2014年08月17日

ふりだしは「日本橋魚市」


先日お伝えした『新板大江戸名物双六』のお話です。
『新板大江戸名物双六』の最初、
つまり「ふりだし」は日本橋魚市なんですよ


日本橋にはかつて、
江戸最大の魚河岸(うおがし=魚市場)が
ありました。


歌川広重描くところの「東海道五十三次」に
登場する最初の「日本橋」の風景が、
今まさに仕入れた魚を天秤棒で担いで
売りに行く場面なんでしょう。


もともとは佃島の漁師たちが、
将軍家や各大名家に調達した魚のあまりを、
この地で売り出したことが始まりだそうです。
それは江戸時代初期の頃のことです。


江戸湾で獲れた魚は、夜明け前に
押送船(おしおくりふね、おしょくりふね)という
高速船に乗せられ隅田川をのぼって、
日本橋にあるこちらの魚河岸に
運ばれるようになりました。

※押送船=葛飾北斎「富嶽三十六景 神奈川沖浪裏」に
       登場しているような船です


そこで新鮮な魚を仕入れた魚売りが、
天秤棒で魚をかついで、江戸の町へと
魚を売りに行ったのです。
その魚河岸の活気は、一日に千両もの取引がある
といわれたほどでした。


この魚河岸は長い間、繁栄していましたが
大正12年の関東大震災後に現在の築地に移り、
今は「日本橋魚市場発祥の地」碑が建つだけ
となっています。


碑のあるのは、現日本橋北詰、
東京駅の日本橋口から歩いて10分の所ですよ。
日本橋に着いてキョロキョロ見渡せば見つかります。

日本橋の魚市場発祥の地にて
日本橋の魚市場発祥の地にて posted by (C)ルンちゃん


今の日本橋は、当時の名残りはなにもなく、
碑がなければ、そこに魚市場があったことも
わかりませんね。
とりあえず、写真をパチリ。


日本橋魚市場発祥の地碑
日本橋魚市場発祥の地碑 posted by (C)ルンちゃん


ちなみに、双六の「日本橋魚市」に
描かれているのは、タイとカツオです。


江戸時代のお祝いにはタイが用いられていました。
それは今と同じですね。
カツオは「初ガツオ」と云うように、
初物好きの江戸っ子には人気があったみたいです。


現代でしたらタイとマグロというところでしょうか。
でもマグロは江戸時代は下魚とされていたそうです。


庶民は口にはしていたみたいですけど、
それでもトロの部分は捨てていたそうですよ。
簡単に冷凍や冷蔵ができなかった時代なので、
仕方ないのでしょうけど、マグロ不足の今を考えると
もったいないと思ってしまいますね^^;

※『新板大江戸名物双六』の絵は
  国立国会図書館デジタルコレクションで見られます。
  http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1310566


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posted by ルンちゃん at 23:47| Comment(0) | ・新板大江戸名物双六 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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