2008年11月21日

捨助がやってきた!


本日も新選組版「今日は何の日」です


「呼ばれもしないのに、やってくるのが捨助でございますよ♪」

大河ドラマ「新選組!」をご覧になっていた方は、
このフレーズはご存知ですよね^^


ドラマに登場していた近藤勇の幼馴なじみ、
滝本捨助
が登場するときのセリフです。


どうしようもない奴でしたけど、
どこか憎めない役どころでしたよね。


あの滝本捨助は、
脚本家の三谷幸喜氏が作り出した
架空の人物です。
でも、モデルとなった実在人物がいるんですよ。


それがこれからお話しする、松本捨助です。


松本捨助は
武蔵国多摩郡本宿村(今の府中市本宿)の名主である
松本友八の長男で、土方歳三と親戚だったともいいます。
日野の天然理心流道場、佐藤道場にも通っていたようです。


でも、多摩地方の有名な博徒たちとも付き合いがあったそうで、
放蕩息子だったのか、長男のくせに家を勘当され、
とうとう実家は歳三の甥の錠之助(隼人の四男)が
養子に入り、継ぐことになりました。


本人は最初の結婚で娘を授かり、明治になって、
井上源三郎の姪(井上泰助の妹)と再婚しています。


そんな捨助がまだ勘当される前のこと。
(たぶん^^; この辺りの時期は調べましたが不明)



1863(文久3)年、例の浪士組が京に上る話があり、
彼も入隊を希望していましたが、家族の猛反対にあい
断念したという経緯があります。


しかし、どうしてもあきらめきれず、
しばらくの後、家出同然で
本宿村を飛び出してしまいます。


それでどうしたかというと、単身京へ上ったのです。
京都から戻ってこない土方たちの活躍を思い、
どうしても新選組に入りたかったのでしょうね。


上洛した彼は、さっそく土方歳三を訪ねました。
それが、1863(文久3)年11月21日のことです。


彼は新選組への入隊を、土方に懇願します。


その頃の新選組は、9月に芹沢鴨を粛清し、
近藤勇が主導権を握り、いよいよ自分たちが
新選組を引っ張っていくという時期で、
隊士を増やしたいところもあったと思われます。


でも彼が長男だったからなのか、
土方は入隊を認めていません。


土方は捨助を諭し、多摩へ帰るよう促します。
そして彼が帰郷の際に、
小野路村の小島鹿之助への手紙を託すのです。


門前払いをくわされた捨助は、泣く泣く多摩に戻り、
12月19日にきちんと小島家に手紙を届けています。
(こういうところは律儀^^)



ちなみにこのとき土方が託した手紙というのが、
かの有名な
『報国の心ころをわするゝ婦人哉』

という川柳の入った手紙で、
「色街で、もててもてて困るんだ〜」
と自慢しているものなんですよね^^;


人生をかけて上洛した捨助なのに、
京都からこんなもの持たされて、
なんだかかわいそうな気がしますよね。


それで多摩に帰った捨助はあきらめて、
平穏に過ごしたかというと、
そんなことはありません。


土方からの門前払いにもめげず、勘当にもめげず(?)
(この間1度目の結婚もしている)

1867(慶応3)年、土方が
江戸での新選組隊士の募集をしたときに
こりもせず、再び入隊を志願するわけです。


そしてやっと新選組への入隊を、許可されました。


こうして憧れ(?)の新選組に
入ることができた捨助でしたが、
その後の彼の体験は大変なものだったでしょう。


だって入隊の時点で、
慶応3年(つまり幕府終焉まであとわずか)ですからね。
(その後の話は、またの機会に…^^;)


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posted by ルンちゃん at 11:32| Comment(0) | ・新選組「今日は何の日」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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