2018年01月28日

伊庭八郎さんの征西日記

遊撃隊の伊庭八郎さんは、
家茂様上洛の際に、警備のために
京都を訪れています。
その時に日記を付けていたんですよね


その「征西日記」を
いつかは読みたいなとずっと
思っていたのですが、機会がなくて
なかなか読めずにいたのです。


最近になって、 山村竜也氏が
現代語訳をして本にしてくださいました。
それで、念願かなって「征西日記」を
読むことができました



幕末武士の京都グルメ日記
「伊庭八郎征西日記」を読む
(幻冬舎新書) [ 山村竜也 ]



伊庭八郎さん、人気がありますよね〜
私も伊庭さんは大好きです。


伊庭八郎さんは、
心形刀流宗家に生まれた人で、
幼少の頃は剣術よりも漢学や蘭学の方が
好きだったようです。


でもその後、剣術の稽古を始めると、
やはり血筋なのでしょうか。
めきめきと上達し「伊庭の小天狗」などと
呼ばれるようになりました。


講武所ができると、
その教授方を務めたりもしました。
そして将軍が上洛する時には、
その護衛として共に上洛したのです。
「征西日記」はその時の日記です。


その後、鳥羽・伏見の戦いの時には、
遊撃隊の仲間達と共に参戦します。


新政府軍が江戸へと進軍してくると、
それを阻止しようと箱根の関所へ向かい、
そこで小田原藩兵と戦闘となります。


箱根山崎の戦いでは、
左腕を切断してしまうような重傷をおいます。
しかし、その後も戦うことをあきらめず、
イギリス艦で箱館へ向かい
旧幕府軍に合流するのです。


箱館政府では、歩兵頭並、遊撃隊の隊長となり、
再び戦いの場へと向かいます。
しかし木古内の戦いで
胸部に被弾してしまいました。


片腕をなくしても一度は蘇った
伊庭八郎さんでしたが、胸部の被弾は
当時の医学ではどうすることもできず、
開城の前夜に五稜郭でモルヒネを飲み
死亡します。享年26歳でした。


そして五稜郭の土の中、
土方歳三さんの隣で眠っているともいわれる
(確実な話ではありませんが、そんな話もある)
伊庭八郎さんなのでした。


彼の「征西日記」によれば、
元治元(1864)年1月14日から
6月25日まで日記を付けていたようですね。


その間、京都や逢坂で、
いろいろな人に会ったり、
名所旧跡を訪問したり、
美味しい物を食べたりしています


まるで、現代人の物見遊山のようなんです。
内容はとても微笑ましくて、
ホッとするお話なんですよ。


あの時代、新選組の歴史を通してみると、
殺伐としている様子ばかりが目にとまります。
でも伊庭八郎さんは、比較的のんびりと
過ごされていたようですね。


その後の伊庭さんのことを知っていると、
彼がそんな時間を過ごしていたことが、
とても有意義で貴重なことだったように
感じます。


また、この日記を読んでいると
伊庭八郎さんが、周囲の人たちから
慕われていた様子も伺われて、ますます
伊庭八郎さんが好きになるのでした


ところで、
伊庭八郎さんと土方歳三さんは
試衛館時代からの知り合いだったみたいに
描かれることも多いですよね。


実際のところはどうだったんでしょう?
実はそれがすごく気になっていたんですよ。
それが、この日記を読めばわかるのではないか
と思っていたんですよね。


で、その結果はというと…
なんとなく二人の関係が
わかるような部分はありました。


まあ、その部分も含めて、
彼のほのぼのとした様子も知りたい
と思ったら、どうぞ読んでみて下さいね。


幕末武士の京都グルメ日記
「伊庭八郎征西日記」を読む
(幻冬舎新書) [ 山村竜也 ]



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posted by ルンちゃん at 00:51| Comment(0) | 新選組 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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