2006年10月28日

函館 後日談


☆こうして新選組づくしの2泊3日の旅は終わりましたが、
「いやぁ〜 いろんな所へ行っちゃたなぁ。見所たっぷりで満足!」
という感想ですわーい(嬉しい顔)


しかし帰宅後に確認してみると
見忘れた場所や、まだ行っていない所も多く、
函館の史跡の多さにびっくりしてしまいます。
次回また下調べをしっかりおこなって
楽しい旅をしたいです。


☆ところで 新選組の史跡をめぐる時、
私はいつも「御朱印帳」を持ち歩きます。
いつ訪問したのかわかるし、
なによりお寺や神社の方の生のお話を聞くきっかけとなり、
詳細が書かれた“しおり”等も頂けるからです。


あなたにも お薦めしますよ (^0^)v


ただし、御朱印とは
本来参拝した時に写経した経文を納めて
祈願した証として頂くものですので、
記念スタンプとは違って、
謙虚な気持ちを持って頂いてほしいと思います。


また、御朱印代は決められている場合もありますが、
いらないと言われる場合もあります。
(函館はそうでした)
 

その時は「気持ち」として
いくらかお渡しするのがいいと思います
(ちなみに私は300円渡しています)


御朱印帳は、人の多い
有名なお寺や神社で購入できますから、
自分のお気に入りの場所の御朱印帳を持ち歩くのも 
楽しみですね!


お寺・神社の方は皆さん達筆で、
頂いた御朱印を見ているだけで心が和みます。

函館での御朱印です
函館での御朱印です posted by (C)ルンちゃん


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2006年10月27日

函館 史跡めぐり 3日目(その弐)


7.沖之口番所跡
海上自衛隊分室の近くに
番所跡の案内看板があります。
私たちが訪れたとき、
後ろの建物を壊していたのですが、
この案内看板もなくなってしまうのでしょうか。

31.沖之口番所跡
沖之口番所跡 posted by (C)ルンちゃん


8.丁サ跡
今回下調べで知った場所です。
土方さんの箱館市内での宿舎だった所で、
箱館の商人 佐野左衛門の店「万屋(丁サ)」がありました。


元町公園から基坂を市電の通りまで下ると、
左にちょっと特徴のある洋館
「相馬株式会社」が見えます。


その左側一帯らしいのですが、碑もなにもないので
「この辺」と写真を撮るのみです。

32.丁サ跡付近
丁サ跡付近 posted by (C)ルンちゃん


9.武蔵野楼跡
年始のNHKドラマ「新選組!! 土方歳三最期の日」では
2階建て(階上庭園付)の武蔵野楼が出ていましたが、
実際は3階建て(2階に庭園)でした。


当時の3階建てはすごく目立ったでしょうね。
しかし今はなく、その場所から少し視線をそらせば
人気のレンガ倉庫等が見え、
人々の波はそちらへと流れていくのでした。


10.土方歳三最期の地碑
「最期」といわれている場所はいくつかありますが、
この地碑のモデルとなっている一本木関門は、
もっと駅近くになります。


この碑も以前来た時は、
前面の道路のグリーンベルトの上にありました。
(グリーンベルトに当時の置かれていた跡らしき所を発見)
 

旧若松小学校〜グリーンベルト〜総合福祉センター(旧若松小)
と移ったわけです。


ちなみに、こちらから2、3分の所に
「ザ・ひじかた」という民宿があり、
新選組の好きな人々が集っています。
※追記…2013年現在「ザ・ひじかた」はありません
     
35.土方歳三最期の地碑 案内看板
土方歳三最期の地碑 案内看板 posted by (C)ルンちゃん

34.土方歳三最期の地碑
土方歳三最期の地碑 posted by (C)ルンちゃん


11.千代ヶ岡陣屋跡
千代田公園の一隅に案内看板がありました。
もとは蝦夷地警備のため津軽藩が築いた陣屋で、
箱館戦争では榎本軍の中島三郎助父子が、
五稜郭からの退却命令に従わず
最期まで戦い 戦死したところです。


12.中島三郎助父子最期の地碑
陣屋跡から少し歩いて、中島町33−6に碑があります。
この中島町の地名は中島三郎助を偲んで、
町の人々がつけたと以前聞きました。


ところで、この碑の写真を撮っていたら
年配の男性に「あんたたちはえらい」
とほめられてしまいました。


観光客は賑やかな方ばかり行くのに、
こういう所も見てくれて
みたいなことを言いながら去っていきました。


ここまで来る物好きは 
そうはいないかもしれませんね。
でも好きなんです、三郎助さんが…


ペリー来航時、浦賀奉行与力の彼は
異国船に乗船したこともあり、
また天然理心流を学んでいたこともあったそうです。
理心流を学んだ時期など詳しくは知りませんが
色々と調べてみたい人物なのです。

37.中島三郎助父子最後之地碑
中島三郎助父子最後之地碑 posted by (C)ルンちゃん


おまけ … 旅の終わりに
「土方・啄木浪漫かん」に行きました。
函館空港に大きな看板があったし、
1度見ておくのもいいかと思って… 


以前は「啄木浪漫かん」だったと思いますが、
今は1階が土方、2階が啄木の展示になっています。


「なにゆえ、土方と啄木が…?」
多くは語りますまい。
観光のひとつとしておきましょう。

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2006年10月26日

函館 史跡めぐり 3日目(その壱)


3日目 いよいよ最終日。
1・2日目に行かれなかった場所へ向かいます。


1.碧血碑 〜 2.弁天台場跡 〜 
3.地蔵寺 〜 4.高龍寺 〜 
5.称名寺 〜 6.実行寺 〜 
7.沖之口番所跡 〜 8.丁ザ跡 〜 
9.武蔵野楼跡 〜 10.歳三最期の地碑 〜 
11.千代ヶ岡陣屋跡 〜 12.中島三郎助父子最期の地碑



1.碧血碑
「義に殉じた士の血は三年たつと碧となる」
との中国の故事から、明治8年に
榎本武揚や大鳥圭介らによって建立された
東軍の戦没者慰霊碑です。


函館山の麓、人気のない山林に
ひっそりと佇んでいるのが印象的です。

23.碧血碑
碧血碑 posted by (C)ルンちゃん
ひっそりと佇む碧血碑


2.弁天台場跡
市電の「函館どっく前」の児童公園に
弁天台場跡の看板がありました。


幕末は海だった所。


その海に浮かぶ不等辺六角形の砲台、
それが弁天台場でした。


写真でみると
正面のアーチの門から中へ入るようになっていて、
ずいぶん頑強の造りに感じられます。
今はそれもなく、海はかなたとなってしまいました。


3.地蔵寺
旧幕軍戦士者埋葬の地と伝えられている所です。
ここから高龍寺や称名寺は近く、
歩いて行くことができます。


4.高龍寺
箱館戦争時、箱館病院の分院として使用されました。
高龍寺は明治12年に今の場所に移動してきたので、
幕末時の場所ではありません。


境内の「傷心惨目の碑」は
戦争当時病院にいた手負いの会津藩士が
薩摩藩士に惨殺されてしまった供養碑です。


高龍寺の敷地は広く、お願いすれば
本堂や羅漢像なども見学させて頂けます。
私たちも長時間見学させて頂きました。(^-^)

26.高龍寺
高龍寺 posted by (C)ルンちゃん


5.称名寺
こちらも当時の場所ではありませんが、
今も土方さんらの供養碑があります。


箱館商人 大和屋友次郎らが建てたのが最初ですが、
それは消失し、昭和47年に
有志が建立したという碑になっています。
いつ行っても新しい花が供えられていて、
大切にされているのがわかります。


6.実行寺
明治12年の大火で消失し、
称名寺などと共に現在の場所に移転しました。
安政元年ペリー来箱の時、
ペリー一行の写真家ブラウンがこの寺に写真場を設け、
役人や婦人たちを撮影したそうです。


見慣れた教科書のペリーの写真は
この寺で撮られたとの話を聞き、
まったく知らないお寺なのに
親しみを感じてしまいました。

30.実行寺
実行寺 posted by (C)ルンちゃん


ここからはお食事の話です。
3日間の食事は、とても変化に富んだものでした。
そして函館最後の食事に選んだのは“五島軒” 


国の有形文化財の指定を受けている
優雅な洋館の人気はすごいもので、
その日も1時間以上待ちとの事。


待つにはかなりの時間でしたが、
私たちには他に目的がありました。
本館ロビー正面には幕末以来の資料の展示室があり、
これがなかなか当時を知るには良いのです。


特に幕末の頃の箱館山周辺の地図には
移動前の称名寺や実行寺、沖之口番所等があり、
見ごたえがありました。
その他、調度品なども見ものです。


料理は通常の洋食と、
カレーのバイキングとがあったので、
今回はカレーへと向かいました。


イギリス・フランス・インド風など
色々な辛さ(味)を楽しむことができ、
少しずつ試食するだけで満腹になってきます。


しかもビスケットやアイスなどもあり、
充分満足できます。
またラウンジは2階なので
窓からの函館の町を見るのもいいものです。

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