1月も半ば過ぎ、1月17日。
その日は、今年初めての
大人の遠足でした。
大人の遠足は、私の趣味である
「街道歩き」から生まれた有志の会で行っているもので、
昨年は「鎌倉」「浦賀」「真鶴」「三浦半島」などに行きました。
そして今年の第一弾は、
本所・深川散策!本所・深川といえば、いろいろ名所・旧跡がありますけど、
じつはルンちゃん、あの界隈の見学は初めてだったんです。
ですから、とても楽しみにしていました。
ブログにすぐに載せたかったんですけど、
仕事が多忙でなかなか編集ができず、
本日やっとアップできました。
どうぞご覧下さいね〜。
最初に訪れたのは、こちらですよ。
☆勝海舟誕生之地(墨田区両国4-25-3)
両国駅から数分の所にある両国公園です。
この地に海舟の父・小吉の実家である男谷家がありました。
海舟は父の実家で生まれたんですね。
ちなみに男谷といえば講武所師範役筆頭の
男谷精一郎を思い浮かべると思いますけど、
彼の道場があった所がこちらなんですよね。
海舟は従兄弟である男谷精一郎や門人に、
剣を学んだのです。
勝海舟の誕生地碑 posted by
(C)ルンちゃんこの碑は明治100年を記念して建てられたもので、
西郷吉之助さんが碑の文字を書きました。
といってもこの吉之助さんは、
西郷隆盛のご子孫にあたる方だそうです。
☆吉良邸跡【本所松坂町公園】 (墨田区両国3−13−9)
話をしながら歩いていたら、いつのまにか
吉良上野介の旧敷地内に入っていました。
討ち入りのあった吉良家上屋敷の広さは、
約8400?(2550坪)あったというから驚きますよね。
現在、本所松坂町公園といわれているところが、
吉良邸跡として残されている一隅で、
町の有志が発起人となって購入し、
残した土地だそうです。
(当時の敷地の1/86に当たる部分。
今は区に寄付されています)
吉良邸跡【本所松坂町公園】 posted by
(C)ルンちゃん
よくテレビで放送されますよねその公園に入ってみると、
上野介の首を洗ったといわれる井戸をはじめ、
邸内で討ち死にした吉良の家臣の供養碑や、
上野介追慕碑があります。
吉良邸に上野介ゆかりのものがあるのはもちろんですけど、
赤穂義士の絵や名前も同じように置かれています。
吉良邸なのにね^^;
例えて云うなら、新選組屯所に
桂小五郎や高杉晋作が
ドカッと居座っているような感じでしょうか^^;
新選組ファンとしては、
そうなると複雑な心境ですけどね。
こちらではそれはないのか、
同じ敷地内にいっしょにあります。
町では「義士祭」や「吉良祭」も
行われているというので、
うまくやっているのでしょう
(深く考えないでおこう^^;)
ちなみに吉良上野介は、忠臣蔵では悪者ですけど、
自分の領地では町の発展に尽力した方で、
名君として評判が高いそうですよ。
本所松坂町の碑 posted by
(C)ルンちゃん
☆回向院(墨田区両国2−8−10)
1657(明暦3)年の世にいう「振袖火事」の際、
被害にあった10万人以上の死者の供養のために
建てられたのがこのお寺です。
その後の安政の大地震(1855年)や
関東大震災(大正12年)の万単位の死者の供養も
行われているという、歴史的に
重々しい感じのするお寺です。
赤穂浪士が吉良邸から退去し、
休憩を取ろうとこの寺に来たところ、
かかわり合いになるのを避けた寺側に
入れてもらえなかったというエピソードがあります。
歴史上の人物のお墓もありますよ。
ねずみ小僧次郎吉は有名ですね。
回向院のねずみ小僧のお墓 posted by
(C)ルンちゃん
「博打で勝てる」という迷信があるため
この方のお墓を削って持ち去るのが有名ですね。
今はそんな人のために、
削り用の墓石が手前に置いてあります。
以前見た写真より、だいぶ削られてますね〜。
☆大高源吾の句碑両国橋のたもとにある句碑です。
これは討ち入りの夜に、
赤穂浪士の一人だった大高源吾が
俳句の師匠の宝井其角に両国橋で会った際に
詠んだ句といわれています。その話にちなんで、
この両国橋に建てられたものです。
この話は忠臣蔵の映画やテレビドラマなどでも
エピソードとして登場しますので、
私もよく知っています。
大高源吾の句碑 posted by
(C)ルンちゃんついでに、大高源吾といえば幕末の「池田屋騒動」では、
その末裔と称していたとされる大高忠兵衛が、
小説などに登場しますね。
実際のところは
縁はなかったといわれていますけど、
一応、写真を撮ってみましたよ〜。
☆芭蕉記念館(江東区常盤1−6−3)
芭蕉記念館 posted by
(C)ルンちゃん
松尾芭蕉にちなんで、
芭蕉の木が植えてあります。私が以前から来たいと思っていた場所です。
「奥の細道」の序文にも出てくる芭蕉庵が
この辺りにありました。
芭蕉記念館の句碑 posted by
(C)ルンちゃん
草の戸も住み替る代ぞひなの家有名な句の碑も置かれています。
芭蕉は旅に出る前、
なれ親しんだこの住処を人に譲り、
門人の杉山杉風(さんぷう)の別荘に移り、
そこから旅立っていったのでした。
芭蕉が立った場所から posted by
(C)ルンちゃん今はその当時の情景などありませんけど、
なんとなくその場に立てば、
「奥の細道」を読んだときに
想像した場面が思い出され、
しみじみとした味わいがあります。
☆芭蕉稲荷神社(江東区常盤1−3)
記念館のすぐ近くにある神社です。
芭蕉庵の確実な場所はわかっていませんでしたが、
大正6年の大津波の後に、この場所から
芭蕉のお気に入りの
石の蛙が出土されて、
この場所が芭蕉庵だったといわれるようになりました。
芭蕉稲荷神社 posted by
(C)ルンちゃん
☆清澄(きよすみ)庭園(江東区清澄3−3−9)
現在放送中の大河ドラマ「龍馬伝」に登場する
岩崎弥太郎が作った庭園です。
もともとは紀伊國屋文左衛門の屋敷だった
ともいわれている場所で、弥太郎はこの地を
社員の慰安や、賓客の招待に使ったそうですよ。
なんとなく、以前行った「浜離宮」に似ています。
遠くにビルがある、という景色が似ているのでしょうか。
でもこちらの池の水は淡水で、大きな鯉がたくさんいました。
(浜離宮は海水)
☆霊厳寺(東京都江東区白河1-3-32)
江戸時代の三つの改革のうちのひとつ、
「寛政の改革」を行った
松平定信公のお墓があります。
教科書にも載っている有名な方ですね。
名前はもちろん知っていましたが、
8代将軍吉宗の孫にあたる方だったんですね〜。
霊厳寺 posted by
(C)ルンちゃん
こちらの敷地の広い一画に
松平定信公のお墓があります。教科書は、当人の
ほんの一瞬だけのことしか書かれていませんので、
どんな人物でも、深く調べてみると
面白いのかもしれません。
(それは新選組で実証済みですけど^^)他にも「紀伊国屋文左門の碑」や、
「江島杉山神社」「深川不動堂」「富岡八幡宮」など、
いろいろなものを見てきましたよ。
紀伊国屋文左衛門の碑 posted by
(C)ルンちゃん滝沢馬琴の誕生地 posted by
(C)ルンちゃん本所・深川界隈は、マップを見てみると
沢山の名所・旧跡があり、1日では到底
見てまわれません。
「文豪」「江戸時代」「相撲」など
テーマを決めて歩いてみると
なかなか楽しめる場所のようです。
私も次回は「幕末」にテーマを絞って、
再び訪れてみたいです。
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posted by ルンちゃん at 00:31|
Comment(2)
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大人の遠足^^
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