2014年12月09日

諏方神社と谷中しょうが


『新板大江戸名物双六』の33コマ目は
谷中しょうがです。


夏の頃にスーパーなどで葉のついた生姜を
「葉生姜」とか「谷中しょうが」とかいって
売っていますよね。


茎の部分はチョッと赤みがあり、
その下にクリーム色をした生姜のついた
あれのことですよ。味噌をつけて食べると
口いっぱいに独特の風味と辛さが広がり美味しいですよね。
あの生姜は、じつは江戸時代からあったんです

谷中しょうが1

谷中しょうが2

「谷中しょうが」の名の由来は、
栽培されていた場所からきています。
当時、谷中本村といわれたその場所は、
現在の荒川区西日暮里2丁目、5丁目辺りのことで、
かつては生姜の名産地でした。


生姜は保水力のある肥沃な土地を好みますが、
この谷中地域はちょうどそんな土壌で
スジも少なく辛味もほどほどの、
とても良い品質のものが収穫できたそうなんです。


江戸の人々はそんな「谷中しょうが」を
好んで食べたそうですよ


しかも「谷中しょうが」の収穫時期が、
ちょうどお盆の頃だったので、商人や町人、
そしてこの地域に多かった寺社のお中元の品として、
縁故の人々に贈っていたのです。


それが「とても美味しい」と評判になり、
たちまち「谷中しょうが」の名は、
江戸一帯に広まったのでした。


今も谷中にある「諏方(訪)神社」は、
昔から日暮里・谷中の総鎮守様でしたが、
当時の地元の農家さんたちは、こぞって
生姜の豊作を祈願しに訪れたそうです。

諏方神社
諏方神社 posted by (C)ルンちゃん

諏方神社の今は
諏方神社の今は posted by (C)ルンちゃん


そんな盛況だった生姜栽培も、明治16年になると
上野と熊谷間に鉄道が通り、谷中の市街化が次々と進み
生姜を栽培する農家は急速に減っていきました。


そして大正末期頃には産地は埼玉へと移り、
現在はもう谷中で生姜の栽培を行う人は消え、
「谷中しょうが」の名前だけが残ったのです。


こうして谷中を生産地とする生姜はなくなりましたが、
別の場所で、今また「谷中しょうが」を復活させようと
尽力している方々がいらっしゃいます。


それは国分寺市のKさん。
30年前に「谷中しょうが」と出会い、
2009年から「谷中しょうが」をブランドとして
売り出しているそうですよ


またJA東京中央会でも「江戸東京野菜」というブランドで
江戸時代にあった野菜の普及を進めています。
そこになんと、「谷中しょうが」が「江戸東京野菜」として
正式に登録されたそうなんです。それも今年9月に!
なんてタイムリーなお話なんでしょうね。


今年の「谷中しょうが」の季節(夏)は
とうに終わってしまいましたけど、
また来年収穫の時期には、他の江戸野菜と一緒に、
いただきたいと思います

谷中しょうがの看板
谷中しょうがの看板 posted by (C)ルンちゃん
諏方神社にあった看板。記事の参考にさせていただきました^^

※『新板大江戸名物双六』の絵は
  国立国会図書館デジタルコレクションで見られます。
  http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1310566


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posted by ルンちゃん at 23:22| Comment(0) | ・新板大江戸名物双六 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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