2017年10月16日

その3 宇都宮史跡めぐり 2017


宇都宮史跡巡りの続きです
今回ご紹介するのは赤文字の部分です。

1日目
旧篠原家住宅 → 二荒山神社 → 宇都宮城 →

松ケ峰門付近土塁 → 松ケ峰門 → 光琳寺 →

六道の辻 → 報恩寺 → 一向寺 → 本陣 

2日目
英厳寺 → 下河原門 → 梁瀬橋(やなぜばし)



英厳寺は宇都宮の南側にあります。
こちらは、江戸の中期から宇都宮藩主だった
戸田家の墓所です。


英厳寺
英厳寺 posted by (C)ルンちゃん


戊辰の4月19日の戦いでは、土方歳三率いる
新選組と旧幕府軍がここに放火した際に、
幽閉されていた旧幕府主席老中の
板倉勝静、勝全親子を救出したという
場所でもあります。


といっても、現在は
お寺という名はありますが本堂などはなく、
広い空き地にお墓がいくつかあるのみです。
敷地の入口周辺は住宅地で、この時には
新築物件が数件売り出し中でもありました。


そのため、場所がすごくわかり難くて、
最初は行き過ぎてしまいましたよ
ご近所の方に聞いて、何とか探し出したのです。


亀趺型の墓石
亀趺型の墓石 posted by (C)ルンちゃん


細い入口の通りを抜けて、正面に見えるのは
幕末の宇都宮城当主、戸田忠恕公のお墓です。
彼は慶応4年、つまり宇都宮戦のあった年の
5月に病死したそうです。


当時22歳の若さだったそうですよ。
宇都宮戦での心労も、相当あったでしょうね。


その忠恕公のお墓は、めずらしい
亀趺型の墓石です。


亀趺(キフ)については、以前
会津の容保公の墓参に行った時に、
詳しくお話させていただきました

亀趺について詳しく知りたい場合は、こちらをご覧ください
 → 過去記事 クマと遭遇…か?


亀趺はカメのように見えますが、
カメじゃありません。
龍の6頭の子の中で龍になれなかった
といわれている霊獣です。


亀趺型の墓石はめずらしく、
私が初めて見たのは、島根県の松江でした。
会津の歴代のお殿様方の墓所には、
亀趺に乗せられた碑が置かれていましたよ。


亀趺にはとても興味がありましたので、
ここで再び拝見できてよかったです


さて、英厳寺から東の方角に進むと、
下河原門のあった場所へ至ります。
こちらは4月19日に、田川に架かる
梁瀬橋を渡ってきた土方達旧幕府軍が
通った東門(下河原門)跡です。


下河原門跡
下河原門跡 posted by (C)ルンちゃん


現在は当時の様子がわかるものは
何もないのですが、やはり土方さんらが
通ったと思うと、通らずにはいられません。


そしてすぐそばにあるのが、
こちらの梁瀬橋です。


梁瀬橋
梁瀬橋 posted by (C)ルンちゃん


この梁瀬橋は、土方歳三が
戦場から逃げようとした味方の兵士を
「逃げ出す者はこうだ!」と言って
斬り捨てたといわれている場所です。


後日、土方歳三は日光に勤番で訪れていた
幼馴染の土方勇太郎を呼び出し、
この時の兵士の供養を頼んだのでした。


ここでの戦いも凄まじかったそうですから、
かなりの戦死者が出たことでしょう。
でもこの辺りには、戦死者を弔った場所として
伝わっている場所はないようです。


土方たちの宇都宮での戦いは
この梁瀬橋から始まりました。
ここから宇都宮の中心地に
入っていくわけです。
でも私たちの史跡めぐりは
この地で終わりです。


こうして1泊2日の宇都宮史跡めぐりは
無事終了いたしましたが、私たちは
まだ時間があったので、
この後ふたたび宇都宮城に行ったり、
見学を勧められた教会に行ったりして、
宇都宮の旅を楽しみましたよ。


お城から二荒山神社を臨む
お城から二荒山神社を臨む posted by (C)ルンちゃん


史跡めぐりのお話はここまでですが、
宇都宮には「餃子」や「カクテル」が
ありますので、おまけのお話を次回にさせて
いただきますね


宇都宮城
宇都宮城 posted by (C)ルンちゃん


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posted by ルンちゃん at 00:41| Comment(0) | ☆宇都宮(2017) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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