新選組版「今日は何の日?」です。
永倉新八の『新撰組顛末記』によりますと…
お正月のこと。
伊東甲子太郎の思いつきで、新年早々、
島原に繰り出そうということになりました。
彼の腹心である服部武雄、加納道之助、
中西昇、内海次郎、佐野七五三之助、
三樹三郎(伊東の弟)のほか、
めずらしく(?)近藤派のふたり、
永倉新八、斎藤一も連れて
伊東は島原へと向かいます。
正月は島原廓内も休みになりますが、
「新選組が来た!」粗相があってはならないと、
店でも芸妓たちを呼ぶという気遣いよう^^;
伊東は花香太夫(輪違屋)、
斎藤は相生太夫(桔梗屋)、
永倉は小常(亀屋)と
それぞれ馴染みの女性たちまで呼び出し、
ついでに、他の新選組隊士たちも集まって、
飲めや歌えやの大宴会となりました。
そうこうするうち、夜になり…
門限が近づくと、隊士たちは切腹怖しで、
次々隊へ戻っていきました。
ところが伊東は
「いつになく酔ったが、
この心地で無骨な隊に戻るのも興なし」
と言って、このまま飲み明かすことを提案します。
酔って気が大きくなっている永倉と斎藤も、
これに賛成し
そのまま居続け決定!(おいおい[emoji:e-455])
そうして、世は更けていきました。
2日目。
彼らはどうしたかといいますと、
「どうせ切腹する身だから、
この世の思い出に思い切り飲もう!」
と、またも居続けたんですよね〜^^;
そして3日目も同じことを繰り返し…
1867(慶応3)年1月4日
さすがに4日目になると、
近藤勇から使いがやってきたので、
彼らは重い腰をあげ、隊に帰っていきました。
帰隊した彼らを、
近藤が怒気を満面に含んだ顔で迎えます。
すぐに伊東は近藤の部屋の居間で、
斎藤は土方の居間で、永倉は別の部屋で、
処分が言い渡されるまで謹慎となりました。
当初、近藤は永倉だけを
切腹させようとしたそうです。
(あくまでも顛末記によりますけど)
永倉は以前、会津藩に
「近藤糾弾」の直訴状を送った
首謀者であったことから、
今回2度目のお騒がせ事件であり、
彼一人に罪をかぶせようとしたようです。
でも、土方が「それでは片手落ちだ」と反対し、
他の隊士たちの今後の士気への配慮もあって、
3人の切腹は免れました。
結局、伊東と斎藤は2、3日で謹慎を解かれ、
永倉も6日後に許されています。
今回は大事に至らず済みましたが、
この年は伊東らの離隊、
油小路の変の年でもあるのです。
波乱含みの慶応3年は、こうして始まったのです。
今日の記事はいかがでしたか?
「今日読んだよ、面白かったよ、役に立ったよ」の印に
応援クリックを頂けますと私の励みになります。
⇒ 歴史ブログ 幕末・明治維新
クリックをたくさん頂いた記事を、
今後の記事アップの参考にして、
もっと楽しい記事を作っていきたいです^^(ルンちゃん)
新選組のチョッと話 トップページに戻る
【関連する記事】
SECRET: 0
PASS: 75656174394d76654c6f694f7668534a4670666e41716e5a31716f5073745732d4f7236da052ac8b6ac7c155f4dc174b1614f3ba43377a6c3535ca8f3c78fca1
おめでとうございます(^^)
今年もよろしくお願いします!
斎藤さん、絶対このころから伊藤さんに「付けられて」いたはず(笑
抜け目ないよなぁwww
SECRET: 0
PASS: 586e626b4a30715538466a7357756f79576e646144557a7a316958536a464d30edc8135c703ce9ae14fa839dbdca4b992909c2cfe78a279e6dca607e27a27939
味のりさん、
あけましておめでとうございます^^
こちらこそ、よろしくお願いします。
篤姫は終わってしまいましたが、
今年も楽しく幕末三昧でいきましょうね♪