2008年09月06日

葛山武八郎処罰の真相


局長近藤勇が
将軍上洛の建白書の提出と隊士募集を行うために、
永倉新八や武田観柳斎らと共に
江戸へと向かった翌日のこと。


一人の隊士が切腹しました。
その名は葛山武八郎


実は近藤たちが江戸へと旅立つ前、
ある事件があったのです。


それは、最近の近藤勇の態度が傲慢すぎると
幹部である永倉新八らが、
近藤の非行5カ条をしたため
預かりの会津藩藩主、
松平容保に提出するというものでした。


その建白書に明記された隊士の中に
永倉新八、斎藤一、原田左之助、
尾関雅次郎、島田魁と共に
葛山武八郎の名がありました。


結局その時は松平容保の取り成しで、
近藤と永倉らの和解が成立し
事なきを得ることができましたが、
ひとつ間違えば大惨事にもなりかねない事件に
発展するところだったのです。


近藤が留守の間、
新選組の全権を委ねられていたのは
副長の土方歳三です。


彼は近藤の留守の間、
隊士たちのタガが緩まぬよう、
というより、
近藤や永倉たちがいないのを見計らうかのように
隊内の締めつけを図りました。


烏合の衆ともいえる新選組は
今後隊士の増員もあり、
より一層の団結力が必要です。


にもかかわらず、永倉たちのとった行動は
今後どのような隊内の不穏分子として
成長するかわかりません。


さすがに幹部全員を処断するのは
今後の活動に支障をきたす恐れがあるため
実行されることはありませんでしたが、
事件の後始末はつけねばなりません。


それならと、ある意味「みせしめ」として
処断されたのが葛山武八郎だったようです。


それが1864(元治元)年
9月6日のことでした。



葛山武八郎の切腹の理由は残されていません。
「和解」という結果に不満を持ち、
最後まで抵抗する意味合いから
自ら切腹したとも言われています。


でも事の真相は、
前述のようなところだったのではないか、
というのが一般的な解釈です。


新選組という組織を守るためには、
非情になることも厭わない
「鬼の副長」
と呼ばれる土方歳三の
一面を垣間見た事件です。

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posted by ルンちゃん at 12:49| Comment(2) | TrackBack(0) | ・新選組「今日は何の日」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
TITLE: いやはや・・・
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これは多分一番立場が弱かった人だったからかもしれませんねぇ。。。
漫画のようにきれいにはいきゃあしませんわな。
この人の名前の入ったお墓の写真をどっかやってしまいました。
また撮りに行かなきゃ(ハート)
Posted by 味のり at 2008年09月07日 00:02
TITLE: 名前
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こんにちは^^

当時はどうだったのかはわかりませんが、
葛山武八郎さんの名前はこの話で知ったくらいで、
やはり存在は薄い感じですよね。

でもこの事件に限らず、
まだまだたくさんの事実が隠れているようで
興味は尽きませんね。
Posted by ルンちゃん at 2008年09月09日 12:15
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