2008年09月12日

三条大橋制札事件の日


新選組版「今日は何の日?」です[emoji:e-454]


1866(慶応2)年6月、徳川幕府は
第二次長州征伐
への出兵を各藩に発令しましたが、
各藩の士気はあがらずじまい、
戦況もかんばしくありませんでした。


そんな最中に、将軍家茂が
大阪城内で病死してしまいます(過去記事7月20日


8月20日に喪が発せられ、結局長州征伐は
宙に浮いた状態になってしまいました。
(9月4日に征長軍解兵令発布)



その影響もあったのでしょうか。8月28日の夜のこと。
京都の三条大橋西詰の制札場の高札が
何者かによって引き抜かれ、
鴨川に投げ捨てられたのです。


それは長州の罪状を書き記し、
潜入浪士を匿った者も同罪である
という内容の高札です。


9月2日に再び同様の高札が立てられましたが、
5日にはまた引き抜かれ、持ち去られてしまいます。


10日に3回目の高札が立てられたとき
その警護として新選組が見張りにつきました。



新選組は30人余りを動員し、
橋東詰の町家に1隊、高瀬通り西の酒屋に1隊、
先斗町の町会所に1隊と配置し、
2人の隊士を乞食に変装させて
橋の下から制札場を監視させました。


1日目、2日目は何事もなく過ぎました。
そして3日目の夜、鴨河原の南から
浪士8人が現場にやってきたのです。


彼らは制札場にさしかかると、
ひとりが木柵に登り始めました。
乞食に扮した隊士はそれを見るや、
さっとその場を通り抜け
待ちうけていた酒屋の新井忠雄ら12人と、
町会所の原田左之助ら10人に報告。


新井忠雄、原田左之助らがすぐ現場におもむき、
大乱闘となりました。


1866(慶応2)年9月12日
(新暦だと10月20日)

これが、三条大橋制札事件です。



浪士ら8人はいずれも土佐の者たちでしたが
新選組に取り囲まれ、藤崎吉五郎は斬殺、
安藤鎌次は深手を負いながらも
土佐藩邸に戻りましたが翌日自害。
宮川助五郎は捕らえられました。


あとの5人、
松島和助、沢田屯兵衛、岡山禎六、
本川安太郎、中山謙太郎は
かろうじて脱出することができました。


ちなみに、1回目の高札の投げ捨ては土佐浪士ではなく、
十津川郷士、中井庄五郎らだったそうです。
2回目も4人の浪士ということで
土佐浪士か、さだかではありません。


3回目の彼らは、
運がなかったというしかありませんね^^;


一方新選組側は、この事件の働きを大いに評価され、
後日会津から報奨金を与えられるのです。


その話はまたの機会に…^^

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posted by ルンちゃん at 11:21| Comment(0) | TrackBack(0) | ・新選組「今日は何の日」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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