レポートの続きです。
函館旅行2日目は、
レンタカーで史跡をまわりましたよ。
コースはこちらです。
1.川汲温泉旅館 − 2.南部陣屋跡 −
3.森駅(イカめし) − 4.鷲の木上陸跡 −
5.乙部新政府軍上陸地 − 6.江差(にしんそば)−
7.二股口古戦場跡入口 −8.市渡稲荷神社 −
9.意冨比神社 − 10.湯の川温泉
そして乙部からのお話です。
4.までは過去記事をどうぞ ⇒ 函館’10漫遊記 〜その1〜
5.乙部新政府軍上陸地
鷲の木まで来た時点で、まだ時間があったので、
思い切って乙部まで足を伸ばすことにしました。
278号線をそのまま北西に走り、
落部(おとしべ)で87号線の山中に入ります。
といっても山の頂ではなく、
ふもとの合間を走る感じですね。
それでもさっきまでの青空が一転、
雲が厚くなり雨粒もちらほら、
さすが山の天気は変りやすいです。
(山を抜けたら止みました)
江差と乙部の分かれ道 posted by (C)ルンちゃん
乙部までは距離があるかな〜と思いましたが、
そこは新選組好きな二人の車中♪
話に尽きることはなく
看板を目安に進んでいけば
いつの間にか乙部に到着。
街中に入れば目的の物は
すぐわかると思っていたのに、
予想に反して、それが見あたりません^^;
街を往復してもないので、役場に車を止めて
聞いてみることにしました。
するともうひとつ
海岸寄りの場所だとのこと。
どうやら今年になって
場所が移動されたようなんです。
教えて貰った道を進めば、
すぐに目的の碑が見えましたよ。
乙部 posted by (C)ルンちゃん
海の近くの視界のひらけた場所に移動しました
乙部は新政府軍が上陸した場所です。
そして参謀本陣を置いた場所でもあります。
「箱館戦争官軍上陸の地」のある辺りは
今でも穏やかな漁村という感じです。
その日はちょうど、
お祭りの準備をしていましたね。
新政府軍の艦隊が来たときには、
小さな漁村もさぞかし
ビックリしたことでしょう。
でも新政府軍が来たとき、乙部の村人は
漁船を出して旧幕府軍を偵察に行ったんですよ。
(つまり新政府軍のお手伝いをしたわけね^^;)
村人が旧幕府軍の情報を新政府軍に伝えたので、
新政府軍は迅速に上陸することができたのです。
またその後の戦況にも、
大きな影響を与えたようですよ。
(上陸の地碑参照)
6.江差
江差へは当初、行く予定はなかったんですけど、
距離的にも近かったので(車で30分)、
江差まで行って、
横山家の「にしんそば」を
食べることにしました。
なんて贅沢なんでしょうね〜。
おそばを食べるためだけに、
江差に立ち寄るんですからね。
鴎島(かもめじま) posted by (C)ルンちゃん
写真の真ん中あたりに、
開陽丸の帆柱が見えてるのが
わかりますか?^^
江差方面に海沿いを走っていけば、
右に鴎島(かもめじま)が現れ、
その島の入口に開陽丸の帆柱が見えます。
江差追分街道に入れば左上に
『歳三嘆きの松』が見えますよ〜。
それらの史跡には立ち寄らず、
横山家へ向かいます。
(江差の史跡めぐりは4年前に体験済み^^)
江差の横山家 posted by (C)ルンちゃん
横山家は1748年より、
加賀の国からこの場所に移り住み
にしん漁や製造販売を行っていた家です。
その後、代が変るごとに
様々な経営に携わり、繁栄してきました。
今は残された文化財の管理にあたりながら、
家の一部を開放し、にしんそばを
食べさせてくださっています。
にしんそば posted by (C)ルンちゃん
古民家を見るのが好きなので、
この横山家もけっこうお気に入りです♪
遅めの昼食(3時)になるおそばを頂きながら、
しばしの間、なつかしい気分に
浸りました。
7.二股古戦場跡入口
江差から227号線を通って
函館へ帰るルートを辿ります。
次の目的地は函館近くの場所ですけど、
その前にこのルートで行くと
二股の入口に差し掛かかります。
近くに来たとき注意して見ていたら、
難なく看板を確認。
同乗のKちゃんが「寄っていこう」と言ったので、
Uターンして入口に立ち寄ります。
4年前に来たときに比べて、大きな看板は
なんとなく色褪せていましたね。
二股古戦場跡入口 posted by (C)ルンちゃん
二股古戦場はご存知、土方隊が
迫り来る新政府軍を迎え撃った場所です。
16時間に及ぶ戦闘でも
土方軍は負けませんでした。
山に登ればその戦いの名残も
見られるようですが、
熊対策をしてきていないので、
もちろん入口のみの見学です。
写真を撮ってその場を離れました。
8.市渡稲荷神社(いちのわたりいなりじんじゃ)
現北斗市大野にある稲荷神社です。
ちょうど二股から箱館の中間くらいの距離ですね。
ここは旧幕府軍の作戦本部として使われた場所です。
神社は平成2年に国道拡幅工事のために、
旧稲荷神社と旧川濯神社が統合され
新しく建てられました。
でも花こう岩で造られた大鳥居は、
1859(安政6)年に建てられたもので、
土方さんたちももちろん見ていたはずです。
市渡稲荷神社 posted by (C)ルンちゃん
静かな場所で、隣にある保育園の
子供達の声が聞こえてくるだけです。
近くにある市渡小学校の校内に、
榎本武揚の命で植えた栗の木があるらしいので、
神社から眺めてみましたけど、
それはチョッとわかりませんでした^^;
9.意冨比神社(おおひじんじゃ)
市渡稲荷神社から車で5分程度の場所です。
チョッとわかりにくいですけど、
鎮守の森を目印にして
なんとかみつかりました。
意冨比神社(おおひじんじゃ) posted by (C)ルンちゃん
ここは鷲の木上陸後、五稜郭を目指して進んだ
新選組本体含む大鳥圭介軍のコースで、
新政府軍の松前藩士との
白兵戦があった場所です。
それは1868年10月24日の
午前7時頃のお話。
戦いは1時間程だったようですが、
両軍の死傷者はかなりのものだったそうです。
大鳥軍の放った大砲の弾により、
村の民家十数件が焼失したらしいですしね。
村人にとっては、ホント迷惑な話です。
この境内には樹齢7〜8百年という
イチイの木が6本あり、
以前はもっとあったようです。
そのイチイの木には、
大鳥軍と松前藩士との戦いで受けた
弾痕が今でもあります。
イチイの木 posted by (C)ルンちゃん
イチイを見てみましたけど、古い木なので、
どのヘコミを見てもそれらしく見えますね。
神社の方がいらしたので尋ねてみたところ、
どうやらこれらが弾痕だといわれているようです。
弾痕 posted by (C)ルンちゃん
たぶん上のヘコミのほうだよね^^;
10.湯の川温泉
函館に入り、湯の川温泉に到着です。
『平成館海羊亭』が
前日から泊まっている私達の宿です。
ここには土方歳三が入ったという
『赤湯』があるんですよ。
今では湯の川温泉の赤湯は、
このホテルだけだそうです。
詳しくは過去記事 ⇒ 蝦夷の土方歳三が入った温泉
温泉はホテルの最上階にあり、
内湯は透明な食塩泉のお湯です。
露天風呂が赤湯で、
夜だと沢山の人が入るからか、
思ったよりは赤くなかったです^^;
(昼間の方が赤く見える)
でも湯の吹き出し口周辺には赤い
(というより朱色の)結晶が
びっしりついていましたよ。
土方さんが入った温泉だと思うと
感無量ですよね〜。
赤いお湯に浸かりながら、
「土方さんはこのお湯に入りながら、
何を思っていたのだろう?」
と、かの人のことを考えていました。
すると、なんとなく声が聞こえたんです。
「ずいぶん遠くまで、来ちまったな…」
外国船との貿易で賑わい異国情緒漂う箱館は、
多摩の土方さんには、
別世界に思えたかもしれません。
ですから余計に、遠くまで来た
と思ったかもしれませんね。
「でもね、土方さん。
今は東京から飛行機で
1時間位で来られるんですよ」
と、かの人に返事をしてみました。
来てみればすごく近いのに、
なかなか来られない函館です。
遠くて近い、近くて遠い函館。。。
そんな函館の残り1日を、充分楽しもうと
心に誓って二日目が終わります。
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