2016年10月02日

井上源三郎資料館


多摩の史跡案内  〜その15〜

            井上源三郎資料館(源三郎生家)



新選組六番隊組長だった 井上源三郎の生家です。
平成16年1月10日に資料館として公開されました。


誠が目印!
誠が目印! posted by (C)ルンちゃん
この土蔵が目印!


土方歳三や源三郎の手紙や、
泰助(源三郎のおい)松五郎(兄)らの書状、
近藤勇が松五郎に贈ったという刀
「大和守源秀国」等が展示されています。


井上家の遠祖は井上掃部頭といい
室町時代初期には,駿河国に
住んでいたようです。


今川氏に仕えていたところ
桶狭間で主人は信長に討たれ、
後に甲斐の武田氏に仕えていると
またしても信長に滅ぼされ、
武蔵国日野本郷に移住し、
今の地に定住したといわれています。


井上家の三男だった源三郎は
家督は継ぐこともなく、
他家への養子にいくこともなく
日々農作業と剣術修行に
明け暮れていたことと思われます。


それが1863(文久3)年2月の
浪士隊上洛に、日野の人々と応募し、
人生を一変させたのは
みなさんご存知の通りです。


昭和になって、日野に在住していた
郷土史家の谷春雄氏(故人)が、
地元の新選組話に興味を持ち、
一番最初に調べ始めたのが、
こちらの井上家です。


昭和38年、当時存命の
井上家のお婆さん(泰助の息子の嫁)から、
泰助が叔父の源三郎の首を持って逃げ、
途中あまりの首の重さに、
どこかの寺の門前の田んぼに埋めた
という話も、その時に聞いたものです。
注…近年になって、その場所が判明しました


その後、井上家の土蔵を調べたところ、
歳三や源三郎の書状等、
新選組の関連史料が多数出てきました。


その土蔵が改装されて
資料館となっていったのです。


司馬遼太郎の
「新選組血風録」や「燃えよ剣」では
腕の未熟な風采の上がらない人物として
描かれていましたが、
実際の源三郎は剣の達人なんですよ^^


その証拠に「井上源三郎資料館」には
彼の免許皆伝書が残されています。
資料館に行ったときには
是非確認して欲しいですね!


井上源三郎資料館
住  所:東京都日野市日野本町4−11−12
開館時間:10:00〜16:30
開館日 :毎月第1・第3日曜日
     団体の場合は臨時開館も行うそうですので、
     問い合わせてみてください

※開館日、時間は変更する場合もあると思いますので、
 おでかけの際は確認くださいね。

源三郎さん宅へ
源三郎さん宅へ posted by (C)ルンちゃん

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posted by ルンちゃん at 22:06| Comment(0) | ・多摩の史跡案内 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年10月18日

甲陽鎮撫隊、集結の地

多摩の史跡案内 〜その27〜
   多賀神社 〜甲陽鎮撫隊、集結の地〜


八王子市役所近くにある多賀神社は、
八王子市街の西の鎮守さまです。


「西の総社」ともいわれ、夏に開かれる
『八王子まつり』
のご祭神の1社です。
(東は八幡八雲神社)

過去記事 ⇒ 八王子まつり


939(天慶元)年、武蔵介源義経基が、
いざなぎのみこと、いざなみのみことを祀り、
この地の繁栄を祈ったのが始まりとされています。


また1260(文応元)年には、
北条時頼が諸国巡行でこの地を訪れた際、
病にかかり、社殿に古鏡を奉納し祈願したところ、
すぐさま治癒したので、そのお礼にと
社領七反歩を寄進し祈願所にした
ともいわれています。


多賀神社
多賀神社 posted by (C)ルンちゃん


そんな由緒あるこの多賀神社には、
『1868(慶応4)年、甲陽鎮撫隊が
 甲州勝沼で敗退したとき、隊士たちが
 この八王子まで逃げのびこの地に集結した 』

という古老の言い伝えがあるそうです。


勝沼戦で、板垣退助率いる
東山道先鋒軍に惨敗した甲陽鎮撫隊は、
笹子峠を抜けこの八王子に戻ってきました。


彼らは一旦この地に集まり再起を図るべく、
ひとまず江戸に引き上げようと、
再び江戸へと向かったそうです。


また、この神社は八王子千人同心
信仰厚い神社でもありました。


1866年の第2次長州征伐の際、
大阪に赴いた将軍のお供として、
大阪に滞陣した八王子千人同心たち。


その組頭の神宮寺金一郎と川村豊左衛門、
そして塩野幸七郎の3人が、大坂の額細工司、
豊田左兵衛に扁額作成を依頼し、
この多賀神社に奉納したとのことです。


「多賀宮」と書かれたその扁額は今も現存し、
幕末期における貴重な千人同心関係資料として、
八王子郷土資料館 で大切に保管されています。

多賀神社 鳥居
多賀神社 鳥居 posted by (C)ルンちゃん


お祭りでにぎわうこの神社も、
今の時期は人影はなく、
ひっそり静まりかえった様子。


神社の境内には、
『八王子まつり』に繰り出される
千貫神輿(せんがんみこし)や氏子各町会の山車が、
出番が来るまで大切に、格納庫に保管されています。

多賀神社鳥居と洋灯
多賀神社鳥居と洋灯 posted by (C)ルンちゃん
入口には鳥居と、なぜか洋風の灯りが^^;
なんとなく不思議な光景でした


多賀神社
八王子市元本郷町4−9−21

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posted by ルンちゃん at 23:36| Comment(4) | ・多摩の史跡案内 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年01月27日

小仏関跡

多摩の史跡案内  〜その35〜
          小仏関跡 


JR線「高尾」駅前の国道20号線を
高尾山方面に歩いていきます。
ガードレールをくぐって
「西浅川」の交差点まで来たら右に曲がり、
一キロほど進んでいくと右側に碑が見えてきます。


それが「小仏関跡」です。


碑の前の道は「旧甲州道中(甲州街道)」のルート。
駒木野と呼ばれるその地には、かつて
「関東の三関」のひとつ、小仏(こぼとけ)の関所がありました。


甲府へと向かう道なので、たぶん甲陽鎮撫隊も
この関所を通ったことでしょうね。

小仏関跡1
小仏関跡1 posted by (C)ルンちゃん


現在の関所跡は江戸時代のものです。
それより前(戦国時代)は小仏峠に設けられていて、
富士見関と呼ばれていたこともありました。


北条氏の頃にふもとに下ろされ、
江戸時代になって徳川家康の命で
今の地へ移されたようです。


1623(元和9)年以降、
ここには4人の関所番が配備され、
明け六つ(午前6時)から暮六つ(午後6時)までの間、
関所を通過することができました。


ただし通過には手形が必要です。
名主に発行してもらった町人手形を携え、
自分の番が来ると番所の前の手形石に
その手形を置きました。


そしてもう1つの手付き石に自分の手をついて、
通過の許可が出るのを待ったそうです。
その手形石と手付き石は、今も残っています。

手形石と手付石
手形石と手付石 posted by (C)ルンちゃん


「入鉄砲に出女」といえば、
学校の教科書にも載っていましたね。
こちらの関所でも、かなり厳しく取り締まったようです。
ただし地元の人は下番を交替ですることもあって
自由な一面もあったようです。


そんな関所も江戸幕府がなくなると
1869(明治2)年には廃止となりました。
建物は壊され、今は手形石と手付き石だけが、
ポツンと残されています。

小仏関跡2
小仏関跡2 posted by (C)ルンちゃん

小仏関跡(国指定史跡 昭和3年1月18日指定)
八王子市裏高尾町420番地の1外

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