2012年09月17日

万願寺一里塚

多摩の史跡案内 〜その33〜

万願寺一里塚


かつて街道筋には「一里塚」というのがありました。
織田信長や豊臣秀吉が、一里(約4キロ)ごとに
築かせたのが最初だそうです。
※もっと古い説もあり



江戸時代になり、慶長9(1604)年に江戸幕府は
大久保長安に街道を整備させ、その際、
江戸日本橋を起点として一里ごとに塚を築かせ、
全国規模の一里塚が整備されました。
それは旅人の距離の目安として、大いに役立ちました。


甲州街道(甲州道中)も同じように整備されました。
青柳(国立市)辺りから「万願寺渡船場」を渡り、
「万願寺一里塚」を通って日野宿へと入り、
「日野台一里塚」を抜けて八王子に至る道です。


「万願寺一里塚」は日本橋から9里目、
そして「日野台一里塚」は10里目にあたります。

新旧のコラボ
新旧のコラボ posted by (C)ルンちゃん
まさか、頭上にこんな乗物が走るとは
昔の人は思わなかったでしょうね^^;



貞享元(1684)年に再度整備された時、
甲州街道はもっと川の上流になる
「日野渡船場」を渡る道に変えられますが、
「万願寺渡船場」と「万願寺一里塚」は
その後も利用され続けました。


平成15(2003)年、
この「万願寺一里塚」の調査が行われました。
その結果、規模は一里塚の基準通りの約7〜8mの幅、
高さは約3mでしたが、道に沿って
少し楕円形になっていることがわかりました。
その他に、構築方法などもわかっています。


平成の現在、
日野市で残っているのは「万願寺一里塚」だけです。
しかも一里塚は1対(つまり2個)あるものですが、
片方(南側)しかありません。道路拡張のためか、
もう片方は昭和43(1968)年に取り壊されて
しまいました。


塚の天辺には、一里塚によくみる「榎木」がありますが、
これは近年になってから植えられたものです。
昔ならこの榎木の下に、
旅人がつかの間の休息を取ったのでしょう。


塚は小さな空間の中で、
そこだけ昔の面影を残しながら、今もたたずんでいます。

万願寺一里塚の説明板
万願寺一里塚の説明板 posted by (C)ルンちゃん
説明板には調査のことも書かれています。


(参考:万願寺一里塚掲示板)
 日野市万願寺2−38−5

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posted by ルンちゃん at 22:08| Comment(0) | ・多摩の史跡案内 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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