2023年03月24日

甲府といえば…

先日、甲府に行ってきました。
新選組ファンなら、甲府といえば
「甲府城」と答えますよね。たぶん…


でも実は私、甲府に行ったのに
「甲府城」のことなんて
すっかり忘れていました。
目的は別なものだったんですよね。
まあ、それはさておき。


途中、お城にも行くことになり
お城の前に来て
「あっ、そうだ。
 ここ、新選組が来ようとしていた場所だ」
なんてことを、思い出したのでした。


美しい石垣
美しい石垣 posted by (C)ルンちゃん


甲府城は、甲陽鎮撫隊である新選組が、
お城をもらえる、大名になれる(?)
なんて言われて、江戸から来ようと
していた所です。


でも結局、
新政府軍の方が先に到着してしまい、
勝沼での戦になったのでしたよね…


そんなことを急に思い出して、
その後は新選組モードになって、
ルンルン気分でお城の見学ですよ。


甲府城は舞鶴城とも呼ばれたお城で、
武田氏が滅亡した後、織田信長が
この地を支配しました。

天守台
天守台 posted by (C)ルンちゃん


でも本能寺の変が起きて、
次に徳川家康の支配となります。


それもつかの間、豊臣秀吉の世になって、
この地は家康の手を離れ、
天下人秀吉は自分の部下たちに
築城を命じました。


関ヶ原の戦いで徳川家が勝利すると、
甲府城は徳川の城となりました。
江戸時代の初め頃は、特別な城として
将軍家一門が城主になっていたようです。


でもその後、将軍の側用人であった
柳沢吉保の時代には彼が城主となり、
吉保の子である吉里が
大和郡山城主として転封されるまでは
幕府から手が離れています。


その後、甲斐の国は幕府の直轄地となって、
甲府城には甲府勤番がおかれるように
なりました。


そんな状況で幕末に突入。
鳥羽伏見の戦いの後、
幕府軍は大坂から江戸へ戻ります。


その江戸にいる頃、
上方から新政府軍がやってくると聞き、
甲陽鎮撫隊と名前を変えて、新選組が
甲府城を目指してやってきます。


新政府軍より先に新選組が
甲府城に来ていれば、幕府の勤番達は
近藤らに城を明け渡したことでしょう。
一応、その約束はあったみたいですし。


でも結局、そうはならずに
新政府軍が甲府城に入ってしまいました。
そんなわけで新選組は、この地に来ていません^^;


明治時代になると城内の主要な建物は
ほとんどが取り壊されました。
敷地も以前はもっと広大な土地でしたが…


内城部分だけがなんとか残され、
明治37(1904)年に「舞鶴公園」として
開放されたのだそうです。
それが今の甲府城の様子です。

20232-5
甲府城にて posted by (C)ルンちゃん


とは言っても、享保時代に大火があり、
既に城の本丸御殿や銅門はその時
焼失されたらしいですけどね。


現在はいくつかの建物が復元されています。
それはチョッと嬉しいかな。

鉄門
鉄門 posted by (C)ルンちゃん


所々には江戸時代のものもあって、
それらを見ながら、当時を
想像してみるのも楽しいです。


でも、何度も言うように、
新選組は来ようとしていたけど
来られなかった所なわけでして^^;


「代わりに見ておきましたよ!!」
なんて、見学の途中
心の中で叫んでいた私なのでした。


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posted by ルンちゃん at 14:44| Comment(0) | 新選組 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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