ひさしぶり、新選組版「今日は何の日?」です。
池田屋事件や禁門の変での働きにより、
その名を天下に知らしめた新選組。
その名声とともに、入隊希望者も増え、
屯所としていた壬生では手狭になってきました。
屯所移転の話が浮上しますが、
そこで彼らが新しい屯所として目をつけたのが、
西本願寺です。
勤王派寄りの西本願寺は、禁門の変の際、
長州の残党をかくまい、僧に変装させて
落ち延びさせたともいわれています。
ですからそこに屯所を置くことで、
彼らを監視できると考えたわけですね。
最初、この申し出に西本願寺側は
受け入れを拒否していました。
(そりゃ〜あたりまえですよね^^;)
でも、再三の新選組からの要請に
最終的には折れるかたちで、
使用を許可したのです^^;
改装工事を完了させ、
いよいよ隊士たちの引越しが始まりました。
1865(元治2)年3月10日の出来事です。
西本願寺の太鼓楼とその西、
約300畳もある北集会所。
大法会の時に門徒が集まるその場所を
全面的に借り受け、新選組の屯所にあてました。
西本願寺側とは竹矢来で仕切られます。
とはいうものの、そこは同じ敷地内。
かたや仏門に集う門徒たちのいる場所。
かたや神も仏も恐れない、無頼漢たちの集団。
異様な光景に映ったでしょうね〜^^;
その後、隊士たちは京都守護職から下された
大砲2門を寺の境内で調練したり、
捕縛した人や、食用豚の断末魔の叫び声を響かせたり、
豚や猪を煮炊きする臭いを漂わせたり…
およそ寺には似つかわしくない光景を、
思う存分披露したのでした。
(大砲は西本願寺側が守護職に泣きついて、
後に境内での使用は禁止されましたけどね^^)
その光景は1867(慶応3)年6月15日の
「不動堂村」移転まで続きます。
およそ2年余りの間、西本願寺側は我慢していたんですね。
さすがお坊様。忍耐力ありますね〜^^;
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昨日は引っ越しの日だったんですか。勉強になりました。
それにしても西本願寺での新選組はこの時大砲の調練などをしていたんですね。
そんな中西本願寺側の人達は2年間うるさいとかで我慢していたんですね。それがまた不動堂村に移ったのかな?
後ルンちゃんさんがもし幕末にタイムスリップしたら何してますか?
ちなみに私は新選組入隊し沖田さん・市村君・斉藤さんと友達になり近藤さんと土方さんと新選組と共に戦いますね。
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勇春さん こんばんは。
2年以上我慢していた西本願寺のお坊さんたちも
さすがに嫌気がさし、不動堂村にお屋敷を建てて
出て頂いたんですよね。
もちろんその費用は、西本願寺持ち。
さすがだわ、土方さん^^
もしタイムスリップしても、私は入隊しませんよ〜^^;
あんな物騒な所、いくつ身があっても持ちませんもの。(私なんかすぐ切腹ものですね)
でも新選組の謎の部分(例えば芹沢粛清時の近藤側のメンバーとか)は、
しっかり調査し裏を取り(勿論写真も)
現代に持ち帰りたいです^^