2010年06月16日

お龍さんゆかりの横須賀へ

この前の日曜日(6/13)に横須賀へ行ってきました。
いつもの趣味のウォーキングなんですけど、
行ってみたいと常々思っていた場所が見学地だったので、
とても楽しみにしていました。


今回の訪問先は、お龍さんゆかりの場所ですよ。
おりしも大河ドラマ「龍馬伝」では2〜3話くらい前から
お龍さんが登場していて、
なんとなく親しみも湧いてくるようです。


さて、横須賀にあるお龍さんゆかりの場所のひとつは、
「横須賀中央駅」を10分ほど歩いたところにある
『お龍さん終焉の地』
です。

お龍さんの終焉の地
お龍さんの終焉の地 posted by (C)ルンちゃん


坂本龍馬が亡くなった後、お龍さんは
土佐の龍馬の実家でしばらく暮らしますが、
居心地が悪かったようで、ほどなくその地を離れ、
京都〜大阪〜東京〜神奈川と移り住みます。


そして明治8年に再婚するのですが、
晩年に住んでいたのが、
この米が浜(当時の深田村)だったとか。
現在は「おりょう会館」という
メモリアルホール(葬儀場)になっていて、
入口正面にお龍さんの像が建てられています。

お龍さんの終焉の地は今…
お龍さんの終焉の地は今… posted by (C)ルンちゃん
             お龍さん像
               お龍さん像 posted by (C)ルンちゃん
               晩年の写真に似ていますね



周りには当時を偲ぶものはなく、
「おりょう」という文字がなければ、
この場所もわかりませんよね^^;


しかもここへ来るまでは、「おりょう会館」が
メモリアルホールだとは思いませんでしたので、
チョッとびっくりしました。


その「おりょう会館」から2駅くらい歩いたところに
『お龍さんの墓』
のある信楽寺(しんぎょうじ)があります。

信楽寺の山門
信楽寺の山門 posted by (C)ルンちゃん


門前にお龍さんの写真入り案内看板がありますよ。
お龍さんと伝わる例の美人の写真です。
本堂には龍馬とお龍さんの像などもあり、
想像していたのと少し違った雰囲気でしたね。
(賑やかなイメージ)


信楽寺の龍馬&おりょう像
信楽寺の龍馬&おりょう像 posted by (C)ルンちゃん


そして本堂から、お墓の方へ…

信楽寺のお龍さんの墓
信楽寺のお龍さんの墓 posted by (C)ルンちゃん


お龍さんの墓碑には
「贈正四位阪本龍馬之妻龍子之墓」と刻まれています。
(「阪」の字が違うけど)

西村松兵衛という人と再婚し、再婚後には
「西村ツル」と名乗っていたはずですけど
墓石には「龍馬の妻」と刻まれています。


龍馬とお龍さんが夫婦として過ごしたのは、
2年にも満たない歳月。
しかも龍馬は奔走の身、1箇所に留まることはなく…
日本で最初の新婚旅行といわれる、薩摩での傷治療が唯一、
ふたりでのんびり過ごした時間でしたよね。


つかの間でも一生のうちでは「龍馬の妻」としての想いは強く、
そんなお龍さんの心情も汲んで周囲の人が建てたので、
「龍馬の妻」としての墓碑もありなんでしょうね。
(ちなみに裏面には実妹が建立したと刻まれ、
台座には「賛助人西村松平(松兵衛)」の名前もある)



この二つが、今回立ち寄ったお龍さんゆかりの場所でした。

お龍さんののぼり
お龍さんののぼり posted by (C)ルンちゃん


横須賀市は浦賀も含めて、
幕末時代の史跡がたくさんあります。
私自身、まだまだ未踏の街なので、
行く度に発見があって面白いです。


次回の記事もそんな発見のレポートになりますので、
よかったら読んで下さいね〜わーい(嬉しい顔)

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posted by ルンちゃん at 10:35| Comment(0) | 大人の遠足^^ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年01月22日

勝海舟誕生地&本所・深川散策


1月も半ば過ぎ、1月17日。
その日は、今年初めての
大人の遠足でした。


大人の遠足は、私の趣味である
「街道歩き」
から生まれた有志の会で行っているもので、
昨年は「鎌倉」「浦賀」「真鶴」「三浦半島」などに行きました。


そして今年の第一弾は、本所・深川散策!


本所・深川といえば、いろいろ名所・旧跡がありますけど、
じつはルンちゃん、あの界隈の見学は初めてだったんです。
ですから、とても楽しみにしていました。


ブログにすぐに載せたかったんですけど、
仕事が多忙でなかなか編集ができず、
本日やっとアップできました。
どうぞご覧下さいね〜。


最初に訪れたのは、こちらですよ。


勝海舟誕生之地
(墨田区両国4-25-3)
両国駅から数分の所にある両国公園です。
この地に海舟の父・小吉の実家である男谷家がありました。
海舟は父の実家で生まれたんですね。


ちなみに男谷といえば講武所師範役筆頭の
男谷精一郎
を思い浮かべると思いますけど、
彼の道場があった所がこちらなんですよね。
海舟は従兄弟である男谷精一郎や門人に、
剣を学んだのです。

勝海舟の誕生地碑
勝海舟の誕生地碑 posted by (C)ルンちゃん


この碑は明治100年を記念して建てられたもので、
西郷吉之助さんが碑の文字を書きました。
といってもこの吉之助さんは、
西郷隆盛のご子孫にあたる方だそうです。


吉良邸跡【本所松坂町公園】
 (墨田区両国3−13−9)
話をしながら歩いていたら、いつのまにか
吉良上野介の旧敷地内に入っていました。
討ち入りのあった吉良家上屋敷の広さは、
約8400?(2550坪)あったというから驚きますよね。


現在、本所松坂町公園といわれているところが、
吉良邸跡として残されている一隅で、
町の有志が発起人となって購入し、
残した土地だそうです。
(当時の敷地の1/86に当たる部分。
      今は区に寄付されています)


吉良邸跡【本所松坂町公園】
吉良邸跡【本所松坂町公園】 posted by (C)ルンちゃん
よくテレビで放送されますよね



その公園に入ってみると、
上野介の首を洗ったといわれる井戸をはじめ、
邸内で討ち死にした吉良の家臣の供養碑や、
上野介追慕碑があります。


吉良邸に上野介ゆかりのものがあるのはもちろんですけど、
赤穂義士の絵や名前も同じように置かれています。
吉良邸なのにね^^;


例えて云うなら、新選組屯所に
桂小五郎や高杉晋作が
ドカッと居座っているような感じでしょうか^^;
新選組ファンとしては、
そうなると複雑な心境ですけどね。


こちらではそれはないのか、
同じ敷地内にいっしょにあります。
町では「義士祭」や「吉良祭」も
行われているというので、
うまくやっているのでしょう
(深く考えないでおこう^^;)


ちなみに吉良上野介は、忠臣蔵では悪者ですけど、
自分の領地では町の発展に尽力した方で、
名君として評判が高いそうですよ。

本所松坂町の碑
本所松坂町の碑 posted by (C)ルンちゃん


☆回向院
(墨田区両国2−8−10)
1657(明暦3)年の世にいう「振袖火事」の際、
被害にあった10万人以上の死者の供養のために
建てられたのがこのお寺です。


その後の安政の大地震(1855年)や
関東大震災(大正12年)の万単位の死者の供養も
行われているという、歴史的に
重々しい感じのするお寺です。


赤穂浪士が吉良邸から退去し、
休憩を取ろうとこの寺に来たところ、
かかわり合いになるのを避けた寺側に
入れてもらえなかったというエピソードがあります。


歴史上の人物のお墓もありますよ。
ねずみ小僧次郎吉
は有名ですね。

回向院のねずみ小僧のお墓
回向院のねずみ小僧のお墓 posted by (C)ルンちゃん
「博打で勝てる」という迷信があるため
この方のお墓を削って持ち去るのが有名ですね。
今はそんな人のために、
削り用の墓石が手前に置いてあります。
以前見た写真より、だいぶ削られてますね〜。



☆大高源吾の句碑

両国橋のたもとにある句碑です。
これは討ち入りの夜に、
赤穂浪士の一人だった大高源吾が
俳句の師匠の宝井其角に両国橋で会った際に
詠んだ句といわれています。その話にちなんで、
この両国橋に建てられたものです。


この話は忠臣蔵の映画やテレビドラマなどでも
エピソードとして登場しますので、
私もよく知っています。

大高源吾の句碑
大高源吾の句碑 posted by (C)ルンちゃん


ついでに、大高源吾といえば幕末の「池田屋騒動」では、
その末裔と称していたとされる大高忠兵衛が、
小説などに登場しますね。


実際のところは
縁はなかったといわれていますけど、
一応、写真を撮ってみましたよ〜。


芭蕉記念館
(江東区常盤1−6−3)

芭蕉記念館
芭蕉記念館 posted by (C)ルンちゃん
松尾芭蕉にちなんで、
芭蕉の木が植えてあります。



私が以前から来たいと思っていた場所です。
「奥の細道」
の序文にも出てくる芭蕉庵が
この辺りにありました。


芭蕉記念館の碑
芭蕉記念館の句碑 posted by (C)ルンちゃん

草の戸も住み替る代ぞひなの家



有名な句の碑も置かれています。
芭蕉は旅に出る前、
なれ親しんだこの住処を人に譲り、
門人の杉山杉風(さんぷう)の別荘に移り、
そこから旅立っていったのでした。


芭蕉が立った場所から
芭蕉が立った場所から posted by (C)ルンちゃん


今はその当時の情景などありませんけど、
なんとなくその場に立てば、
「奥の細道」を読んだときに
想像した場面が思い出され、
しみじみとした味わいがあります。


芭蕉稲荷神社
(江東区常盤1−3)
記念館のすぐ近くにある神社です。
芭蕉庵の確実な場所はわかっていませんでしたが、
大正6年の大津波の後に、この場所から
芭蕉のお気に入りの石の蛙が出土されて、
この場所が芭蕉庵だったといわれるようになりました。

芭蕉稲荷神社
芭蕉稲荷神社 posted by (C)ルンちゃん


清澄(きよすみ)庭園
(江東区清澄3−3−9)
現在放送中の大河ドラマ「龍馬伝」に登場する
岩崎弥太郎
が作った庭園です。
もともとは紀伊國屋文左衛門の屋敷だった
ともいわれている場所で、弥太郎はこの地を
社員の慰安や、賓客の招待に使ったそうですよ。


なんとなく、以前行った「浜離宮」に似ています。
遠くにビルがある、という景色が似ているのでしょうか。
でもこちらの池の水は淡水で、大きな鯉がたくさんいました。
(浜離宮は海水)


霊厳寺
(東京都江東区白河1-3-32)
江戸時代の三つの改革のうちのひとつ、
「寛政の改革」を行った松平定信公のお墓があります。
教科書にも載っている有名な方ですね。
名前はもちろん知っていましたが、
8代将軍吉宗の孫にあたる方だったんですね〜。

霊厳寺
霊厳寺 posted by (C)ルンちゃん
こちらの敷地の広い一画に
松平定信公のお墓があります。



教科書は、当人の
ほんの一瞬だけのことしか書かれていませんので、
どんな人物でも、深く調べてみると
面白いのかもしれません。
(それは新選組で実証済みですけど^^)



他にも「紀伊国屋文左門の碑」や、
「江島杉山神社」「深川不動堂」「富岡八幡宮」など、
いろいろなものを見てきましたよ。

紀伊国屋文左衛門の碑
紀伊国屋文左衛門の碑 posted by (C)ルンちゃん

滝沢馬琴の誕生地
滝沢馬琴の誕生地 posted by (C)ルンちゃん


本所・深川界隈は、マップを見てみると
沢山の名所・旧跡があり、1日では到底
見てまわれません。


「文豪」「江戸時代」「相撲」など
テーマを決めて歩いてみると
なかなか楽しめる場所のようです。


私も次回は「幕末」にテーマを絞って、
再び訪れてみたいです。

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posted by ルンちゃん at 00:31| Comment(2) | 大人の遠足^^ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月06日

大人の遠足^^真鶴散策


昨日の日曜日。
街道歩きのお仲間さんたちと、
真鶴に行ってきました。
参加者16名。


お天気も程よく、ルンルン気分で出かける気持ちは
遠足のようですね。
そうです。大人の遠足です^^


何度か来た事のある真鶴ですけど、
ここにも幕末の史跡があるんですよ。
今日はそのお話。


真鶴半島の突端にある「ケープ真鶴」
そこは真鶴岬の展望台にもなっています。
そこにあるのが台場跡です。


幕末の台場跡の碑
幕末の台場跡の碑 posted by (C)ルンちゃん


徳川幕府から「外国船打ち払い令」が発令されたとき、
小田原藩が外国船を打ち払う(つまり国防)目的で、
この場所に砲台を作ったのです。
その名残りが台場跡ですよ。


実際には小田原の海岸に3ヶ所と、
大磯の照ヶ崎海岸に1ヶ所、
そして真鶴半島に1ヶ所作ったらしいです。
でも、残っているのはここだけ。

真鶴の台場跡
真鶴の台場跡 posted by (C)ルンちゃん


写真の古い礎がたぶん当時のものでしょう。
残っているのはこの部分だけですけど、
この平坦な展望台の敷地全体が、
台場だったと思われます。


その後もここは海防の場所にされたようで、
古い礎の上に、新しい感じの礎もありますね。


砲台は海に向かって建てられていますが、
今は砲台の先に木々が立ち、
さえぎられているので、海上は見えませんね。

台場の先の景色
台場の先の景色 posted by (C)ルンちゃん


展望台の下には階段が海辺まで続いていて、
磯遊びが出来るようになっています。
実際に人がたくさんいて
楽しそうに遊んでいました。


真鶴半島の三ツ石
真鶴半島の三ツ石 posted by (C)ルンちゃん


江戸城築城のとき伊豆産の石が切り出されて、
江戸へ運ばれたのは有名ですけど、
ここ真鶴産の石も削られ、江戸へ運ばれました。


品川台場にも真鶴の石が使われた
ということですから、意外とこの地は
江戸(東京)とつながりのある場所なのです。


でも、真鶴に行ってみると
あまり観光地化されていなくて
素朴な感じがします。
そんな所が好きで、何度か来ています。


そしてお魚が美味しい♪


半島にはお食事処がいろいろありますが、
今回は真鶴の港にある「魚座(さかなざ)」で
お食事しました。ついでにそのお話も…


真鶴はアジが有名です。
1日限定20食という定食も魅力的でしたけど、
やはり真鶴なので、アジづくしを頂きました。

アジづくし
アジづくし posted by (C)ルンちゃん


普通、お品書きの写真より
実物のほうが劣っているというのは
よく経験しますけど、
こちらの定食は実物の方が
はるかに勝っていましたね〜。


1日限定20食!
1日限定20食! posted by (C)ルンちゃん
こちらは今年の「歳三忌」に一緒に参加した
Iさんが注文したものです。
チョッと写真を撮らせて頂きました^^



大人の遠足の参加者さん、
全員がこれには満足していましたね。
私も食べ終わるのが一番最後になりましたが、
完食しました!


真鶴は平安時代や鎌倉時代の史跡もあります。
遊歩道もあるので、これからの夏の季節に
ふらりと行くのも楽しいものです。


私もまた、機会を作って
真鶴に行ってこようと思っています^^

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