今回、史跡めぐりをした横浜ですが、
じつは新選組隊士のお墓もあるのです。
その隊士の名前は、川村三郎(=近藤芳助)。
彼は幕臣の川村家に生まれますが、後に
近藤芳三郎の養子となり、
近藤芳助と名乗ります。
その養子時代に近隣にあったのが、
近藤勇の試衛館道場。
彼はそこで剣術修行に励みます。
彼の新選組入隊は1864(元治元)年以降、
近藤らは隊士募集も兼ねて江戸に戻っていますが、
その頃に彼も入隊したようです。
新選組では伍長に任ぜられます。
鳥羽・伏見の戦いでは負傷してしまいますが、
江戸に帰った後も、流山や宇都宮、会津の戦いなど、
他の新選組隊士たちと行動を共にしていたようです。
しかしその後彼らとはぐれ、
仙台で新政府軍の捕虜になり江戸へ送還。
尋問の際に、新選組隊士だったことは言わずに
幕臣・川村三郎として通し、
最終的には静岡で罪を許されます。
そして十数年の後、
横浜に住むようになりました。
横浜では代言士(今の弁護士のようなもの)を始め、
市議会議員、県議会議員などを務めます。
そして社会にも貢献し、1922(大正11)年、
80歳という長寿を全うしたのでした。
もと新選組には住みづらかった明治時代に
大成することのできた、
数少ない新選組隊士の一人です。
そういえば、
2009年の「なんでも鑑定団!」で
ご子孫の方が近藤勇らの写真を
鑑定してもらったことがありましたね。
あの時登場した隊士(の名前)が、
この近藤芳助ですよ。思い出しましたか?
さて、そのお墓は横浜市西区の東福寺にありますよ。
東福寺の赤門 posted by (C)ルンちゃん
東福寺は、この赤門が目印です。
その赤門をくぐり、左側の道を少しあるくと
またひとつ門があります。
そこをさらに進んでいくと
階段がありますので上っていきます。
しばらく歩くと大きな木の下に、
川村三郎のお墓がありました。
墓石の台座には「川村家」の文字があり、
正面にご本人と奥様のお名前がありますよ。
墓標に手をあわせ、
きちんとご挨拶してきました。
新選組隊士、川村三郎 posted by (C)ルンちゃん
こうして夕暮れも近づく中、
史跡めぐりが終了しました。
締めくくりに、隊士の墓参ができてよかったです。
でも川村三郎のお墓が一番わかりづらくて、
見つけるのにかなり苦労しましたよ〜^^;
それにこの時期は蚊も多いので、
何ヵ所も刺されましたしね…
史跡めぐりそれぞれに発見があり、
また思うところもあり、
いい経験がたくさんできました。
多少の苦労があってもまた機会をつくって、
史跡めぐりをしたいです。
また今回の史跡めぐりでは、歳月堂のお二人に、
多大なるご協力をいただきました。
この場を借りて、御礼申し上げます。
ありがとうございました。
歳月堂さんで発行している、
新選組史跡めぐりのための本は
使い勝手がよくて、とても便利ですよ。
もしあなたが史跡めぐりをしようと思ったときには、
これらの本を思い出してみて下さいね。
⇒ 歳月堂HP
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