2013年10月29日

「大久保長安と八王子」展

チョッと前に、「大久保長安に関する
いろいろな企画が八王子で立てられているようだ」
というような話をさせていただきました。


もちろん長安は、活躍した時期も
新選組とは全く異なりますし、
直接関係もありません。


でも江戸時代の初期、
江戸幕府に深く関わっっていた人ですし、
八王子千人同心にも関係していました。


そして何より、八王子の町作りに尽力した方なので、
どのように関わっていたのか、とても興味がありました。
そんな理由から、長安のことが知りたくて
行ってみましたよ


平成25年度大久保長安没後四百年記念事業
「大久保長安と八王子」展
平成25年10月22日(火)〜
            11月24日(日)
                 By八王子郷土資料館


大久保長安と八王子
大久保長安と八王子 posted by (C)ルンちゃん


特別展を行っているのは、
JR八王子駅南口から徒歩15分の
八王子郷土資料館です。ルンちゃんも
何かと利用させていただいている場所ですよ。
(高尾山とか新選組とか、他にもいろいろ^^)



展示は1階の特別展示室。
いつも特別展示はこちらで行っています。


今回の展示では、
八王子市内にある発給文書の他、佐渡や下田などの
長安ゆかりの地に伝えられた資料の展示も
ありました。


一番馴染みのあるのは「大久保長安像」ですね。
こちらは手のひらに乗りそうなコンパクトな坐像ですが、
何かと写真に載るので、親しみを感じます。


でもいつもは正面しか見られないので、
今回はじっくり裏面(後頭部)も見させて貰いました。
ところどころ表面が剥がれていますが、
古いものなので仕方がないのでしょうね。


今回の展示はもちろん、
大久保長安に因んだ物ですけど、
「へェ〜」とか言葉が出そうな物もありましたよ。


例えば「武蔵御嶽神社釣鐘」
青梅市にある御岳山は私も時々訪れる場所です。
(今年はふもとまで行った^^)


修験場として利用された場所で、
関東の幕府や武士からの沢山の武具が奉納されています。
じつは慶長10(1605)年に、
大久保長安が普請奉行となって、
本社を建立しているのです。


また「大久保長安制札」というのもあって、
これは高尾山の木を許可なく伐採する者を
捕らえるようにとの書状です。


これらはルンちゃんにとっては
とても身近な場所であり、
それらひとつひとつに長安が関わっていたことが、
驚きなんですよね。
(えっ?これもそうなの?っていう感じ)


長安ゆかりの展示品は、
そんなに多くはありませんでしたが、
新たな発見ができたので、よかったですわーい(嬉しい顔)


ちなみに長安関連のイベントは他にもあり、
そちらも体験してきたんですよね〜。
それは次回にお話ししますね〜。

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2013年04月09日

「八重の桜」展に行ってきました


今、江戸東京博物館で
「八重の桜」展が開催されています。
特別展の期間は3月12日〜5月6日。
そんなわけで、私も行ってみましたよ。

「八重の桜」展
「八重の桜」展 posted by (C)ルンちゃん


大河ドラマ「八重の桜」に連動した内容で、
新島八重(山本八重)さんに関連した
200点余りの品々が展示されています。
八重さんの出身である会津(会津藩)にゆかりの品も
多数展示されていることを期待しつつ、
博物館を訪れてみました。


さて内容は「プロローグ」から始まって、

 第一章 会津の教え
 第二章 幕末の京都 
 第三章 会津籠城 
 第四章 古都復興―覚馬と襄―
 第五章 ハンサムウーマンへ


そして「エピローグ」という構成でした。


「第一章 会津の教え」
は、
会津藩の「什の掟」や
日新館のことについての展示です。
八重も会津に生きる武家の女性として、
しっかり教育されたことがわかりますよ。


この章では、ドラマでも登場した「家訓」や
追鳥狩の様子を描いた「追鳥狩之図屏風」が
見ものです。
これらを見るとドラマでの各シーンが
蘇ってきますね。


「第二章 幕末の京都」
は、文久2年(1862)に
京都守護職に就任した会津藩主・松平容保様がメインです。
硯箱や煙草盆など、容保様の愛用品がありましたが、
どれもとても品があって、使用されていた容保様の
品格や性格が感じられるようです。


また、照姫様の和歌なども展示され、
とても繊細な照姫様の様子を
知ることもできました。


それから京都守護職の章なので、
新選組にちなんだ品もありましたよ。
「池田屋事件感状」や「島田魁日記」など、
見たことのある品ではありますが、
やっぱり新選組関連になると、
自分のテンションが高くなるのがわかりますね〜。


でも今回は、それ以上に
心に響いてしまう物がありました。
それが、こちらです。


孝明天皇のご宸翰
(しんかん)



孝明天皇が松平容保様宛てに直接書かれた文書です。
大河ドラマでも登場していましたね。
以前、私はこのご宸翰を会津の地で拝見していて、
あのときも胸が痛くなったものです。


これは会津藩が逆賊ではなかったという
証(あかし)でもありますからね。
明治の世になって
「容保がこれを持っているのはおかしい」
という動きがあって(逆賊なのにという理由らしい)
高値で買い取ろうとする動きもあったようですよ。


でも容保様は断固、拒否されたのだとか。
容保様は生涯、このご宸翰を大切にされ
肌身離さず持っていたのだそうです。


この章では山本覚馬も登場します。
彼が囚われて薩摩藩邸に幽閉された時に書いた
(正確には野沢鶏一に口述筆記してもらった)
『管見(建白書)』の内容も一部展示されていました。


ただ最初の部分だけなので、
肝心な「政体」「義事院」「学校」「建国術」などの
内容については見られなかったのが、
ちょっと残念でしたね。


「第三章 会津籠城」
はその名の通り、
鶴ヶ城での籠城戦の項です。ここで再び新選組(名簿)も登場。
そして、奥羽越列藩同盟の旗が印象的でした。
他にも会津戦争関連の品々が続きます。


ここでまた、会津でも見た涙血氈(きゅうけつせん)
を見ました。『涙血氈』とは、会津藩が降伏し、
その降伏調印の場に敷かれた
緋毛氈(ひもうせん)のことです。
この緋毛氈の上で松平容保・喜徳公父子は(逆賊扱いの)
降伏の調印を行ったのです。
これはどんなに悔しかったことでしょうね。


式の後、会津藩士たちはこの日の無念を忘れぬようにと、
涙ながらに、その場の緋毛氈を切り刻み
持ち帰ったといわれています。


その赤い布ぎれが『泣血氈』でした。
この気持は会津藩士誰もが持っていたでしょうね。
もちろん八重さんも同じでしょう。


籠城戦の後、八重が三の丸の白壁に
笄(こうがい)で和歌を刻んだ
といわれています。それが、

「明日の夜は何国の誰かなかむらん 
     なれし御城に残す月かげ」です。


これが当時の八重さんの思いですね。


「第四章 古都復興―覚馬と襄―」

ここで新島襄の登場です。
八重と新島襄のゆかりの品々が並びます。


この章の展示品は見たことがないものばかりで
面白かったですね。同志社社史資料センター提供の品が多く、
こんなときじゃなければ見られませんよね。


山本覚馬と薩摩藩のつながり、
そして覚馬と襄のつながりが
いろいろわかる展示になっています。


新島襄さんて、私の中では
「同志社大学を作った人」くらいの
イメージしかありませんでした。
でも今までいろいろな史跡巡りをしている地で、
何度もお会いした人だったのです。


例えば安中でしょ、京都でしょ、そして函館。
別の件で巡っている私の史跡ルートの中に、
何度も登場してくる人物、それが襄さんでした。


特に襄さんについて調べていたわけではないので、
なぜその場所に彼が登場するのか
わからなかったのです。


でも最近になってこの複数の「点(地点)」が
線として繋がるようになりました。
それだけ多少なりとも、新島襄さんについて
知ったということかしらね。


会場には八重さんと襄さんの暮らした
京都の部屋が復元され、
また襄さんの所持品も多数展示されていました。
この展示では彼の内面に触れた気もしますね。


例えば手紙。あんなに長くて
字の細かい手紙は初めて見たかもしれません。
手紙の内容から、八重さんと襄のことが偲ばれます。
数々の展示で二人の心に触れたようで、
なんだかとてもやさしい気持にもなれました。


「第五章 ハンサムウーマンへ」

襄は八重に何を見たのか。
たぶんそれはこの一言に尽きるでしょうね。
それは「内なる美」です。


襄さんは八重さんと出会う前に、
自分の結婚相手に求める理想像を、
父宛の手紙に書いています。そこには
「内面が素晴らしく、教養をもった人」が理想で、
日本の女性のような「何か」がない女性とは
生涯を共にすることは絶対に出来ないと
書き綴っていたそうです。


でもその理想を満たす女性が、
まもなく襄さんの前に
現われたっていうことですよね。


襄が亡くなった後の八重さんは、
その後も活動的に過ごします。こういうところが
襄のいう「ハンサム」なのでしょう。


「日本赤十字社篤志看護婦人会正装用帽子」などの
展示が続きます。


 
「エピローグ」

そして最終章。
ここでは昭和3年(1928)に行われた、
昭和天皇の皇弟・秩父宮雍仁親王の
婚儀について語られています。


妃殿下になられたのは、
旧会津藩主松平容保の孫にあたる
勢津子様(成婚にあたり節子を改名)ですよ。


この婚儀は
「逆賊」「朝敵」の汚名をきせられた
旧会津藩士族にとっては、
その復権に繋がるものとして、
大いに喜ぶべきものでした。


あの『泣血氈』を刻んだ日から
60年も経ってからのことです。


その年の11月17日、
京都の黒谷で取られた
京都会津会秋季例会での集合写真が
最後の展示品です。


そこには、会津松平家当主保男、
松平恒雄、山川健次郎などと共に
八重さんの姿もありました。


その時参列した人々の心の中には、
同じ想いで満たされていたことでしょう。
写真パネルの前に立つと、
そんな会津の人たちの想いが
伝わってくるようです。


というわけで、200点余りの展示は
とても見ごたえがありましたよ。


八重さんについては、会津戦争での話は
以前から知っていましたが、
今回の展示によって、より一層深く
彼女を知ることができたと思います。


特に彼女の生き様には、
見習いたい部分がありますね。「内なる美」は
すぐに顕れるものではないでしょうけれど、
私も少しは、それが見出せるように努力したいです。


がんばろうっと!!

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2012年08月25日

二条城展


今、江戸東京博物館で
「二条城展」が開催されています。
夏休みを利用して、
私も見学に行ってみましたよ。


江戸東京博物館 開館20周年記念特別展
二条城展
 
期間:7月28日(土)〜9月23日(日)



京都の二条城はとても有名な場所ですよね。
修学旅行の見学先としても、
沢山の学生さんが足を運んでいます。
かくゆう私も二条城に初めて訪れたのは、
修学旅行の時でした。


その二条城は今、
築城以来の大修理を行っている真っ最中なんです。
そういえば、昨年の9月でしたっけ? 台風の影響で、
二条城の北方多門塀などが剥がれ落ちたという
ニュースがテレビで流れたのは…


築城から400年も経っているのですから、
台風の影響じゃなくても、いろいろと
痛んでいる箇所が出てくるのでしょうね。
今回はその修理に合わせての展示だそうですよ。


つまり、
本来なら京都でしか見られない彫刻などが、
修理にともなって外されていて、
それが東京まで運ばれ、
江戸東京博物館で
展示されているというわけです。


これって時間や費用の面でとってもお得で、
すごくありがたい気がしませんか?
私はそう思って出かけてみたんですけど、
実際に展示品は、
すごく見ごたえのあるものでしたよ。


さて、それでは中の様子などお伝えしますね〜
見学のコーナーは6つに分けられていましたよ。


第1章 二条城創建 ―京に響く徳川の天下―
第2章 二条城大改築 ―東福門和子の入内と寛永の行幸―
第3章 寛永障壁画の輝き 
  ―日本絵画史最大の画派、狩野派の粋―
第4章 激動の幕末 ―大政奉還の舞台として―
第5章 離宮時代 ―可憐なる宮廷文化の移植―
第6章 世界遺産二条城 ―文化財を守る・伝える―



二条城は、徳川幕府の始まりと その繁栄、
そして終焉までの大事な各場面に
関わってきたお城です。


例えば、将軍が参内するにあたっての拠点でしたし、
大阪の陣においての家康の本陣でもありました。
将軍家の姫君・和子(まさこ)様の入内や、
後水尾天皇の二条城行幸の舞台ともなっています。


そして、大政奉還は
あまりにも有名なお話ですよね。


その江戸幕府の始まりから終わりまでを、
建物内の障壁画や屏風、彫刻等をメインに
展示紹介しているのが
今回の特別展の特徴です。


第1章 二条城創建 ―京に響く徳川の天下―

こちらでは、二条城の屋根にある「鬼瓦」や「鯱瓦」など、
普段なら近くで目にすることができない部分を
じっくり見学することができますよ。


顔やウロコの部分がはっきりしていて、
海獣のシャチとは違う架空の動物「鯱」の
正体を知ることができます。


「洛中洛外図屏風」の展示は、
当時の洛内の様子を感じることができますね〜。
京都に行けば必ず目にする二条城なんですけどね、
屏風の風景と現代の風景とは、やはり違います。


屏風絵の世界は、すごく華やかで活気がありますね。
屏風が大きいので、たくさんの人も確認できます。
すべてを見るとしたら、時間はかなり掛かりますね。


第2章 二条城大改築 ―東福門和子の入内と寛永の行幸―

徳川家(幕府)と朝廷が姻戚関係になった、
和子(まさこ・東福門院)様の入内に関わる展示品です。
和子様は、昨年の大河ドラマの主人公だったお江様と
徳川秀忠公の娘ですね。
(この辺りは大河ドラマの影響で、記憶に新しい^^)

和子様や後水尾天皇、
秀忠・家光公のゆかりの品々が見られました。


このコーナーで私が興味を持ったのは、
「釘隠し」です。
金色の大きな楕円形をしていて、
葵の紋の彫刻が施されています。
これは大政奉還の際に大名達を集めた大広間のある
二ノ丸御殿内の釘隠しです。


教科書にも載っている「大政奉還の図」にも、
しっかり描かれていましたね〜。
それを間近に見ることができたので、
よかったです。


今回の展示品の中で圧巻なのは、
第3章 寛永障壁画の輝き 
―日本絵画史最大の画派、狩野派の粋―

にある城内の障壁画ですよ。二条城内で見ると、
それぞれの部屋自体が大きいので、
ここまで極端に感じられないのかもしれませんけど、
今回のように展示されると、その大きさに圧倒されます。


障壁画は複数展示されています。
例えば有名な遠侍二の間にある「虎(豹)の絵」、
大広間四の間にある「松鷹の絵」など、
狩野派の描いた作品をたっぷり見ることができますよ。


私は動物が好きなもので、つい
生き物に目がいってしまいがちです。
描かれた虎や豹の足や、顔の表情、
また鷹の鋭い目や足など実物にも劣らぬ躍動感に
少なからず感動したのでした。


ただ、チョッと不満に思っていたのは、
遠侍二の間や大広間四の間などが、
城内のどの位置に配置されているのか
全くわからないことでした。
ですからイメージがつかみ難い。


「障壁画近くに、それぞれの配置図も付けといて欲しい」と
見ながら思っていました。


でもその後、展示品の奥の方に行ったら、
それらが全部わかるCG画像があったんですね。
各部屋の配置の他に部屋の立体的映像もあり、
これを見ることで全体のイメージもつかめます。
もし展に出かけることがあったら、
あなたにも必ず見て欲しいですね。


障壁画に圧倒され、
若干放心気味だったのですが、
このあと次のコーナーに行って、
肝心なことを忘れていたことに
気付きましたよ。


そうです。幕末時代をまだ見てない…


第四章 激動の幕末 ―大政奉還の舞台として―

ペリーの来航以降の
二条城に関わる品が展示されています。
家光以降、将軍が二条城を訪れるのは
この幕末時代なんですよね。


そしてその時、上洛したのが14代・家茂公です。


このコーナーには、
家茂公の肖像が展示されています。
私が見たのは、
川村清雄の描いた肖像画(8/26までの展示)です。


この絵は有名ですよね。
でもナマで見たのは初めてだったので、
すごく新鮮な感じがしましたよ。
家茂公がとても凛々しい。


それから陣羽織。刺繍が繊細で
当時の技術の高さにも驚きます。
他にも慶喜公の肖像画や軍帽などもありましたが、
ここで、気になるものを発見!


それは、新門辰五郎の遺品のひとつです。
「丸に三つ引き紋」の入った胸当なんですけど、
「近藤勇からもらったかも?」
  ← この辺が微妙^^;
みたいに書かれた品物なんですよ。


何でも今回の展示にあたって、
調査スタッフが遺品の寄贈者から
辰五郎の娘・祐は幼い頃に、
    近藤勇に背負ってもらったことがある

というエピソードを聞き取ったのだそうです。


実際に交流があったかどうかまでは、不明だそうですが、
(今までには聞いたことがないし…)
もし、これからその証拠が出てきたら、
いろいろと面白いことになりそうですね。


第5章 離宮時代 ―可憐なる宮廷文化の移植―
第6章 世界遺産二条城 ―文化財を守る・伝える―

こちらは明治以降の二条城で、
離宮として使用されていた時代、
そして市民に公開され、
世界遺産に登録された現代へと続きます。



見学してから既に1週間以上経ちますけど、
今でも強く印象に残っているのは、
あの大きな障壁画の数々と、
辰五郎さんの遺品の「胸当」ですね。


この二条城の大修理は、
完了までに20年もかかるそうですよ。
次回京都に行ったときには、
どこまで見学できるのかしら?


その辺りはわかりませんけど、
いつか再びかの地を訪れ、
あの障壁画の虎や鷹たちに
会ってみたいものです。

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