2012年05月11日

歴史館で気になっていたものを見た

京都史跡めぐり 1日目 〜その2〜

前回の続きです。
ちなみに前回はこちら ⇒ 京都史跡めぐり1日目〜その1〜


1日目のコースはこちらでした。
四条界隈 − 祇園会所跡 − 
八坂神社 −
 月真院 − 
霊山歴史館 − 古高俊太郎住居跡



四条通りを過ぎ八坂神社を抜けて、東山へ。
京都に来ると必ず訪れるのが東山です。
私のお気に入りの場所でもありますよ。


二年坂・三年坂(産寧坂)をぶらりと歩きます。
途中気になるお店に入ったり、食事をしたり。


ここで立ち寄るのは月真院です。
東山を歩けば自然と通る道ですからね。


月真院は、新選組から抜けた高台寺党の
伊東甲子太郎や藤堂平助らが屯所にしていた場所です。
その碑が門前にありますよ。でもそれ以外には
門の内側を見ても、彼らがいた
という形跡はひとつもありませんけどね。

御陵衛士屯所跡
御陵衛士屯所跡 posted by (C)ルンちゃん


月真院前には、新たに像が増えていましたよ。
沢山の通行人も立ち寄って見ていました。


清水坂には出ずに
もと来た道を戻って霊山方面へ向かいます。
近くには島田魁の墓のある「東大谷墓地」もありますが、
時間を考えて、本日は行かずに心の中で手を合わせます。


そして霊山歴史館
こちらに来るのも久しぶりですねわーい(嬉しい顔)


その日はちょうど春の特別展
「水戸学が開いた維新への扉 幕末精神をたどる」

を、開催していました。展示は二期構成で、
見学のときは第一期の最中でしたよ。


テーマが幾つか分かれていて

1.水戸学と尊王攘夷思想
2.龍馬を斬った刀
3.桜田門外の変
4.水戸藩士
5.水戸学と新選組
6.吉田松陰と松下村塾
7.水戸学と志士


となっていました。関連の絵や書簡、
パネルなどが展示されています。


「龍馬を斬った刀」では、数年前に
江戸東京博物館で開催された「龍馬伝」展で見たものが
展示されていました。刀もその時見ましたね。


今回、私達が霊山歴史館に来たのはお目当てがあってですが、
それはちょうど「水戸学と新選組」のコーナーにありましたよ。


ひとつは「近藤勇の直筆の掛け軸」です。
縦196センチ・横63センチの掛け軸で、
七言絶句の漢詩が書かれています。


これは3年前に京都市内の古美術商が、
大阪府内の旧家から入手したとかいうもので、
昨年10月にニュースにもなりましたよね。


ニュースの様子は、こちらのブログでも紹介しましたが、
あの時は本物は見ることはないだろうと思っていたのですが、
念願かなって直接見ることができましたよ。
「剣客士 近藤書」の字が、近藤勇らしくて微笑ましい。


そしてもうひとつも、昨年ニュースになった
「土方歳三が最後に残した辞世の句」
というものです。
霊山歴史館で収蔵していた資料を調査していたときに
見つけたそうで、島田魁の遺品の小冊子(綴り)の
最初の部分に書かれていたものです。


鉾とりて 月見るごとにおもふ 哉
          あすはかばねの上に 照るかと



調査によって、霊山歴史館の木村学芸課長が、
「総攻撃前夜に開かれた五稜郭幹部らの惜別の宴の際に
土方が詠んだのではないか」と考察しています。
土方さんの書いた字でもなさそうなので、
誰か(島田さん?)が書き写したということなんでしょうか。


この綴りには、他にも幾つかの歌が載っていて、
降伏の後で謹慎中に詠まれた隊士たちの歌も入っています。
こちらのほうも、私達にはすごく興味のあるものでした。


「義をたて つくせしことも 水の泡
          打よす浪に消て ながるも」 


「きのふ迄 ともになびきし 一枝の
          柳をちらす 秋風そ うき」



さて、誰の歌でしょうか? じつは
上は横倉甚五郎、下は中島登の歌なんですよ。


友人Kちゃんは以前から中島登のことを調べていますし、
私はといえば、彼らと同じ多摩出身ということで、
とても親近感を持っているのです。
ですから私達にとっては 
「気になるふたり」 なんですよね。


どちらの歌にも無念さが満ちていて、
彼らのことを考えると胸が痛くなるような歌です。
二人の歌は歴史館ニュースで確認できますよ。

⇒ 霊山歴史館ニュース


さて、歴史館を出て東山をのんびり歩いた後は、
木屋町方面へ向かいます。
木屋町通りにも史跡がいっぱいありますね。


土佐藩邸跡や本間精一郎遭難地の他、
お龍の独身時代寓居跡なんていうのもありました。

土佐藩邸跡
土佐藩邸跡 posted by (C)ルンちゃん


史跡の写真を撮りながら、解説板を読んでいると
地元のおじさんがやってきて、
史跡について説明してくれました。
きっと、いつもこうして観光客に話しているのでしょうね。


夕暮れの「しる幸」
夕暮れの「しる幸」 posted by (C)ルンちゃん


『古高俊太郎の住居跡』に来た頃には、
夕方の気配も漂ってきました。
この場所は現在「しる幸」というお食事処でもあり、
明かりがつくと、
また昼間とは違った風情が楽しめます。


ちなみに私は、このお店に入ったことがないので、
この旅では入りたいなと思いつつ、その日は断念。
期待は次の日へ…


こうして1日目の史跡めぐりは終わり、
東本願寺近くの本日のお宿に向かいます。
「御宿 にわ」
町家風の宿なんですね〜。

泊まったお宿「にわ」
泊まったお宿「にわ」 posted by (C)ルンちゃん


町家の間取りは東京人には、不思議な空間です。
「うなぎの寝床」という間口が狭く細長い空間。
それから中庭もあるしネ。
宿でも中庭部分が工夫してあって面白かったです。


そして泊まったのは「清風」という名のお部屋。
榎本武揚が土方歳三のことを「清風」と
たとえていたのを思い出し、
チョッとうれしくなってしまったのは、
私たちだけかしらねわーい(嬉しい顔)


泊まったお部屋は「清風」
泊まったお部屋は「清風」 posted by (C)ルンちゃん


宿の半露天風呂でその日の疲れを癒し、
この旅一番のハードスケジュールが待っている、
2日目に備えます。

京都史跡めぐり2日目〜その1〜 に続きます。

夕暮れの京都タワー
夕暮れの京都タワー posted by (C)ルンちゃん
京都タワーを見ると、「京都に来たんだな〜」と実感します。
ライトアップのタワーは優しい感じ〜^^


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posted by ルンちゃん at 00:05| Comment(2) | ☆京都(2012) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年05月07日

四条界隈は史跡の宝庫


京都史跡めぐり 1日目 〜その1〜
ゴールデンウィークを利用して、
京都へ行ってまいりましたわーい(嬉しい顔)


私にとって、京都訪問は8年ぶりです。
ちょうどあの大河ドラマ『新選組!』放送の時以来なんですよね。
2泊3日というほんのひと時でしたが、見たものが多くて、
なにからお話したらいいのか迷ってしまうほどですよ。


それで記事アップも、遅れていたわけですけど^^;


なんとか数回に分けて記事にしてみますので、
新選組づくしの旅、
よかったらご覧になってみて下さいねわーい(嬉しい顔)
ではさっそく、まいりましょ〜。


まずは1日目に行った場所のご案内です
四条界隈 − 祇園会所跡 − 
八坂神社
 − 月真院 − 
霊山歴史館 − 古高俊太郎住居跡



コースとしては少ないですけど、
そこは新選組が誕生した場所ですからね。
界隈いたる所が、ゆかりの場所みたいなものです。
ですから立ち止まる所が多くて多くて…


東京駅の新幹線ホームでKちゃんと待ち合わせ。
Kちゃんは函館も一緒に行った、新選組史跡めぐりの相棒です。
午前7時に出発して、9時20分頃にはもう京都。
ずいぶん京都までの時間が早くなりましたよね。
そこから地下鉄を利用して、あっという間に四条通りです。


四条大橋からの鴨川
四条大橋からの鴨川 posted by (C)ルンちゃん
久しぶりのいいお天気でした^^



こちらは四条の鴨川の様子ですよ。
京都に来たら、鴨川ははずせませんね。
5月が間近なので、川床の準備もしているようです。
今はこんな感じで穏やかな風景ですけど、
幕末は物騒な場所でした。


ちなみにこちらは『四条大橋』の様子です。

四条大橋
四条大橋 posted by (C)ルンちゃん


本当のところはわかりませんけど、
このあたりで沖田総司と永倉新八と斎藤一が
土佐浪士の那須盛馬と十津川郷士の中井庄五郎と出くわして、
斬り合いをしたという話がありますね。
新選組最強メンバー揃い踏みなんて、
想像しただけで身震いしそうです(うれしさで^^)


しかもその後斎藤は、紀州藩の三浦休太郎護衛のときに
襲撃してきた中井庄五郎と再び合間見えるという
奇遇に見舞われています。それが天満屋事件なんですけどね。


四条大橋では他にも、
新選組を中傷する立て札が建てられたこともあったようです。
そして、すぐそばにはこちらもありますよ。

南座です
南座です posted by (C)ルンちゃん

        南座の提灯
        南座の提灯 posted by (C)ルンちゃん


その昔、お芝居の最中に複数の新選組隊士が乱入してきて
ひと悶着起こしたというのが、この『南座』でした。
あまりいいお話ではありませんけどね、
いろんな隊士がいたということでしょう。
そんな隊士たちをまとめなければならない土方さんは、
さぞかし大変だったでしょうね。


四条大橋から四条通りを東に進んでいきます。
そうして見えるのが『一力亭』のお茶屋さん。

一力亭
一力亭 posted by (C)ルンちゃん


大石内蔵助も来たとかいう場所ですね。 ←この辺はよく知らない^^;
昔は『万亭』とか『万屋』とか言ったそうですが、
仮名手本忠臣蔵が上演されるときに、幕府をはばかって
「いちりき」と呼んだとか。


「万」の字をわけて「一」と「力」。
それで「いちりき」
それがそのまま、今の名前になったということです。


幕末ではこの場所で、近藤勇が各藩の周旋方のお歴々と同席し、
公武合体についての自分の意見を述べたのでした。
格式が高く一見さんは中に入れないので、
外から写真だけパチリ。

八坂神社
八坂神社 posted by (C)ルンちゃん

東の突き当りが八坂神社で、
その向かいの今ローソンになっている所が『祇園会所跡』です。
池田屋事件の時、新選組が壬生屯所を数名ずつ出て、
この祇園会所で落ち合ったといわれていますよね。


『八坂神社』も新選組の話があって、
「谷三十郎が石段下で殺されていた」という話や
「大石鍬次郎の兄が新選組隊士に殺された」
という話がありますが、その出処は子母沢寛著の
「新選組物語」なので、事実かは不明のようです。
(たぶん作り話)


でも八坂神社の北側は、実際に
壬生浪士組が相撲興行を主催した場所だ
といわれています。
相撲場面は「新選組!」にも出ていましたよね。
相撲興行は確か壬生と、
この場所の2箇所で行われたのではなかったかな。

円山公園
円山公園 posted by (C)ルンちゃん


四条通りは今も賑やかな繁華街ですけど、
こんな風に新選組関連の場所も沢山ありますよ。
ステキなお店もたくさんあるので、
史跡めぐりとお店めぐりで
いくら時間があっても足りないくらいです。
(今回載せていない史跡もあります)



そして東山方面へ。
お話は長くなりそうですので、次回に続きます。。。

円山公園のさくら
円山公園のさくら posted by (C)ルンちゃん
今年は寒かったので、京の桜に間に合いました。
見ることができて、とても嬉しかったです^^


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posted by ルンちゃん at 23:26| Comment(0) | ☆京都(2012) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする