2013年09月06日

あついぞ、日新館!


会津旅行 3日目(その1)


会津最終日のお話ですわーい(嬉しい顔)
3日目は会津若松駅から少し離れた「日新館」に行きましたよ。
日新館には、私もKちゃんも来たことがなかったので、
この旅行で、ぜひ来てみたかった場所なんです。


日新館の門
日新館の門 posted by (C)ルンちゃん


かつて日新館は、鶴ヶ城の近くにありました。
しかし会津戦争で西軍が城下に侵入してきたとき、
「敵に奪われてしまうよりは」と自分達の手で
藩校を焼いてしまたのです。
ですから現在、天文台の高台以外
その場所には、何も残っていません。


こちらの日新館は、当時の様子を再現するため、
会津若松駅から車で15分ほどの、
河東町に建てられたものです。それらの建物は、
幕末当時そのままに復元されているそうですよ。


建物の中には白虎隊の少年達の人形もあって、
どのように彼らが過ごしていたのかが、うかがえます。

日新館にて
日新館にて posted by (C)ルンちゃん


水練場
水練場 posted by (C)ルンちゃん


こちらは水練場。
「水練水馬池」というのだそうです。
水練といっても、今のような
クロールや平泳ぎで泳ぐというものではなく、
いろいろなワザを修練したようです。


写真で見たのは、
お膳を持ちながら立ち泳ぎをして進む
という離れワザでした^^;
あんな練習までしていたのでしょうか。


また水馬池というくらいですから、
馬に乗っての水練もあったようです。


かつての日新館については、旅行1日目に
その敷地の周囲を歩いてみたので、
およその広さの感覚はつかんでいました。
でもこうして見てみると、やはり広いですね!


日新館全望
日新館全望 posted by (C)ルンちゃん


これは天文台から見た風景ですが、
どの建物も立派ですよね。
実際の幕末時も周辺にはお城くらいしか、
高い建物はなかったと思うので、
こんな感じの風景だったかも知れませんね。


日新館は燃えてしまいましたが、
こうして完全復元することができたのは、
図面などの資料が残されていたからだそうです。


今、目にしている学び舎で
藩士の子供達はいろいろな学問を学び、
沢山の逸材が旅立ったのですね。熱いぞ会津!
(でも、志半ばで戦争に出た者もいますが…)


天文台を降りて、目に入ったのがこちら。

大砲訓練所
大砲訓練所 posted by (C)ルンちゃん


弓道場のようにも見えたのですが、
囲いの中には何も置かれていなかったので、
なんだろう?と調べてみたら、砲術訓練所でした。
山本覚馬さんも、このような場で、
調練の指導をしていたのでしょうねわーい(嬉しい顔)


敷地内の建物を隅々まで見て回りましたが、
この日もすっごく暑かったです!
何か冷たいものをと探していたら、
ご当地広告の自動販売機が目に入ってきました。
会津らしい図柄ですね〜。

日新館のご当地自販機
日新館のご当地自販機 posted by (C)ルンちゃん


日新館での見学はとても有意義なものですが、
見学以外にも「起き上がり小法師作り」や
「弓道」などの体験もできますよ。
こちらも体験してみると面白いです。。
(一応、弓道体験もしました^^)


午前中、じっくり日新館を見学した後は、
2日目にも使った「ぐるっとパス」でバスに乗り、
再び会津若松駅へ。


そこから「会津武家屋敷」方面のバスに乗り、
この日の昼食をいただきます。
行った所は「お秀茶屋」です。


お秀茶屋入口
お秀茶屋入口 posted by (C)ルンちゃん


お秀茶屋は江戸時代の初期から営業している
老舗の田楽屋さんです。この近くの川原は当時、
会津藩士の処刑場があったそうで、
罪人たちは最期の食として
こちらの田楽と清水を口にしたそうです。


田楽焼けてます^^
田楽焼けてます^^ posted by (C)ルンちゃん


炭火でこんがりと焼く田楽の香りが、
いやが上にも食欲をそそります。
なんでも秘伝の味噌をつけて焼くのだとか。


お秀茶屋の田楽
お秀茶屋の田楽るんるん posted by (C)ルンちゃん


これで一人前。
生揚げ・こんにゃくの他に、
身欠ニシンやお餅まで入っている!


特にお餅は夏という季節にもかかわらず、
ハグハグ食べるのが嬉しくて、
お腹はいっぱいになりながらも、
後を引く美味しさでした。
ご馳走さまでしたわーい(嬉しい顔)


そうして再び、炎天下に出て行くわけですが、
この後、私達は「緊張の時間」を過ごすことになるのです。


次回に続く…

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posted by ルンちゃん at 00:49| Comment(0) | ☆会津(2013) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年09月03日

土方歳三が入った湯・会津編

会津旅行 2日目(その3)


会津2日目の宿は東山温泉でした。
それで行く予定はなかったのですけど、
ちょうどその場を通ったので、写真を撮りました。
それが、こちらです。


東山温泉にて
東山温泉にて posted by (C)ルンちゃん


「不動滝旅館」の壁にある土方さんの絵です。
以前この地に来たときは、
こんな絵はなかったんですけどね。
噂で聞いていたけど、かなり大きな絵でびっくり。


宇都宮で負傷した土方歳三は、
今市から大内宿を通って会津に入ります。
そして東山温泉で、傷の療養のため湯治をした
と言われています。


東山温泉は奈良時代に
行基という僧が発見したと言われ、
かつて「奥羽三楽郷(のひとつ)」とも呼ばれていた
由緒ある温泉だそうです。


傷にもとてもいいそうで、きっと土方さんも 
人から是非にと奨められて、ここまで来たのでしょう。

注…奥羽三楽郷とは、上山温泉(山形県)、湯野浜温泉(山形県)、
  東山温泉(福島県)の三つのこと。



写真は「東山温泉発祥の源泉跡」の場所でもあり、
使用していないようですが、お湯がたまっています。
ここが「土方歳三が入った」とか
言われている場所なんですよねわーい(嬉しい顔)


とはいっても、
土方歳三が入った場所は確定されているわけではなく、
他にも候補として、向瀧(会津藩が利用した宿)のきつね湯や、
庄助の宿の瀧の湯などもあるようです。


大河ドラマ「新選組!」放送年より
前のことだったと思いますが、
一時この場所が「歳三の入った湯」ということで
話題になったことがありました。


歳三戦傷湯治の岩風呂看板
歳三戦傷湯治の岩風呂看板 posted by (C)ルンちゃん
この看板の下に跡があります



たしか、その際にこの看板も建てられたと記憶していますが、
同じ頃、私も会津にやって来て、この湯場に
立ち入らせてもらったことがありましたよ。
ただし、当時は「この場所(湯)は入れません」との
説明があって、お湯だけ触らせてもらいましたっけ。


でもね、その後の話だと思うのですけど、
後で友人から「水着着用で入ったよ」
なんて話を聞きましたね。
すごい根性、さすが新選組ファン!


今はそれも行っていないようですけどね。
それに、今は見た目もあまり「入りたい!」
というイメージが湧く場所ではないので
(ただのお湯だまりですし^^;)
もう少しイメージを良くしてもらえるといいのに、
と思います。


土方さんが入ったといわれている風呂跡
土方さんが入ったといわれている風呂跡 posted by (C)ルンちゃん


もし「土方さんが入ったお湯」だと確定したなら、
「私も入りたい!」って思う方が、
また増えるのかもしれません。


その時にはこの場所も、
もう少し風情のある様子に
変えてもらえるかもしれませんね。

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posted by ルンちゃん at 00:43| Comment(2) | ☆会津(2013) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年09月01日

大内宿にて

会津旅行 2日目(その2)


湯野上温泉駅からバスに乗って大内宿へ。
湯野上温泉駅近くでは川の奇石を上から眺めたり、
山に入っていく道では景色を眺めたりして、
バスの中楽しみました。

大内宿へ
大内宿へ posted by (C)ルンちゃん

夫婦岩
夫婦岩 posted by (C)ルンちゃん


そして大内宿到着!
通りから宿場に至る道に入っていきます。
すると視界に見えたのはこんな光景。

歩き目線
歩き目線 posted by (C)ルンちゃん


土方歳三さんが通った道と思うだけで
嬉しくなりますね〜わーい(嬉しい顔)
この風景を土方さんも見たのかな?
でも、こんなに人は多くなかったと思うのですけど。


大内宿は会津若松駅周辺よりも山間部にあるので、
多少気温が低いそうですよ。でも
この日の気温はかなり高かったので、
低いといっても、あまり涼しく感じませんでした。
(市街地が32℃、大内宿が30℃くらい?)


ひゃっこい!!
ひゃっこい!! posted by (C)ルンちゃん


でも水は別!! これはかなり冷たいですよ。
宿場内では、こうして用水路の水でラムネを冷やしています。
ずっと手を入れていると手が痛くなるくらい。
でも気持ちいいるんるん


大内宿といえば、よく見る光景がありますよね。
あの眺めのいい場所に、誰でも行くことができます。
大内宿の一番奥、小高い山の中腹です。
でもそのためには、この階段を上っていかないと…


展望の良い場所へ
展望の良い場所へ posted by (C)ルンちゃん


かなり急ですよ。でも、
普段高尾山で鍛えている足ですし、
「見たい!」という思いの方が優先していたので、
あっという間に登りました。そしてあの景色とご対面!!
「おお、これぞ大内宿!」っていう感じですね!


階段の先には…
階段の先には… posted by (C)ルンちゃん
この手前の藁葺き屋根が、昼食に入った「浅沼食堂」です^^



大内宿です^^
大内宿です^^ posted by (C)ルンちゃん


この風景をしっかり満喫して、山を下ります。
その後は昼食をいただきました。
今回入ったお店は「浅沼食堂」さん。
ちょうど一望の風景を眺めた際、眼下に見たお店ですよ。

浅沼食堂
浅沼食堂 posted by (C)ルンちゃん

浅沼食堂入口
浅沼食堂入口 posted by (C)ルンちゃん


浅沼食堂さんは大内宿の一番奥、
しかも高台にあるので、
お店の中から宿場が一望できるのです。
裏山から吹いてくる風がとっても涼しくて、
席によってはその風を顔に受けることができて、
すごく気持いいのですわーい(嬉しい顔)


私は幸運にもその席だったので、
お蕎麦を待っている間、涼んでいられました。


さてその蕎麦なんですけど、
大内宿には変わったお蕎麦があるのです。
う〜ん、チョッと表現が違うかな。


蕎麦が違うというより、食べ方が違うといった方が
いいかもしれませんね。


お箸の替わりに長ネギ1本が付いてきて、
これを箸代わりにして蕎麦を食べるんですよ。
これが「ねぎそば」です。


大内宿名物の蕎麦
大内宿名物の蕎麦 posted by (C)ルンちゃん


基本は「高遠そば」というもので、
それは「からつゆ」と呼ばれる焼きみそと
辛味大根を合わせた汁で食べる
というものだそうですよ。


でも今では、それぞれのお店で工夫され、
いろいろな味が楽しめるようです。


ちなみに「高遠そば」の名は、高遠藩に由来します。
江戸時代初期に保科家が高遠から会津に移った際に、
この蕎麦文化も会津に持ち込まれたんですね。


ただ「ネギを箸代わりにして食べる」というのは、
大内宿にある「三澤屋」さんのご主人が考案されたもので、
そんなに古いものではないようです。


ネギ一本で蕎麦を食べるのは、なかなか難しいです。
ネギは薬味でもあるので、少しずつかじりながら
蕎麦をいただきます。


それだけだと辛いので、
イワナの塩焼きも注文しましたよ。
これが骨まで丸ごと食べられるようになっていて、
とても美味しかったですわーい(嬉しい顔)


さあ、お腹がいっぱいになったところで後半です。
ここからは会津戦争のお話。


大内宿というと、ルンちゃんなんかは
「宇都宮で負傷した土方さんが、
 今市からこの大内宿経由で会津入りした」
というくらいの認識しかなかったのですが、
この大内宿にも戦争の影響は多々あったそうです。


母成峠が破られて、
会津藩が戦線を縮小せざるを得なかった時、
この大内宿が南方口の防備の拠点となりました。


そのため幾度か、この場所で新政府軍と会津藩との
攻防戦が繰り広げられたようです。
あの佐川官兵衛もゲリラ戦でやって来ているそうです。


占拠者が変わる度に、大内宿の村人達は彼らに
従わざるを得ませんでした。
時には戦火に巻き込まれそうになりますが、
なんとか村人達の力でくい止めたそうです。


こちら阿部家では、
当時の大砲の弾が展示されています。
ここは当時、名主だった家です。

阿部家看板
阿部家看板 posted by (C)ルンちゃん

阿部家
阿部家 posted by (C)ルンちゃん


本陣がなかった時期に、
この阿部家が本陣として使用されたそうです。
こちらの家屋は欄間がチョッと変わっていて、
立てた矢を並べて模様にしてあるんですよ。
こんなの見たのは初めてです。


阿部屋の室内
阿部屋の室内 posted by (C)ルンちゃん


こちらは、阿部家に置かれている四斤砲の弾です。

戊辰戦争時の大砲の弾
戊辰戦争時の大砲の弾 posted by (C)ルンちゃん


添え書きによれば、
大内沼(現・大内ダム)で実際に会津藩と西軍とが
戦った際に使用された大砲の弾とのことです。
敵方を「西軍」と呼ぶところが、会津らしいですよね。


他の家にも会津戦争の名残りがあるようです。
今回は資料不足と時間不足とで、
戦争関連を見学したのはこのくらいです。
帰宅してから調べてみたら他にもあるみたいでしたので、
また機会を見つけて訪れたいです。


宿場内では、それぞれのお店が
郷土にちなんだお土産を売っていますよ。
ちりめんのお人形とか印象に残っています。


また食べるものも沢山あって、
美味しそうなものを見つけて、ほおばってしまいました。

山葡萄アイス
山葡萄アイス posted by (C)ルンちゃん


大内宿内は宿場町なので、
そんなに長い距離でもありません。
こういう風景に興味がないと、すぐ飽きてしまい
すぐに帰ってしまう人もあるようです。


私も最初自分は「すぐ帰る派かな?」って思いましたが、
そんなことはありませんでしたね。
お店も一軒ずつ時間を掛けて見ないと、
気が済まないみたいです。ですから、
また絶対に大内宿を訪れたいですわーい(嬉しい顔)

大内宿本陣
大内宿本陣 posted by (C)ルンちゃん

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posted by ルンちゃん at 00:05| Comment(0) | ☆会津(2013) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする