2010年08月26日

函館’10漫遊記 〜その2〜


レポートの続きです。


函館旅行2日目は、
レンタカーで史跡をまわりましたよ。
コースはこちらです。


1.川汲温泉旅館 − 2.南部陣屋跡 − 
3.森駅(イカめし) − 4.鷲の木上陸跡 − 
5.乙部新政府軍上陸地 − 6.江差(にしんそば)−
7.二股口古戦場跡入口 −8.市渡稲荷神社 −
9.意冨比神社 − 10.湯の川温泉
 


そして乙部からのお話です。
4.までは過去記事をどうぞ ⇒ 函館’10漫遊記 〜その1〜


5.乙部新政府軍上陸地

鷲の木まで来た時点で、まだ時間があったので、
思い切って乙部まで足を伸ばすことにしました。


278号線をそのまま北西に走り、
落部(おとしべ)で87号線の山中に入ります。
といっても山の頂ではなく、
ふもとの合間を走る感じですね。


それでもさっきまでの青空が一転、
雲が厚くなり雨粒もちらほら、
さすが山の天気は変りやすいです。
(山を抜けたら止みました)


江差と乙部の分かれ道
江差と乙部の分かれ道 posted by (C)ルンちゃん


乙部までは距離があるかな〜と思いましたが、
そこは新選組好きな二人の車中♪
話に尽きることはなく
看板を目安に進んでいけば
いつの間にか乙部に到着。


街中に入れば目的の物は
すぐわかると思っていたのに、
予想に反して、それが見あたりません^^;
街を往復してもないので、役場に車を止めて
聞いてみることにしました。


するともうひとつ
海岸寄りの場所だとのこと。
どうやら今年になって
場所が移動されたようなんです。
教えて貰った道を進めば、
すぐに目的の碑が見えましたよ。


乙部
乙部 posted by (C)ルンちゃん
海の近くの視界のひらけた場所に移動しました



乙部は新政府軍が上陸した場所です。
そして参謀本陣を置いた場所でもあります。
「箱館戦争官軍上陸の地」のある辺りは
今でも穏やかな漁村という感じです。
その日はちょうど、
お祭りの準備をしていましたね。


新政府軍の艦隊が来たときには、
小さな漁村もさぞかし
ビックリしたことでしょう。


でも新政府軍が来たとき、乙部の村人は
漁船を出して旧幕府軍を偵察に行ったんですよ。
(つまり新政府軍のお手伝いをしたわけね^^;)


村人が旧幕府軍の情報を新政府軍に伝えたので、
新政府軍は迅速に上陸することができたのです。
またその後の戦況にも、
大きな影響を与えたようですよ。
(上陸の地碑参照)


6.江差

江差へは当初、行く予定はなかったんですけど、
距離的にも近かったので(車で30分)、
江差まで行って、
横山家の「にしんそば」を
食べることにしました。


なんて贅沢なんでしょうね〜。
おそばを食べるためだけに、
江差に立ち寄るんですからね。


鴎島(かもめじま)
鴎島(かもめじま) posted by (C)ルンちゃん
写真の真ん中あたりに、
開陽丸の帆柱が見えてるのが
わかりますか?^^



江差方面に海沿いを走っていけば、
右に鴎島(かもめじま)が現れ、
その島の入口に開陽丸の帆柱が見えます。


江差追分街道に入れば左上に
『歳三嘆きの松』が見えますよ〜。
それらの史跡には立ち寄らず、
横山家へ向かいます。
(江差の史跡めぐりは4年前に体験済み^^)

江差の旧家
江差の横山家 posted by (C)ルンちゃん


横山家は1748年より、
加賀の国からこの場所に移り住み
にしん漁や製造販売を行っていた家です。
その後、代が変るごとに
様々な経営に携わり、繁栄してきました。


今は残された文化財の管理にあたりながら、
家の一部を開放し、にしんそばを
食べさせてくださっています。

にしんそば
にしんそば posted by (C)ルンちゃん


古民家を見るのが好きなので、
この横山家もけっこうお気に入りです♪
遅めの昼食(3時)になるおそばを頂きながら、
しばしの間、なつかしい気分に
浸りました。


7.二股古戦場跡入口

江差から227号線を通って
函館へ帰るルートを辿ります。


次の目的地は函館近くの場所ですけど、
その前にこのルートで行くと
二股の入口に差し掛かかります。


近くに来たとき注意して見ていたら、
難なく看板を確認。


同乗のKちゃんが「寄っていこう」と言ったので、
Uターンして入口に立ち寄ります。
4年前に来たときに比べて、大きな看板は
なんとなく色褪せていましたね。

二股古戦場跡入口
二股古戦場跡入口 posted by (C)ルンちゃん


二股古戦場はご存知、土方隊が
迫り来る新政府軍を迎え撃った場所です。
16時間に及ぶ戦闘でも
土方軍は負けませんでした。


山に登ればその戦いの名残も
見られるようですが、
熊対策をしてきていないので、
もちろん入口のみの見学です。
写真を撮ってその場を離れました。


8.市渡稲荷神社(いちのわたりいなりじんじゃ)

現北斗市大野にある稲荷神社です。
ちょうど二股から箱館の中間くらいの距離ですね。
ここは旧幕府軍の作戦本部として使われた場所です。


神社は平成2年に国道拡幅工事のために、
旧稲荷神社と旧川濯神社が統合され
新しく建てられました。


でも花こう岩で造られた大鳥居は、
1859(安政6)年に建てられたもので、
土方さんたちももちろん見ていたはずです。


市渡稲荷神社
市渡稲荷神社 posted by (C)ルンちゃん


静かな場所で、隣にある保育園の
子供達の声が聞こえてくるだけです。


近くにある市渡小学校の校内に、
榎本武揚の命で植えた栗の木があるらしいので、
神社から眺めてみましたけど、
それはチョッとわかりませんでした^^;


9.意冨比神社(おおひじんじゃ)

市渡稲荷神社から車で5分程度の場所です。
チョッとわかりにくいですけど、
鎮守の森を目印にして
なんとかみつかりました。

意冨比神社(おおひじんじゃ)
意冨比神社(おおひじんじゃ) posted by (C)ルンちゃん


ここは鷲の木上陸後、五稜郭を目指して進んだ
新選組本体含む大鳥圭介軍のコースで、
新政府軍の松前藩士との
白兵戦があった場所です。
それは1868年10月24日の
午前7時頃のお話。


戦いは1時間程だったようですが、
両軍の死傷者はかなりのものだったそうです。
大鳥軍の放った大砲の弾により、
村の民家十数件が焼失したらしいですしね。
村人にとっては、ホント迷惑な話です。


この境内には樹齢7〜8百年という
イチイの木が6本あり、
以前はもっとあったようです。


そのイチイの木には、
大鳥軍と松前藩士との戦いで受けた
弾痕が今でもあります。

イチイの木
イチイの木 posted by (C)ルンちゃん


イチイを見てみましたけど、古い木なので、
どのヘコミを見てもそれらしく見えますね。
神社の方がいらしたので尋ねてみたところ、
どうやらこれらが弾痕だといわれているようです。


弾痕
弾痕 posted by (C)ルンちゃん
たぶん上のヘコミのほうだよね^^;



10.湯の川温泉

函館に入り、湯の川温泉に到着です。
『平成館海羊亭』が
前日から泊まっている私達の宿です。


ここには土方歳三が入ったという
『赤湯』があるんですよ。
今では湯の川温泉の赤湯は、
このホテルだけだそうです。

詳しくは過去記事 ⇒ 蝦夷の土方歳三が入った温泉


温泉はホテルの最上階にあり、
内湯は透明な食塩泉のお湯です。
露天風呂が赤湯で、
夜だと沢山の人が入るからか、
思ったよりは赤くなかったです^^;
(昼間の方が赤く見える)


でも湯の吹き出し口周辺には赤い
(というより朱色の)結晶が
びっしりついていましたよ。


土方さんが入った温泉だと思うと
感無量ですよね〜。


赤いお湯に浸かりながら、
「土方さんはこのお湯に入りながら、
何を思っていたのだろう?」

と、かの人のことを考えていました。
すると、なんとなく声が聞こえたんです。


「ずいぶん遠くまで、来ちまったな…」



外国船との貿易で賑わい異国情緒漂う箱館は、
多摩の土方さんには、
別世界に思えたかもしれません。


ですから余計に、遠くまで来た
と思ったかもしれませんね。


「でもね、土方さん。
 今は東京から飛行機で
 1時間位で来られるんですよ」

と、かの人に返事をしてみました。


来てみればすごく近いのに、
なかなか来られない函館です。


遠くて近い、近くて遠い函館。。。
そんな函館の残り1日を、充分楽しもうと
心に誓って二日目が終わります。


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posted by ルンちゃん at 23:30| Comment(3) | ☆函館〈2010) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月23日

函館’10漫遊記 〜その1〜


お盆休みを利用しての2泊3日の旅は、
友人との函館二人旅でした。
1日目には、今回の旅の第1目的である
「箱館奉行所見学」
をしましたよ。


箱館奉行所見学については、
過去記事に詳しく書きましたので、
そちらをご覧下さいね♪

⇒ 箱館奉行所を見学しました^^


1日目は他に、
お寿司屋さんと居酒屋さんで時間を費やし、
初日にして旅の目的の7割は
達成した感じでしたね〜。


でも2日目だって負けていません。
フルに1日を使える2日目は、
レンタカーでの遠出です。
走ったコースはこちらですよ〜。


1.川汲温泉旅館 − 2.南部陣屋跡 − 
3.森駅(イカめし) − 4.鷲の木上陸跡 − 
5.乙部新政府軍上陸地 − 6.江差(にしんそば) −
7.二股口古戦場跡入口 −8.市渡稲荷神社 −
9.意冨比神社 − 10.湯の川温泉
 


今回はコースの順にお話しますね。
長いので2回に分けてお話します。


1.川汲温泉旅館

泊まったホテルを出発して、83号線を北上。
1時間ほど走って川汲公園を超えてすぐ、
右側に川汲温泉旅館があります。


ここは鷲の木から上陸した旧幕府軍のうち、
土方歳三率いる新選組の一部と、額兵隊・春日隊が
野営した場所です。

詳しくは過去記事 ⇒ 蝦夷の土方歳三が入った温泉


調べてきた写真は冬の様子だったので、
草の茂った状態の今は、どこにあるのかわからず^^;
キョロキョロ探して、道脇の碑をなんとか見つけました。

川汲(かっくみ)温泉の碑
川汲(かっくみ)温泉の碑 posted by (C)ルンちゃん
下の慰霊碑は木が生い茂って見えません。
写真を撮るために、枝を
一部つまんで引っ張っています^^;



そして向かいにある土方さんの入った温泉へ♪
ところが受付には誰もいません。
呼び鈴を押しても誰も来ないし…^^;
でもここまで来て入れないのはイヤですよね。
どうしようかと思っていたら、
玄関からやっと家主さん登場。


ちょうど私達が写真を撮っているときに、
車で通り過ぎたようで、
行き違いになったみたいです。
帰ってきてもらってよかった。
入浴料400円を払って、
どうにか川汲温泉へ入れました。

川汲温泉、土方が入った温泉へ
川汲温泉、土方が入った温泉へ posted by (C)ルンちゃん


土方軍が野営をした時、
幹部はこの宿に泊まったそうです。
現在は宿泊できないそうで、
日帰り客のみ受け入れているそうですよ。


まだ早い時間だったのか、お客さんは私達だけ。
貸切状態でお風呂に入ります♪
お湯はこんこんと湧き出ていて、
すごくいい感じです。


但し、温度は熱い!
二つの湯船があって、
片方は体感温度で43℃位かしら?
もうひとつは熱すぎて入れませんでした。
45℃位ありそうです^^;


水で薄めようにも水道管が温まっているようで、
「水」「湯」どちらの蛇口をひねっても
お湯が出るばかり^^;
片方の湯船はなんとか入れたので、
とりあえず湯に浸かりました。


土方さんは熱いお湯が好きだったので、
この温泉はお気に入りかもしれませんね。
でも、雪中行軍の冷えた身体には、この熱さは
かなりキツかったと思いますけどね^^;


慣れるといいお湯なので、
もっと入っていたかったのですが、
先を急ぐ旅なので早々に切り上げ、
次の場所へ進みます。


入れ替わりにご年配のご婦人二人が
お風呂場に入ってきました。
受付では新たなお客さんが来ていたので、
けっこう人気がある場所なのかもしれませんね。


2.南部陣屋跡

さらに北上し、278号線を森町方面(西方向)に走ります。
海沿いの道を行き、駒ケ岳のふもとの砂原で
平行した道へとUターンして、
道の駅でチョッと休憩。


その場所から小道を4個くらい越したところに、
南部陣屋跡があります。


南部陣屋跡
南部陣屋跡 posted by (C)ルンちゃん
右奥も陣屋の敷地。
なんとなく広さが感じられますか?



ちなみにこちらのフルネームは
『南部藩砂原陣屋跡』

もともとは南部藩が幕府に命じられて、
北辺警備のために造った陣屋なんですけど、
旧幕府軍(土方軍)が
布陣した場所でもあるらしいです。


跡というので、
小さなスペースを想像していたのですけど
敷地はかなり広いです。建物自体は
明治初めに壊されたようですが、名残の土塁で
おおよその大きさがわかります。


写真を撮っていたら、
通りすがりのご近所の方が、
私達を見て、
いろいろご当地のお話をして下さいました。
(旧幕府軍の話はなかったので、
 ここでは割愛します^^)


3.森駅
(史跡とは関係ないです)
「森駅」といえばいかめし
新選組とは関係ないですけど、
駅弁の中でも人気が高く、
みんなが知っている「いかめし」ですから、
やはり森駅に来たからには、
本場のいかめしを食べておきたいですよね。

森駅のいかめしグッズ
森駅のいかめしグッズ posted by (C)ルンちゃん


ということで、駅前の商店に入って
いかめしを注文しました。
「はい」って渡されたいかめしを貰ったら、温かい♪
お店の人がにっこり笑って
「いつでもできたてを渡しています」ですって^^

本場のいかめし
本場のいかめし posted by (C)ルンちゃん


それならと、お店の前のいすに座ってご賞味です♪
イカは程よいやわらかさで、内のご飯には
しっかり味がしみ込んでる!美味〜♪


今までにもいかめしは食べたことがありますけど、
やはり本場で食べるのが一番ですよね。
森駅に寄ったら、
ぜったいいかめしを食べましょう!


4.鷲の木上陸跡

森駅からほどなく鷲の木史跡公園です。
この近くに旧幕府軍の兵士たちを葬ったという
霊鷲院(りょうじゅいん・れいしゅういん)
があるはず、
と思ってキョロキョロしたら、
道路の向かいにありました。


お寺に寄って聞いてみたところ、
今お寺が建っているところは
近年(後日調べたら昭和44年でした)になって
移動したとのことで、
兵士達の墓は元の場所の方にあるとのこと。
早速公園へと移動します。


鷲の木の看板
鷲の木の看板 posted by (C)ルンちゃん


鷲の木は
旧幕府軍の上陸の地でもありますが、
箱館戦争が始まると、後方陣地にもなりました。


ですから旧幕府軍の
けが人や病人の療養地でもあったようです。
お寺の過去帖では兵士の名が数人あるようですが、
実際にはかなりの人員が
埋葬されたとの伝承もあるそうですよ。
(新選組史跡辞典参照)

鷲の木公園
鷲の木史跡公園 posted by (C)ルンちゃん


この公園の近くに
「上陸の木碑」
があるはずなので、
探すことにしました。
海岸寄りだということはわかっていたのですけど、
海岸へ至る道がわかりません^^;


5号線を走って、
それらしい道を探してみますがみつからず、
トンネルを超えてUターンして再び探してみると、
わかりづらいところに細い道がひとつ^^;


「これかな〜?」と半信半疑で進んでみたら、
唐突に視界が開けて海〜!
と同時にお目当ての木碑もありました。

旧幕府軍上陸の木碑
旧幕府軍上陸の木碑 posted by (C)ルンちゃん


砂浜にでも刺さっているのだろう
と思っていたのに、
想像していたのと違っていて、
実際は道路脇にありました。


でもその場所は駒ヶ岳がよく見え、
まさに絶妙なポイントに木碑は建っています。
前日の雨模様とは打って変わった好天気の中、
全景のみえる駒ケ岳と木碑に感動しつつ、
写真を撮りまくりましたよ。


ここに碑を建てた人はすごいな〜、
よくぞ絶景の場所に建ててくれたな〜。
と思いながら写真を撮っていたら
発見してしまいました^^;


なんとこの碑を建てたのは、
釣洋一先生だったようです。
木碑の裏に先生の名前がありましたから。
今度お会いしたら、ご本人に確認してみたいです。


旧幕府軍上陸の地を見たので、
今度は新政府軍上陸の地を見に行きます。
次回に続きます。

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2010年08月20日

箱館奉行所を見学しました^^



平成22年7月29日にオープンしたばかりの
箱館奉行所
に行ってきましたよ〜!


箱館奉行所は以前にもお話した通り、
文献資料や、古図面、古写真、そして
発掘調査などで得た情報を基に、
4年もかけて忠実に復元した建物です。


つまり材料も技術もこだわりにこだわって
復元された建造物なんですけど、
今回見学して、より一層のこだわりを
感じることができましたね〜。


3時間かけて(実際にはそれ以上^^)
じっくり見て得た奉行所の見処を
お伝えしますので、
あなたが見学されるときの、
参考にして頂ければうれしいです。


それではいきますよ〜♪
(本日は長文です。お覚悟を!)


さて今回の箱館奉行所は、庁舎の全体のうち
およそ1/3の部分が復元されています。
全部じゃなかったのは残念ですけど、
諸事情があるみたいですね。


ひとつには、
箱館奉行所全体の古写真が残っていないので
確認できずに造れないということもあるようです。

箱館奉行所 前面
箱館奉行所 前面 posted by (C)ルンちゃん
これが私が見た箱館奉行所です^^



今回復元された部分については、
各調査によってほぼ間違いない
という部分にしぼり再現されています。


つまりわからないものは造らない
がモットーのようで、
復元された奉行所内部でも同じことがいえます。


例えば襖ですが、
本来なら奉行所内の襖絵は見事なものが
飾られていたと想像できますよね。
でも、それらの資料が全く残っていないので、
わからない部分は造らず
今回の襖はすべて「白地の柄なし」なんですよ。


壁面も同様で、たぶん弓などの
武器が置かれた場所であろうと
推測される部分でも、
どのように置かれていたのかは不明なので、
「わからないものは置かない」ということで、
なにも置かれていません。
その辺のこだわりは徹底していますね。


奉行所の式台はふたつありますよ。
見学の入口にあたる大きな式台は、
来賓を接待する際の玄関でありました。
出口の小さな式台は、
お奉行様専用の出入口だったようです。
(式台は偉い人しか使えない^^;)



箱館奉行所の大きな特徴は、
格式を重視した造り
になっているところですよ。
中庭から見るとわかりますが、
左右対称と思っていたら、
全く違う造りなんです。

奉行所の中庭
奉行所の中庭 posted by (C)ルンちゃん
ほら右と左が違うでしょ。
向かって左が偉い人用の部屋、
右が役人たちの部屋^^;



式台から入って右側(中庭から見ると反対です)
つまり南側は、
お奉行様のいらっしゃったゾーンです。

畳廊下
畳廊下 posted by (C)ルンちゃん
こちらが格の高い人が使う部屋
新築なので、ヒバの香りがイイ香り〜^^



72畳の大広間や、執務室にあたる表座敷は
建物の中でももっとも格式が高いところです。
畳廊下があって、その横の床も節の目立たない
良質な板が使用され、広目のゆったりした廊下です。


そこからは、建物を囲む赤松も見えますよ〜。
この赤松は幕末の頃からのものです。
きっと土方さんも見たでしょうね^^


この場所は建物の中でも、
とても癒される空間ですね。
何時間いても飽きないです。

庭の赤松
庭の赤松 posted by (C)ルンちゃん


格式が高い部屋には、
こんな形の釘隠しがあるので、
それを目安にするとすぐわかりますよ。

釘隠し
釘隠し posted by (C)ルンちゃん
他に2種類の釘隠しがあります^^



反対の北側の建物は役人達の詰所です。
つまり格式は低くなり、釘隠しもひし形です。
御役所調役や定役元締などがありますが、
今は五稜郭や奉行所の歴史解説所になっています。

これはなんでしょう?
これはなんでしょう? posted by (C)ルンちゃん
こんなのもあります^^



天井は一部、板がはずされていて、
天井裏の梁が直接見られるようになっています。
技巧を凝らした梁が立派です。
解説もされているので、
どのような工夫がされているかは、
是非聴いておきたいところですね。


同心組頭・同心使役詰所は、
映像シアターになっていて、
今回の復元工事の模様が公開されています。
こちらも必見の価値ありです。


北側の廊下の板は節目だらけの、
南側の木材とは比べられない粗末なものです。
(この辺も忠実に再現されている)
柱も節が目立ちます^^;
そして板の間も狭いです。


ここまで格差をつけずとも…^^;
と思いますが、
建設当時は、幕府の権力(格差)も
まだまだ残っていたのでしょう。
その廊下から外を見れば、
再建築されていない奉行所エリアがみられます。

北側の様子
北側の様子 posted by (C)ルンちゃん
遠くにお白州も見られます



でも、こうしてラインだけでも書かれていると、
ない部分でも想像できますよね。
土方さんはこの奉行所の
どこに寝泊りしていたのかしら?


こちらは、諸事情で
今のところ建設予定はないそうです。
でもいつかは再建して欲しいですよね。


外からも目立つ、
太鼓櫓(たいこやぐら)への階段は、
立ち入り禁止になっています。


登ってみたいところですけど、
スゴイ急階段なんですって!
だから危ないので立ち入り禁止です。
なんでも傾斜30度の、
はしごのような階段が
4つほどあるらしいですよ。


あなたの家に屋根裏部屋があるなら、
わかるかもしれませんけど、
裏部屋に至る階段を、
天井から引っ張り出しますよね。
あれってかなり急ですよね。


それと同じような、
急なはしご4個分登らないと
太鼓櫓まで行かれないそうなんです^^;


解説員さんたちも、毎日登って
窓を開けてくるそうですが、
かなり怖いそうですよ〜。


幕末の際には、
そこから敵を見張ったわけですが、
緊急時に下へ降りるのは、
さぞかし難儀したことでしょうね。


いったい誰が、担当だったんでしょう。
大変だったでしょうね〜^^;


太鼓櫓へ至る階段の反対側にも
中二階へ行く階段があります。
(そちらも立ち入り禁止区域)


そこには調所があって、
天井がすごく低い部屋があるそうです。
窓の開け閉めが大変なんだそうです^^;


五稜郭の敷地内には庁舎を中心として
20数棟の建築物があったそうです。
その一部は今も復元中で、
完成にはもうしばらくかかるそうです。


というわけで、まだまだ見処はありますが、
あえて写真は控えめに載せましたので、
あとはご自身の目で確かめてみて下さいね。


ひとつアドバイスしておきますと、
近くにいる解説員さんのお話は
すごく参考になるので、ぜひ聞いて欲しいです。


わからないことがあるときは
質問すれば答えて頂けるので、
思い切って聞いてみましょう。


私達も色々質問したおかげで、
知らないことを沢山知ることができました。
今回の見処も、解説員さんのお話を基にしています。


長くなりましたが、読んでくださって
ありがとうございました。
旅行記はまだ続きますのでお楽しみに〜^^
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posted by ルンちゃん at 23:18| Comment(4) | ☆函館〈2010) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする