大江戸新選組史跡めぐり
PART.5 麻布 一之橋 〜清河八郎暗殺の地〜
麻布十番からすぐの場所に、
一之橋という橋がみられます。
ここは清河八郎が、幕府の刺客・佐々木只三郎らに
斬られた場所といわれています。
清河八郎は、新選組の前身・浪士隊を結成した人物。
この人がいなければ、近藤勇らはたぶん
京都へ行かなかったでしょうし、
新選組もなかったかもしれません。
そういう意味では、
新選組にすごく縁のある人物ですよね。
近藤勇らと決別し、京から戻った清河は、
浪士組で集めた浪士達を使って、
攘夷を実行しようと計画します。
でも彼の行動は幕府が追っていて、けっきょく
幕府の刺客に襲われ絶命するのです。
文久3(1863)年4月13日のその日、
上ノ山藩士の金子与三郎に招かれ
一之橋近くの金子宅を訪問し、
その帰り道での出来事でした。
金子宅を訪問する前、
清河は高橋泥舟宅に立ち寄ります。
そこで泥舟の妻の澪に、歌を渡したそうです。
その歌のひとつが有名な
「魁がけて またさきがけん 死出の山
迷はせまじ 皇(すめらぎ)の道」でした。
清川には、何か感じるものがあったのかもしれませんね。
そんな清河の様子に、泥舟や澪は不吉なものを感じ、
金子家訪問を引き止めますが、
「約束を破るわけには行かない」と外出し、
そのまま帰らぬ人となったのです。
今の一之橋には、当時のおもかげはなにもなく、
「一之橋」という文字がなければ
そのまま通り過ぎてしまいそうな場所ですよ。
一之橋 posted by (C)ルンちゃん
ところで、アメリカの通訳士だったヒュースケンは
清河が結成した「虎尾の会」のメンバーでもある
樋渡八兵衛や伊牟田尚平らに暗殺されました。
その暗殺現場が、清河が暗殺された「一之橋」から
ほんのすぐそばの「中之橋」付近だったのです。
偶然ではありますけど、
清河にとっては皮肉な出来事にも思えますよね。
歴史は時に、不思議な巡り会わせを
与えてくれるものです。
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