2009年07月21日

深大寺の天然理心流奉納額

多摩の史跡案内  〜その28〜

深大寺 元三大師堂 〜天然理心流奉納額〜

 
深大寺は、通称『厄除元三大師』とも呼ばれ、
733(天平5)年に開基されたという、
都内で浅草寺の次に古い歴史を持つお寺です。


元三大師(がんさんだいし)は、
天台座主(ざす)である良源のことで、
諡号を慈恵大師(じえだいし)といいました。


その慈恵大師の命日が正月の3日だったので、
「元三大師」と呼ばれるようになったのです。


元三大師は「厄除け」の霊験あらたかで、
除災招福や商家繁栄、良縁成就、交通安全等、
いつも祈願に訪れる人々で門前は賑わっています。


また、神社や仏閣でみかける「おみくじ」は、
慈恵大師が創始者ともいわれています。
つまり、誰もが馴染みのある方なんですね。


さて、この元三大師堂に入ってすぐ、堂内を見上げてみると、
大きな奉納額があるのに気付きます。


これが『天然理心流の奉納額』です。


この奉納額は天然理心流宗家五代目である、
近藤勇五郎とその門弟たちが奉納しました。


勇五郎とは、近藤勇の甥(勇の実兄・宮川音五郎の子)であり、
勇の娘・瓊子(たまこ)の婿でもある人物です。
そして近藤勇亡き後、この勇五郎が
天然理心流宗家を継ぎ、五代目となりました。



ここにある奉納額は、明治40年3月3日、
勇五郎の門弟達が日露戦争に出征した際に、
彼らの無事を祈って奉納されたものです。


その奉納額の立派さもさるものながら、
重厚な佇まいは、彼らの祈りと共に
重く心にのしかかってくるほどです。


毎年3月3・4日には『だるま市』で賑わい、
また、門前に店が並ぶ深大寺そばは、
350年以上の歴史を持つ深大寺の名物となっています。


深大寺に訪れた際には、
是非、このそばの味もご賞味下さいね。

東京都調布市深大寺元町5−15−1

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2009年04月11日

近藤先生の碑

多摩の史跡案内  〜その25〜

     清水寺(せいすいじ) 〜近藤三助の慰霊碑〜

東京都町田市相原町の清水寺(せいすいじ)は、
一見すると新しいお寺のように見えますが、
奥へと足を進めると、
風情のある建物が見えてくる
不思議な場所です。

清水寺
清水寺 posted by (C)ルンちゃん


1624(寛永元)年頃からあるお寺のようですが、
幕末になってから、当時の名主であった
青木勘次郎易道
を中心とした
村民たちが整備し、
今のようになったということです。


急な階段を登ると
観音様が安置されている観音堂があり、
そのため昔は「相原観音」とか
「坂下観音(地名から?)」とか
呼ばれていたそうですよ。


そして、このお寺の敷地内に
近藤先生碑という
天然理心流二代目近藤三助の
慰霊碑
があります。

清水寺の近藤先生碑
清水寺の近藤先生碑 posted by (C)ルンちゃん


この碑は幕末の頃、
先ほどの青木勘次郎易道らが、
三助の七回忌のときに建てたものです。
三助はこの地にも足を運び、
天然理心流を広めていたんですね。


台座には53人の名が連なっていますが、
その中に近藤勇の義父、
近藤周助の名もあるようです。
ちなみに周助の実家の小山町は
この近くになります。


碑はかなり痛んでいますが、
その裏面には、
近藤内蔵助や三助の文字を
確認することができます。

内蔵助の文字
内蔵助の文字 posted by (C)ルンちゃん
画像クリックで、文字が確認できます^^



行ったときには満開の桜が風に揺れ、
桜吹雪の中で、
とても幸せな気分を味わえました。
四季折々に、チョッとした風情を
味わうことのできる空間です。

臨済宗清水寺/東京都町田市相原町

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2008年11月06日

保井寺

多摩の史跡案内 〜その24〜

     保井寺 〜斎藤一諾斎の墓〜


4月の中旬に、五色椿の美しく咲きほこる保井寺は、
およそ400年前の天正年間に
井上掃部之輔頼秀が開基、
永林寺第四世妙庵長銀上人が開山した寺です。

保井寺山門
保井寺山門 posted by (C)ルンちゃん


もとは鳳栖庵と呼ばれ、
小庵としてあったものですが、
井上家の菩提寺となってからは、
保井寺と呼ばれるようになりました。
ご本尊は虚空蔵菩薩です。


この寺には、新選組隊士だった
斎藤一諾斎(いちだくさい)の墓があります。

一諾斎墓所への案内看板
一諾斎墓所への案内看板 posted by (C)ルンちゃん


栗塚旭主演のテレビドラマ「燃えよ剣」では、
斉藤一が一諾斎を名乗ったように
描かれていましたが(もちろん原作も)
斉藤一
斎藤一諾斎は全くの別人です。


斎藤一諾斎は慶応4年3月当時、
甲州都留郡強瀬村の全福寺の住職でしたが、
近藤・土方率いる甲陽鎮撫隊に
物資を提供するなどで、全面協力
をしました。


一諾斎は還俗(げんぞく)の後、
彰義隊として参戦しますが、
その後、新選組に入り会津戦争に参加し、
仙台において離隊、明治政府に降伏します。


釈放後、土方の親戚である
日野の佐藤家に立ち寄っています。
八王子で寺子屋を開くことになり、
地域の教育にあたるようになりました。


病気の為、一旦は甲州に戻りますが、
再び八王子に赴き、明治7年12月18日
62歳で生涯を終えるまで、
終始、地域教育の普及に尽力したのです。


この保井寺は、
かつて一諾斎の寺子屋での教え子であった、
保井寺二十三世が亡き恩師を埋葬した場所です。
彼の寺子屋があった場所は、
八王子市立柚木東小学校として
今も子供たちの学び舎となっています。


一諾斎の教育への情熱は、今もなお
この地に引き継がれているのです。

斎藤一諾斎の墓
斎藤一諾斎の墓 posted by (C)ルンちゃん

          お墓の脇の説明碑

お墓の脇の説明碑 posted by (C)ルンちゃん


竜沢山保井寺(曹洞宗)
東京都八王子市堀之内547

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