2012年05月22日

井上源三郎の首級埋葬地へ


京都史跡めぐり 2日目 〜その3〜

前回の続きです。
前回の記事はこちら ⇒ 京都史跡めぐり2日目〜その2〜


まずはコースのおさらいです。
(赤文字が今回の記事部分)


御香宮神社 − 伏見奉行所跡 − 
伏見/会津藩陣屋・魚三楼など − 藤森神社 − 
淀小橋跡 −
 井上源三郎首級埋葬地 − 
納所会館 − 妙教寺 − 愛宕茶屋埋骨地 − 
淀堤千両松激戦の祉碑 − おせき餅 − 池田屋跡



淀小橋跡から大阪街道を歩いて、
目的の場所へと向かいます。
その地を訪れることが、
この旅の一番の目的でもありました。


土方歳三と同郷の井上源三郎は、
鳥羽伏見の戦いで戦死しましたが、
源三郎の甥で同じく新選組隊士だった井上泰助が、
その場から叔父の首級と刀を持ち去ったのです。


しかしまだ11歳の泰助には、その首はあまりに重く、
仲間たちから遅れがちになります。終いには他の隊士に諭され、
不本意ながらも、ある寺の門前の田んぼに埋めたのでした。


井上泰助が亡くなった後(昭和初期)、
井上源三郎の首級埋葬地は、ずっと不明のままでしたが、
源三郎の140回忌にあたる2008(平成20)年、
その場所があきらかになったのです。


当時、新聞にも載りましたよね。
公表される直前に「井上源三郎資料館」に行ったときに、
館長さんらからそのお話をお聞きしましたよ。
古地図の写しや現地の写真なども見せていただいて、
あの時から「ぜひ、その場所に行ってみたい」
と思っていたのです。
その思いが、ようやく叶いました。

辨慶
辨慶 posted by (C)ルンちゃん
ここのうどんが美味しかったです



泰助が目印にした欣浄寺(ごんじょうじ)という寺は、
平成の現在ではありません。古地図に残るのみです。
その欣浄寺の敷地の一部だったと思われる場所には、
今うどん屋さんがあります。(昼食はその店でいただきました)


古地図で方角を確認し、
源さんが眠っているあたりに行って合掌…


再び歩き、5分位の所にある「納所会館」に到着。
ここは町の集会所みたいですね。
その入口にお目当ての碑はありましたよ。
表面には「戊辰役戦場祉」の文字があります。
そして左側面には「岩清水八幡宮」
右側面は「城南離宮」までの距離が記され、
この碑が道しるべの役割もしていたことがわかります。

戊辰役戦場址
戊辰役戦場址 posted by (C)ルンちゃん

戊辰役戦場址の碑
戊辰役戦場址の碑 posted by (C)ルンちゃん


なんでも
「愛宕茶屋埋骨地」近くの堤防にあったものを、
こちらに移動してきたのだとか。
川の流れを人工的に変えてしまったので、
その工事の際にこの場所に移されたのでしょうか。


街道歩きをしていると、こんな風に
実際にあった場所からまったく別な場所に
碑などが置かれてしまっているのをよく見かけます。
それで碑自体の意味がわからず、
後で調べるはめになるのですが…


できれば移動せずに
昔からの場所にあって欲しいものですが、
区画整理などの理由で、
碑自体が壊され失われてしまうよりは、
まだ良いのかもしれませんね。
今だってこうして見られるわけですし…


「妙教寺」へ向かいます。
歩いてもあまり遠くはありません。
このあたりは戦いが激しかったようで、
当時の弾が行き交う話も残されているようです。


「妙教寺」の本堂にもそんな被弾の跡があるそうですよ。
幕末関連の本に、その写真が載っていることがありますよね。
私も何度か写真では見ていますが、実物は見ていません。
現地に来たので見たいところですが、
現在このお寺は非公開なんだそうです。
残念〜。


ちなみに、連れの二人は以前来たときに見学していて、
私のために内部の様子をいろいろ教えてくれました。
境内には「戊辰之役東軍戦死者之碑」があり、
こちらは今も見ることができますよ。(じっくり見ました)
碑の裏には「子爵榎本武揚書」の文字もありました。


戊辰之役東軍戦死者之碑
戊辰之役東軍戦死者之碑 posted by (C)ルンちゃん

戊辰之役東軍戦死者之碑の裏面
戊辰之役東軍戦死者之碑の裏面 posted by (C)ルンちゃん


鳥羽街道(千本通)沿いの土手近くに、
東軍戦死者の埋骨地があります。


この周辺にはこうした碑がいくつかあるようですが、
その中のひとつが「愛宕茶屋埋骨地」です。
名前のとおり昔はここに愛宕神社の祠があり、
渡し場のあったこの場所には、
疲れた旅人の憩いの場でもある茶屋がありました。


目印の大銀杏
目印の大銀杏 posted by (C)ルンちゃん


以前は大きな銀杏の木があったそうで、
それがここの目印にもなっていたようです。
でも今は短く伐採され、しかも行ったのが
若葉の季節だったのであまり目立ちませんね。
この埋骨地には35人の幕府軍の人々が眠っています。

合掌…

愛宕茶屋埋骨地
愛宕茶屋埋骨地 posted by (C)ルンちゃん


ここから「淀堤千両松激戦の祉碑」までは
かなり距離がありましたが、
やはり歩いてその地まで行きました。


しかも京都競馬場に隣接している場所にあり、柵があって
大きく迂回しなければその場所には行かれません。
現地の看板を見て途方に暮れながらも、
歩くしかないので歩きます。

戊辰役東軍戦死者埋骨地の碑
戊辰役東軍戦死者埋骨地の碑 posted by (C)ルンちゃん


その日は競馬場で大きなレース(天皇賞)があり、
史跡に着いたちょうど同じ時刻にレースが終了したようで、
競馬場から沢山の人が出てきました。
碑は駐車場に隣接しているので、
人がどんどんやってきます。


しばらく人が途切れることがありませんでした。
もっと静かな場所をイメージしていたのでビックリです。
何とか人の途切れるのを待って、写真を撮りました。


ここは千両松の激戦地で、
新選組もこの辺りで戦ったといわれています。
昔は淀堤の一部で、名前の通り松並木が見事でした。
でも今はどこを見ても堤らしいものはありませんね。


川の流れを人工的に変えたとき、
ここにあった堤もその役割を終えました。
競馬場造成の際(昭和40年代)に、
この周辺にも工事の手が入りましたが、
その工事の最中に、
「奇怪な現象が起きた」というのは有名な話です。


新選組隊士らしい幽霊を見た という人もいて、
よく調べてみたら工事の際に、供養石に気がつかず
ないがしろにしてしまったのが原因ではないか
と思われました。


それで競馬関係者らによる供養が盛大に行われ、
不思議なことに、それ以降現象はおさまったということです。


埋骨地碑
埋骨地碑 posted by (C)ルンちゃん


競馬関係者によるご供養は、
今でも続けられているのでしょうね。
碑には、立派なお花が供えられていました。
話ではいつもここには、お花が絶えないのだとか。


碑は京阪線沿線にあるので、電車の車窓からも見られます。
帰りの電車の中からも見え、その場所に目礼をしました。
こうして源さんの眠っている地をあとにしたのです。


「おせき餅」のお店には、
本当は午前中に行くつもりでしたが、
時間的な余裕がなかったので、帰りに立ち寄りました。
最寄の駅から、タクシーを使ってお店まで。


本店と支店があって、「どちらに行きますか?」
の運転手さんの質問に、
迷わず「支店へお願いします」と答えます。


ここは「近藤勇も買いに来た」
といわれているお店なんですよ。
昔からあったのは鳥羽街道、
つまり支店のある方の道なので、
もちろんそちらへ行きました。

おせき餅
おせき餅 posted by (C)ルンちゃん
お餅は店内でも食べられます^^



江戸時代に、おせきさんという娘さんが
お餅を編み笠の裏にならべて、
茶屋で旅人にふるまったのが始まりといわれます。
つぶあんのあんころ餅です。


閉店時間ぎりぎりでしたがどうにか間に合い、
一箱購入しました。
本当はその場で食べたかったのですが、
それは次回のお楽しみということに。


伊勢名物の「赤福」にも似ていますが、
つぶあんなのでもっと素朴な感じです。
私は「おせき餅」のほうが好きですね〜。
甘さも程よく、あっという間に食べてしまったので、
もっと買ってくればよかったと思いました。
また京都に来たら立ち寄ろうっと…


ちなみに、美味しそうな「おせき餅」を
ブログに載せようと思ったら、持ち運ぶ時に
傾けてしまったようで、形がくずれてしまいました。
そんなわけで、おせき餅に興味があったら、
こちらのHPを見てみて下さいね。

⇒ おせき餅 HP


Sさんが居酒屋に予約を入れておいてくださったので、
PM6:00に池田屋へ。
池田屋の跡地は今は「居酒屋池田屋」です。


跡地にこんなお店ができるなんて、
幕末の誰が想像したことでしょう?
しかも今、すごい人気のお店なんだそうです。
予約しないと入れない場合もあり、時間も2時間まで。


なんとか池田屋に潜入(?)して、
今日歩いたコースを確認しつつ、
新選組談議に花を咲かせます。
こうして京都の2日目の夜は更けていきました。

次回に続く…


池田屋!!
池田屋!! posted by (C)ルンちゃん

池田屋騒動の地碑
池田屋騒動の地碑 posted by (C)ルンちゃん

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posted by ルンちゃん at 23:36| Comment(0) | ☆京都(2012) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年05月18日

近藤勇が腰痛治癒祈願をした神社


京都史跡めぐり 2日目 〜その2〜

前回の続きです。
ちなみに前回はこちら ⇒ 京都史跡めぐり2日目〜その1〜


2日目のコースです。(赤字が今回の記事部分)

御香宮神社 − 伏見奉行所跡 − 
伏見/会津藩陣屋・魚三楼など −
 藤森神社 −
淀小橋跡
 − 井上源三郎首級埋葬地 − 
納所会館 − 妙教寺 − 愛宕茶屋埋骨地 − 
淀堤千両松激戦の祉碑 − おせき餅 − 池田屋跡


キザクラ〜^^
キザクラ〜^^ posted by (C)ルンちゃん


キザクラカッパカントリーで少し休憩をしてから、
京阪本線「伏見桃山」駅まで戻ります。
途中には、『伏見土佐藩邸跡』もあったので、
そちらもチョッと立ち寄りました。

伏見土佐藩邸跡
伏見土佐藩邸跡 posted by (C)ルンちゃん
碑しかないので、よく見ないとわかりません^^;



京阪本線で京都方面へ「藤森」駅まで戻ります。
そこから歩いて5分くらい。
『藤森神社(ふじのもりじんじゃ)』
に到着です。
敷地では縁日の準備がされていました。
「ゴールデンウィークだから?」と思いましたが、
どうやらお祭りみたいなんですね。


実はこの神社、「菖蒲の節句発祥の地」なんだそうですよ。
5月5日に「藤森祭(深草祭)」というお祭りがあります。
節句に飾る武者人形には、この藤森の神様が宿るといわれていて、
江戸時代には朝廷や幕府からも御下賜や献上品があり、
武運長久の祈願も行われていました。


藤森神社には本殿・東殿・西殿があり、
それぞれに複数の御祭神が祀られています。
本殿に祭られている神様のおひとり「神功皇后」が、
新羅から凱旋なさった時に
軍中の旗 (纛旗「とうき」)を立てられたのが、
この神社の始まりといわれています。


その発祥の地点(お旗塚)には、今もイチイの木の切り株があり、
「いちのきさん」と呼ばれています。
この「いちのきさん」にお参りすると腰痛が治るといわれていて、
「新選組の近藤勇も参拝して腰痛を治した」
という言い伝えがあるそうですよ。

藤森神社のイチイの木
藤森神社のイチイの木 posted by (C)ルンちゃん


いちのきさんの看板
いちのきさんの看板 posted by (C)ルンちゃん
近藤先生の名前があったので、写真をパチリ!



近藤勇が腰痛だったなんて知りませんでしたね〜。
(聞いたことある気もするけど…^^;)
胃痛に引き続き、体調不良で
いろいろ苦労していたんですね。


それにしても参拝するだけで腰痛が治るなんて、
すごいご利益ですね。
私は腰痛持ちではありませんけど、
今後腰痛になったときのために
先にお参りをしておきました。
これで将来万全です。


東殿には日本最初の学者である
舎人(とねり)親王が祀られているので、
学問向上にもご利益がありますよ。それから、
室町時代からの騎馬神事「走り馬(駈馬)」
というものもあって、その絡みで11月に
競馬関係者も多数出席するお祭りもあるようです。


ちなみに敷地内には、
歴代の有名な競馬ウマの絵馬も奉納されていて、
競馬ファンには嬉しい場所になっていますね。
(ナリタブライアンの絵馬もあったョ^^)
彼らはこの神社で勝運の神様にお祈りしてから、
淀の競馬場に向かうのだそうです。


私達も勝負のため…じゃありませんけど、
京阪本線「藤森」駅から再び「淀」へ向かいます。


「淀」駅にて、京都在住のSさんと合流。
伏見についてもすごくお詳しい方なので、
ここから新選組にも関わる場所を、
いろいろ案内していただきました。
3人旅の始まり〜。

淀小橋跡
淀小橋跡 posted by (C)ルンちゃん
左側の今は道の部分に、橋が架けられていたそうですよ。


淀小橋の碑
淀小橋の碑 posted by (C)ルンちゃん
碑は最近になってできたものです。



最初に訪れたのは『淀小橋跡』です。
昔の宇治川に架かっていたという橋で、
鳥羽伏見の戦いの時、幕府軍が
淀城に向かう途中で渡った橋です。


その際、追っ手から逃れるために
橋は焼き払われたのだとか。
でも頼みの淀藩は既に恭順の姿勢を取り、
幕府軍を入城させなかったのは、ご存知の通り。


「淀小橋跡」を後にして、
この旅一番の目的地へ向かいます。

次回に続く…


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posted by ルンちゃん at 00:03| Comment(0) | ☆京都(2012) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年05月13日

鳥羽伏見の戦いの地

京都史跡めぐり 2日目 〜その1〜

京都史跡めぐりの話の続きです。
ちなみに前回はこちら ⇒ 京都史跡めぐり1日目〜その2〜



京都2日目。
町家の小窓から見る空は良い天気です。
しかも、暑くなりそうな気配。


この日のコースは、かなり過激なスケジュールだったんですよ。
(赤字が今回の記事部分)


御香宮神社 − 伏見奉行所跡 − 
伏見/会津藩陣屋・魚三楼など
 − 
藤森神社 −淀小橋跡 −井上源三郎首級埋葬地 −
納所会館 − 妙教寺 − 愛宕茶屋埋骨地 − 
淀堤千両松激戦の祉碑 − おせき餅 − 池田屋跡
 


伏見方面がメインですよ。
伏見は学生時代に寺田屋へ行ったくらいで、
ほとんど足を運んだことがありません。
ですから、すごく楽しみでしたわーい(嬉しい顔)


まず、今夜の宿は別な場所なので、
宿で朝食を摂った後チェックアウトを済ませて、
次の宿へと向かいます。


といっても
歩いて10分位の場所なんですけどね。
「平安坊」という、
これまた町家風の宿に荷物を預けて、いざ出発!


京都駅から近鉄京都線で桃山御陵前駅まで行き、
そこから歩いて『御香宮神社』に向かいます。
この辺りは、以前来た事があるというKちゃんの案内です。
私はついていくだけなので、楽チンるんるん

御香宮神社
御香宮神社 posted by (C)ルンちゃん


5分位で到着。
よく写真で見た風景が現われました。
伏見は豊かな水のおかげで酒蔵も多い。
奉納された酒樽の数でもわかりますね。


御香宮神社の奉納酒
御香宮神社の奉納酒 posted by (C)ルンちゃん


『御香宮神社』はよい香りのする泉が湧いたことから
名付けられた名称です。
さぞかし美味しい水がいただけるのだろうと、
湧き水も飲んでみました。


クセがなく美味しい〜わーい(嬉しい顔)


これが香りのする水?
これが香りのする水? posted by (C)ルンちゃん
「水占い」というのもありました。
浮かんできた文字は…



由緒ある御香宮神社は、鳥羽伏見の戦いの際には
薩摩藩が陣を敷いた所でもありました。
沿道に並ぶ灯篭には「正保2年」という文字もみられます。
調べてみたら1645年ですって。
もちろん鳥羽伏見戦の時にはあったものですね。

御香宮神社の灯篭
御香宮神社の灯篭 posted by (C)ルンちゃん
沢山の灯篭が並んでいました。

  
           伏見の戦跡碑
           伏見の戦跡碑 posted by (C)ルンちゃん


伏見の戦跡の看板
伏見の戦跡の看板 posted by (C)ルンちゃん
「土方歳三」の文字もみえますよ。



ここは安産の神様なのに、ある意味正反対な「戦さ」
というものに関わりのある場所になってしまいました。
でも再び穏やかな風景に変貌し、今は
赤ちゃんを連れた家族が沢山訪れる場所になっています。
なんだか ほっとします。


ここから歩いて『伏見奉行所跡』に向かいます。
歩いてみるとよくわかりますが、
ちょうど『御香宮神社』辺りが高台で、
伏見奉行所はその下のほうになっていますよ。


陣地を取るなら高いところの方が何かと有利なので、
そう考えるとやはり『伏見奉行所』陣地はつらいな〜^^;
土方さんの苦い顔が思い浮かぶようです。


そんな伏見奉行所跡は、今は団地になっています。
この辺り一帯の住所には「−奉行町」という名前が付いていて、
地元の方の熱い想いもあるのでしょうか、
団地の造りにもすごくこだわっている
という感じですね。

伏見奉行所跡
伏見奉行所跡 posted by (C)ルンちゃん


ここから近鉄線の線路を渡って西側へ。
京阪本線の伏見桃山駅近くに『魚三楼』という料亭があります。
こちらも伏見戦の話には、よく登場するお店ですね。
鳥羽伏見の戦いの時に流れ弾がかすったという格子が
今でも残されていて見ることができますよ。

魚三楼
魚三楼 posted by (C)ルンちゃん

魚三楼の被弾跡
魚三楼の被弾跡 posted by (C)ルンちゃん


『魚三楼』から寺田屋のある方面へ西に進むと、
伏見御坊があります。東本願寺伏見別院のことです。
ここは会津藩の駐屯地になった所です。
伏見奉行所から簡単に歩いていける距離です。


昔はもっと家が少なかったでしょうから、
もっと近くに感じたかもしれません。
山門と鐘楼、銀杏の木は、幕末当時のまま
今も残っています。

会津藩駐屯地跡
posted by (C)ルンちゃん


ここまで来たところでチョッと休憩。
この日はとても暑くて、水なしでは歩けません。
この辺りには月桂冠や黄桜の酒蔵がありますよ。
私達も立ち寄ってみました(飲酒目当てじゃないけど^^;)


今回立ち寄ったのは「キザクラカッパカントリー」です。
こちらでは、お酒のできるまでの解説や、
河童にちなんだ展示がされていました。
おみやげも売っているので、しっかり見てみましたよ。


「酒粕の金平糖」というのもあったので、
友達のお土産に買ってみました。
お酒も買いたかったけど、
これからの史跡めぐりの道のりは長いので、
ここで購入するのは断念。


まだまだ長い、本日の道のり。
⇒ 次回に続きます

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posted by ルンちゃん at 23:33| Comment(0) | ☆京都(2012) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする