の地碑
「最期」といわれている場所はいくつかありますが、
この地碑のモデルとなっている一本木関門は、
もっと駅近くになります。


この碑も以前来た時は、
前面の道路のグリーンベルトの上にありました。
(グリーンベルトに当時の置かれていた跡らしき所を発見)
 

旧若松小学校〜グリーンベルト〜総合福祉センター(旧若松小)
と移ったわけです。


ちなみに、こちらから2、3分の所に
「ザ・ひじかた」という民宿があり、
新選組の好きな人々が集っています。
※追記…2013年現在「ザ・ひじかた」はありません
     
35.土方歳三最期の地碑 案内看板
土方歳三最期の地碑 案内看板 posted by (C)ルンちゃん

34.土方歳三最期の地碑
土方歳三最期の地碑 posted by (C)ルンちゃん


11.千代ヶ岡陣屋跡
千代田公園の一隅に案内看板がありました。
もとは蝦夷地警備のため津軽藩が築いた陣屋で、
箱館戦争では榎本軍の中島三郎助父子が、
五稜郭からの退却命令に従わず
最期まで戦い 戦死したところです。


12.中島三郎助父子最期の地碑
陣屋跡から少し歩いて、中島町33−6に碑があります。
この中島町の地名は中島三郎助を偲んで、
町の人々がつけたと以前聞きました。


ところで、この碑の写真を撮っていたら
年配の男性に「あんたたちはえらい」
とほめられてしまいました。


観光客は賑やかな方ばかり行くのに、
こういう所も見てくれて
みたいなことを言いながら去っていきました。


ここまで来る物好きは 
そうはいないかもしれませんね。
でも好きなんです、三郎助さんが…


ペリー来航時、浦賀奉行与力の彼は
異国船に乗船したこともあり、
また天然理心流を学んでいたこともあったそうです。
理心流を学んだ時期など詳しくは知りませんが
色々と調べてみたい人物なのです。

37.中島三郎助父子最後之地碑
中島三郎助父子最後之地碑 posted by (C)ルンちゃん


おまけ … 旅の終わりに
「土方・啄木浪漫かん」に行きました。
函館空港に大きな看板があったし、
1度見ておくのもいいかと思って… 


以前は「啄木浪漫かん」だったと思いますが、
今は1階が土方、2階が啄木の展示になっています。


「なにゆえ、土方と啄木が…?」
多くは語りますまい。
観光のひとつとしておきましょう。

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posted by ルンちゃん at 21:20| Comment(0) | TrackBack(0) | ☆函館〈2006) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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