新選組版 今日は何の日です。
1863(文久3)年。
250年ぶりに将軍(家茂)が京へ上るにあたり、
テロが横行する京の治安が
深刻な問題となっていました。
その問題を解決すべく幕府がたてた方策は
「浪士には浪士をもって対処する」というもの。
つまり
江戸の周辺にいる浪士を集めて京へ送り込み、
洛中の浪士を取り締まらせよう
としたのです。
この方法なら
江戸から不逞浪士がいなくなるし、
京都の浪士も一掃できるし、
しかも自分達の家臣にも被害者がでないという
一石三鳥の良策と考えたわけです。
とはいうものの集まったやからは
着物もボロボロで月代の伸びた奴や
坊主頭の者、はては博徒ふぜいの者まで、
思った以上の
とんでもない者たちがやってきました。
この中に我等が試衛館一派もいたのですが^^;
しかも集まった人数は
当初考えていた50人よりも多くおよそ300人!
それを知った浪士取締役の松平主税介は
これ以上の責任が取れないことを理由に辞任。
代わりに鵜殿鳩翁が取締役になりました。
鵜殿は1人50両の支給を大幅に削減し、
2月5日に道中心得を渡し
編成表を発表したのです。
かくして1863(文久3)年2月8日
小石川伝通院大信寮に終結した浪士組は
京に向けて江戸を旅立ちました。
この集団は目立つ東海道を避けて
中山道をひたすら西へ歩き続けますが、
道中各宿場の人たちはいったいどんな目で
彼らを見ていたのでしょうね。
きっと異様な集団に
怪訝な顔をしていたことと思いますが、
試衛館の人々はこれからの自分達の明日に
使命感と期待を膨らませながら
京に向けて進んでいたことでしょう。
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こんにちは
ある意味新選組の旅立ちの日と言うか悲劇の始まりの日ですね。
浪士組の京都行きと言うと埼玉本庄宿での芹沢一派の大焚き火を思い出します。
ま あれは近藤さんのミスが原因だったんですけどね。やはりやりすぎの感は否めません。
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未来への希望だったのか、野心だったのか。
男ですからどちらもあったでしょうね。
総司はあんまり考えてなさそうだけど(笑)
新選組への歴史的な第一歩の日だったんですね〜。
運命の歯車ってすごいな。
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元日野市民さん ダブルコメントありがとうございます^^
私も浪士隊の中山道中を思うと
真っ先に本庄宿のことが思い浮かぶのですが、
本当にあった話かの確証が取れないのですよね。
中山道を歩いてみたときも何も出てこなかったし、
講師の先生にも知らないって言われてしまいました。
あんなに有名なのに、なにも出てこないなんて本当に不思議です。
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味のりさん こんばんは^^
どちらにしても置かれた状況から脱出して前進した彼らの気持ちは応援したいですね。
たとえそれが最終的には歴史に飲み込まれてしまう行動だとしても、
それは最初からわかっていることではないですしね。
以前中山道ウォーキングをした際、道中いろいろなことを想像してみました。
同じように彼らもいろいろ思いをめぐらせていたのだと思います^^