2018年02月01日

足利学校と特別展示のお知らせ

先日、栃木県足利市にある
足利学校に行ってきました。


学校の文字のある門
学校の文字のある門 posted by (C)ルンちゃん


足利学校とは「日本最古の学校」といわれる
国の指定史跡であり、「日本遺産」にも
認定されている史跡です。


ちなみに「日本遺産」とは、日本の歴史や
文化に大きな影響を残しているものを
ストーリーとして活用することを目的に
文化庁が認めた制度だそうです。


近世の日本を支えた学校の代表として、
旧弘道館(茨城県水戸市)、
旧閑谷学校(岡山県備前市)、
咸宜園跡(大分県日田市)と共に
近世の教育遺産として評価されました。


そして今、世界遺産の認定に向けて
準備中だそうですよ。


方丈
方丈 posted by (C)ルンちゃん


教科書にも登場する「足利学校」ですが、
その創建については、奈良時代とも
平安時代とも鎌倉時代ともいわれ、
実のところ、はっきりしたことは
わかっていません。


明らかなところですと、
室町時代に関東管領だった上杉憲実公が
学則や痒主(今でいう学長)を定めて、
本を寄進したという記録は残っています。


そこに僧侶や武将の子弟などが集まって、
儒学を中心に勉強していたようです。


不断梅
不断梅 posted by (C)ルンちゃん


足利学校で学んだ人は、それは
沢山の方々がいらっしゃったそうです。
例えば、徳川家にも深く関わっていた
天海上人も4年間くらいこちらにいたそうです。


幕末・明治の頃にこちらを訪れた人では
吉田松陰や高杉晋作がいます。
松陰先生は会津の日新館にも
足を運んでいますから、
こちらに来たのも、うなずけますよね。


明治5年に、足利学校は
その役割を終えましたが、
それ以降も大隈重信や徳富蘇峰、
渋沢栄一、黒田清輝、井上馨など、
歴史書に登場する人物たちが多数
こちらを訪れています。


さて現在の足利学校は、
約5000坪の敷地の中に
江戸時代からあった入徳門、学校門、
杏壇門、孔子廟などがあります。その他に、
平成2(1990)年に復元した、
方丈、庫裡、書院、衆寮などもありますよ。


方丈からの庭の様子
方丈からの庭の様子 posted by (C)ルンちゃん


方丈のお屋敷の縁側に座って
お庭を眺めていると、
小春日和の陽射しが気持ちよくて、
ずっとそこに座っていたい気分になりますよ。


ここで、ずーっと読書をしていたら、
どんなに気持良いでしょうね。


方丈の様子
方丈の様子 posted by (C)ルンちゃん


ちなみに、足利学校は
「自学自習の場」だったそうで、
「卒業式」みたいなものはなかったそうです。
自分自身で納得したら卒業、
みたいな感じですね。


それは現代の「生涯学習」の教えにも似て、
それに共感している私としては、
「足利学校」を訪問見学できたことに
とても満足できました。


中庸の説明
中庸の説明 posted by (C)ルンちゃん


宥座之器(ゆうざのき)
上の写真が宥座之器というものです。
孔子が「満ちて覆(くつがえ)らないものはない」
ということを、この器で実験して弟子たちに
教えたというものです。


宥座之器は、中身が空っぽの時には
器は傾いているのです。でも程ほどに
中に水を入れると傾きは解消されます。
また、それ以上に入れると
水はひっくり返ってしまうという器です。


これは「中庸」の教えだそうです。
「中庸」は、簡単に言ってしまえば
どちらにも偏らずという意味です。
「程よい」といった方がいいでしょうか。


あっ、そうそう。
足利学校では、この2月に江戸時代の刀工、
加州清光(かしゅうきよみつ)、
大和守安定(やまとのかみやすさだ)、
源景国(みなもとのかげくに)
の作による刀を特別展示するそうです


加州清光と大和守安定は、
新選組の沖田総司が持っていた刀
とかいわれていますよね。


大和守安定は他にも、
前回ご紹介した伊庭八郎や、
新選組の大石鍬次郎も
持っていたといわれる刀です。


その加州清光と大和守安定と、源景国が
持ち主さんのご好意で展示されるそうです。
もちろん沖田総司本人の刀ではありませんが、
同じ刀鍛冶の打った刀剣ですので、
とても興味はありますよね


この展示のニュースを知ったのが
足利学校に行く前のことでしたので、
「やった〜、一緒にこれも見られる!」
と喜んだのも つかの間。


展示は2月とのことがわかり、
とてもがっかりしたのでした。
足利学校で心残りだったのが、唯一
この刀の見学ができなかったことです。
ああ、2月もまた足利に行こうかな〜。


あなたも、もし見てみたいと思ったなら、
足利学校まで足を運んでみて下さいね


刀剣の特別展示期間 
平成30年2月2日〜25日



足利市の節分行事の「鎧(よろい)年越」に
あわせて開かれる、観光イベント「足利冬物語」の
連携事業だそうです。


この企画にちなんで、周辺のお店では
いろいろと盛り上げるようなことも
行うようですよ。
そちらもチェックしてみて下さいね。

⇒ 足利学校HP

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2018年01月28日

伊庭八郎さんの征西日記

遊撃隊の伊庭八郎さんは、
家茂様上洛の際に、警備のために
京都を訪れています。
その時に日記を付けていたんですよね


その「征西日記」を
いつかは読みたいなとずっと
思っていたのですが、機会がなくて
なかなか読めずにいたのです。


最近になって、 山村竜也氏が
現代語訳をして本にしてくださいました。
それで、念願かなって「征西日記」を
読むことができました



幕末武士の京都グルメ日記
「伊庭八郎征西日記」を読む
(幻冬舎新書) [ 山村竜也 ]



伊庭八郎さん、人気がありますよね〜
私も伊庭さんは大好きです。


伊庭八郎さんは、
心形刀流宗家に生まれた人で、
幼少の頃は剣術よりも漢学や蘭学の方が
好きだったようです。


でもその後、剣術の稽古を始めると、
やはり血筋なのでしょうか。
めきめきと上達し「伊庭の小天狗」などと
呼ばれるようになりました。


講武所ができると、
その教授方を務めたりもしました。
そして将軍が上洛する時には、
その護衛として共に上洛したのです。
「征西日記」はその時の日記です。


その後、鳥羽・伏見の戦いの時には、
遊撃隊の仲間達と共に参戦します。


新政府軍が江戸へと進軍してくると、
それを阻止しようと箱根の関所へ向かい、
そこで小田原藩兵と戦闘となります。


箱根山崎の戦いでは、
左腕を切断してしまうような重傷をおいます。
しかし、その後も戦うことをあきらめず、
イギリス艦で箱館へ向かい
旧幕府軍に合流するのです。


箱館政府では、歩兵頭並、遊撃隊の隊長となり、
再び戦いの場へと向かいます。
しかし木古内の戦いで
胸部に被弾してしまいました。


片腕をなくしても一度は蘇った
伊庭八郎さんでしたが、胸部の被弾は
当時の医学ではどうすることもできず、
開城の前夜に五稜郭でモルヒネを飲み
死亡します。享年26歳でした。


そして五稜郭の土の中、
土方歳三さんの隣で眠っているともいわれる
(確実な話ではありませんが、そんな話もある)
伊庭八郎さんなのでした。


彼の「征西日記」によれば、
元治元(1864)年1月14日から
6月25日まで日記を付けていたようですね。


その間、京都や逢坂で、
いろいろな人に会ったり、
名所旧跡を訪問したり、
美味しい物を食べたりしています


まるで、現代人の物見遊山のようなんです。
内容はとても微笑ましくて、
ホッとするお話なんですよ。


あの時代、新選組の歴史を通してみると、
殺伐としている様子ばかりが目にとまります。
でも伊庭八郎さんは、比較的のんびりと
過ごされていたようですね。


その後の伊庭さんのことを知っていると、
彼がそんな時間を過ごしていたことが、
とても有意義で貴重なことだったように
感じます。


また、この日記を読んでいると
伊庭八郎さんが、周囲の人たちから
慕われていた様子も伺われて、ますます
伊庭八郎さんが好きになるのでした


ところで、
伊庭八郎さんと土方歳三さんは
試衛館時代からの知り合いだったみたいに
描かれることも多いですよね。


実際のところはどうだったんでしょう?
実はそれがすごく気になっていたんですよ。
それが、この日記を読めばわかるのではないか
と思っていたんですよね。


で、その結果はというと…
なんとなく二人の関係が
わかるような部分はありました。


まあ、その部分も含めて、
彼のほのぼのとした様子も知りたい
と思ったら、どうぞ読んでみて下さいね。


幕末武士の京都グルメ日記
「伊庭八郎征西日記」を読む
(幻冬舎新書) [ 山村竜也 ]



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2018年01月18日

武蔵五日市七福神 その2


はい、今回も武蔵五日市の七福神
のお話です


コースはこちら。

大悲願寺(大黒天) − 正光寺(弁財天) −

下町地蔵堂(恵比寿天) − 番地地蔵堂(毘沙門天) − 

玉林寺(福禄寿) − 光厳寺(布袋尊) − 

得雲院(寿老人)



本日は玉林寺のお話からです。
前回もお話した通り、
「武蔵五日市七福神」は
平成22年から始まったという
比較的新しい七福神ですよ。


御開帳は1月1日から1月3日まで。
時間は9:00〜16:00までです。
私が行ったのは、1月3日。
この日まで、七福神のお姿が
拝見できます。


鳳凰山玉林寺(福禄寿)
あきる野市五日市926番地

川の近くの玉林寺は入口に
仁王様が建っていました。


玉林寺の仁王様
玉林寺の仁王様 posted by (C)ルンちゃん


そこだけ見ると新しいお寺にも見えますが、
実は古くからあるお寺だそうです。
貞和3年(1347)明畢斉禅師により
開山されました。


玉林寺の福禄寿
玉林寺の福禄寿 posted by (C)ルンちゃん


ご本尊は釈迦牟如来様。
脇には加葉・阿難様方が
いらっしゃいます。


こちらでは甘酒のお振る舞いもありました。
これがまた冷えた体にありがたいです。

玉林寺のお振る舞い
玉林寺のお振る舞い posted by (C)ルンちゃん


さて、玉林寺のお寺までは比較的
駅の周辺なので、すぐ行かれました。
ですが、あとの二つが意外と遠いのです


特に最後の得雲院は、私もよく行く
日帰り温泉「瀬音の湯」の近くなので、
その遠さはわかっているつもりです。


車ならすぐなんですけどね。。。
歩きですと駅から1時間くらいは
ゆうにかかります。もちろん
残りの二つも歩いて行くつもりなので、
覚悟しないといけません。
あまり考えすぎずに、
なんとかがんばろう…っと


光厳寺(布袋尊)
あきる野市戸倉328番地
やっと着きました。なんだろうこの遠さ
光厳寺は高台にあっていい所なんですけどね。


玉林寺ですと、とても遠く感じます。
高台にあるからというのも
その理由なのでしょう。


光厳寺は1334(建武元)年に
足利尊氏が建立したお寺で、南北朝第一代の
光厳天皇の名前が由来のお寺だそうですよ。


光厳寺の布袋様
光厳寺の布袋様 posted by (C)ルンちゃん


しかも光厳寺は、知る人ぞ知る
山桜の名所だそうです
樹齢400年のその桜は、
東京都内の三大巨樹の桜にも数えられ、
都の天然記念物になっています。


光厳寺の山門
光厳寺の山門 posted by (C)ルンちゃん


もちろん、あきる野市の
観光名所のひとつでもありますね。
こちらに来たのは初めてですが、
次回は是非とも桜の季節に
立ち寄りたいです


こちらでも「お茶をどうぞ」の
お振る舞いがあり、
しっかりいただいて体を温めました。
ありがとうございました。


いよいよ最後のお寺の得雲院です。
得雲院までもかなり距離がありました。
特に光厳寺から桧原街道に出てからの道は、
片側を山に閉ざされていて、
歩くにはチョッと心細くなる道です


それでも、まだ日が高いので、
がんばって歩を進めます。
三股に分かれる道(十里木)に至ると
少しホッとしますね。徳雲院までは
あと少し。


得雲院(寿老人)
あきる野市乙津511番地

やっと着きました
途中、七福神めぐりをしている人たちと
あまり会うことがなかったので、
チョッと不安になりましたが、
ここまで来たら沢山の人がいましたよ。

得雲院のお堂
得雲院のお堂 posted by (C)ルンちゃん


得雲院の寿老人
得雲院の寿老人 posted by (C)ルンちゃん


得雲院は、
駅からは結構離れています。
そのかわりといえるのか、
梅の花とホタルの乱舞するお寺として
有名な所だそうですよ。


この近くの日帰り温泉には
よく来ていたルンちゃんですが、
このお寺のことは全く知りませんでした。


ホタルがいることも
知りませんでしたね。
確かに綺麗な川の近くですし、
温泉近くの山で、野生のサルも
目撃されているので、ホタルが見られる場所
というのもうなずけます。


今度来た時はホタルも見てみたいですね


こうしてお参りをして、
ご朱印をいただいて終了です
あっそうそう。こちらの得雲院さんでは
七福神めぐりの記念に
ボールペンもいただきました。

得雲院にて
得雲院にて posted by (C)ルンちゃん


また、こちらではお茶をごちそうになり、
たき火で体を温めて少しのんびりと
過ごしましたよ。目標を達成して、
とてもよい1日になりました
ありがとうございました。


そうして帰路についたわけですが、
さすがに再び1時間歩いて
駅まで戻るのはイヤでした。
ですから「瀬音の湯」まで行って、
バスで五日市駅まで戻りましたよ。


本当は温泉に入ってから帰りたかったのですが、
バスの時間が1時間に1本くらいしかないし、
用事もあって時間がなかったので断念。
温泉へはまた、時間があったときに
車で来ることにして、今回はこれでおしまいです。


「武蔵五日市七福神」は初めてでしたが、
いつもと違い、チョッと行き辛かった所も
ありました。


なんだろうな〜。
最初はよかったのですが、後半が
要所要所に目印が少なくて、
本当にここを歩けば行けるのかと、
不安になることが多かったです。


できればもう少し案内看板等、
「のぼり」でもなんでもいいので
要所となる曲がり角などに目印を
増やして欲しいと思います。


それぞれの場所はお振る舞いなどもあって
よかったので、もう少し歩く人に親切な
七福神めぐりをお願い致します。


さて、お正月の七福神めぐりは
終了しましたが、今年はもう1つ、
七福神めぐりが控えています。
またその時には、記事アップしますので、
またご覧になってみて下さいね♪


立派な色紙
立派な色紙 posted by (C)ルンちゃん


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