2009年01月08日

ぜんざい屋事件の日


新選組版「今日は何の日?」です。


池田屋騒動から、およそ半年後。
今度は大阪で、過激派浪士らの
放火計画が発覚しました。


その頃、二番隊に所属し
大阪に道場を構えていた
新選組隊士の谷万太郎は、
その道場を拠点とし、
門弟たちに剣や槍術を教えながら、
不逞浪士らに関する情報収集を行っていました。


そんな彼の元に、
放火計画が飛び込んできたのです。


情報元は、門弟の和栗吉次郎で、
彼の仲間である土佐浪士の
浜田辰弥(=田中光顕)、那須盛馬らが
大阪放火の計画を立てている
というものでした。


1865(元治2)年1月8日

谷万太郎は、兄の三十郎と門弟の正木直太郎、
高野十郎を連れて、浪士が潜伏中のぜんざい屋
「石倉屋」に向かいます。


店を襲撃したところ、
浪士たちのほとんどは不在で、
「石倉屋」の主人で一味のひとりでもあった
本多太内蔵もいち早く逃走。


残った大利鼎吉(ていきち)と
万太郎たちが戦います。
相手の抵抗に、万太郎は胸、三十郎は足、
正木は手を負傷しますが、
最後には彼を斬リ伏せました。


また本多の妻を捕らえ、
残されていた武器弾薬、書類等を押収し、
大阪放火を未遂に終わらせることに
成功したのでした。


このときの活躍が認められたのか、
和栗吉次郎は谷川辰蔵と改名し、
新選組に入隊します。


そして、もうひとり。
ぜんざい屋を襲撃した、高野十郎


じつは、彼は池田屋騒動直前に、
新選組から脱隊した人物で、
この事件の後、再び新選組に入隊します。
つまり2度、新選組に入るわけですね。
なんと物好きな人でしょう。



でもそれで驚いちゃいけません。
伊東甲子太郎が新選組から分離するとき、
伊東について新選組から再び脱隊するのが、
この人なんです。


そうです。
彼が高台寺党の一人、阿部十郎です。
(墨染で近藤を襲った一人でもあります)



新選組を2度入隊し、2度脱隊した人は、
新選組隊士の中でも、この人だけですよ。
ずいぶん数奇な人生を歩んだ人ですよね。
(でも長生きしています^^)


今日の記事はいかがでしたか?
「今日読んだよ、面白かったよ、役に立ったよ」の印に
応援クリックを頂けますと私の励みになります。

⇒ 歴史ブログ 幕末・明治維新

クリックをたくさん頂いた記事を、
今後の記事アップの参考にして、
もっと楽しい記事を作っていきたいです^^(ルンちゃん)
 
新選組のチョッと話 トップページに戻る
posted by ルンちゃん at 10:14| Comment(0) | ・新選組「今日は何の日」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: