前回の続きです。ちなみに前回の記事はこちら^^
⇒ 二本松の思い出 ’04(壱)
さて、はるばる二本松まで来たのですから、
これで帰るのはもったいない。
二本松少年隊ゆかりの地へと足を運びます。
まず霞ヶ城(二本松)の天守台。
菊人形展会場の裏手は山になっていて、
銀杏や桜の木々の小道を歩けば高台へ出られます。
高台(天守台)から四方を見渡すと、
色づいた木々と二本松の町が見え
清んだ空気を快く感じることができます。
「会津はむこうかな」と西方を遠くながめてみました。
そのまま山の小道をめぐるように歩けば、少年隊の丘へ…
そこは二本松少年隊が戊辰戦争直前まで、
鉄砲の稽古をした場所だそうです。
“少年隊顕彰碑”に向かい合掌。
大隣寺の彼らの墓も訪れました。
霞ヶ城からは少し離れた場所にあります。
タクシーで行くのがベストですが、
私は歩いてみることにしました。
お城が陽の光を受けて
また祭典の最中ということもあり
華やかな雰囲気であったのに比べ、
こちらは寺の背面の山が
彼らを守っているような
重厚な雰囲気が感じられます。
そこに、ひっそりとたたずむ16の墓。
私がいる間に地元の方らしい男性も2人、
墓前を訪ねて合掌されていきました。
今でもこうして大切にされているのですね。
合掌…
タクシーの運転手さんに大壇口古戦場跡まで行ってもらいました。
この地は二本松少年隊奮戦の地で、
隊長の木村銃太郎や、少年達を援護し壮烈に戦った
青山助之丞・山岡栄治たちの最期の地でもあります。
四方を見渡しました。
所どころに建物はあるものの、畑が目立ちます。
昔はそれこそなにもなかっただろうこの地で、
少年達は敵が来るのを息を殺して待っていたのでしょう。
そして戦いは始まり…。
今は彼らの供養碑が、当時の様子を知らせるだけです。
今回“菊人形”めあてだったので
現地で得たガイドパンフをもとに史跡を訪ねました。
漠然としか知らなかった少年隊のことが
多少身近に感じられた気もします。
歴史資料館が特別展開催中の為、
通常展示されている藩政時代の資料を
見ることができなかったり、
見落とした史跡もあると思いますので、
下調べをしっかり行って、
いつか再び訪問したいと思います。
【二本松少年隊】
少年兵といえば会津の白虎隊が有名だが、それより先 二本松でも少年達の戦いがあった。1868(慶応4)年7月26日、三春藩の突然の降伏により、二本松藩の横腹を突く形となった西軍は、潮の如く二本松城下に迫りつつあった。その為、藩は止むなく少年達の出陣を命じることとなり、12歳から17歳までの62名が緊急に各隊に配属され、西軍との応戦体制に入った。
29日未明、隊長木村銃太郎、副長二階堂衛守の率いる少年隊士25名が出陣した大壇口で戦闘が開始された。少年隊の放つ連撃弾は次々と命中。大いに西軍を悩ましたが、新式銃を具備した西軍を前に、次第に戦況は悪化し、ついに隊長が敵弾に倒れ、戊辰戦争中最大の激戦 大壇口の戦いは終焉を告げた。
その後も少年達は果敢に戦いを続けたが、ある者は敵弾に倒れ、また返り討ちにあい、計14名の戦死者を出した。
隊長、副隊長と14名の魂が大隣寺に眠っている。
〜大隣寺掲示板より一部抜粋〜
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