2009年02月18日

「新選組 その後」展レポート


先日2月15日(日)に行われた、
天然理心流演武。あれは、
日野市立新選組のふるさと歴史館の
特別展にさきがけて行われた、
イベントだったのです。

その時の記事 ⇒ 幕末天然理心流の再現


そして本当は、
これがメインなんですよ。


第4回特別展
「新選組 その後 
 〜自由民権運動に仮託した多摩の思い〜」
平成21年2月14日(土)〜5月24日(日)



今まで歴史館では、今回を含め
4回の特別展を行いました。
(こちらでもレポートさせて頂いています。
        青字はそのレポートです)

第1回 新選組 誕生
第2回 新選組 京都の日々1 
    新選組 京都の日々2
第3回 新選組 戊辰戦争のなかで1 
    新選組戊辰戦争のなかで2
第4回 新選組 その後(今回)

これで一応完結となるわけです。


さて、この「新選組 その後」展
タイトルの通り、
箱館で降伏した後の
新選組を追っています。


といっても土方歳三は戦死し
既にこの世にはなく、
最後の隊長となった相馬主計が、
戦争の責任をとって
新島に流刑となってしまった以上、
新選組としての組織の存在は
まったくありません。


追いかけるのは、個々の隊士たち。
そして、かれらの思い―――です。


元新選組隊士が、その後
どのような生き方をしたのか?
新選組を支えた多摩がその後、
どんな目にあったのか?


そして、近藤や土方たちの思いを、
多摩の人々がどのように
継承していったのか?
そんなことがわかる、今回の展示です。


甲陽鎮撫隊(新選組)が甲府で惨敗し、
日野に新政府軍がなだれ込んできます。
その時新選組に関わる人々が、
かなり危ない目にあいました。


そしてその後も、多摩地方では
いろいろと抑圧があったようです。


その当時の不満や政治への不安もまざり、
多摩地方では自由民権運動が
盛んになりました。


自由民権運動っていうと、
板垣退助の動きに目がいきがちですけど、
じつは多摩地方でも
かなり活発だったんですよね。


そんな自由民権運動にちなんだ
数々の展示が、
初めのコーナーの部分ですよ。


そして、次のコーナーは
生き残った新選組隊士たちの話です。


新島に流罪となった、相馬主計のこと。
そして、井上泰助(井上源三郎の甥)や松本捨助、
永倉新八や桑名、唐津の藩士達。

故郷に帰ったり、投降した後の
それぞれの生活について展示されています。


別なコーナーでは、新徴組のその後や、
最初に戻って、
清川八郎・山岡鉄舟の資料を展示し、
「新選組とはなんだったのか?」

という新選組の歴史的役割について、
見学者になげかけています。


個人的な感想としては、
「新選組のその後」ということで、
新選組の華やかかりし部分ではないですし、
間接的な部分が多いため、
全体的に地味な展示のように
感じられました。


また桑名・唐津の藩士達の部分は
箱館戦争に至る経緯を知らないと
「どうしてここに桑名・唐津の藩士達の話が?」
と思えてくるような唐突さも感じられ、
この特別展だけ見た人でも、わかるような
もう少し詳しい解説が欲しいな
と思います。
(たぶんこうして書いてても
 「?」の方がいらっしゃるかもしれませんよね)



そんな中で、今回行ってよかったな
と思ったのは、
相馬主計の肖像画
が見られたことでしょう。
これは、今回初めての出展です。


近年発見されたもので、
相馬主計の奥さん(植村マツ)
大切にしていたものだそうです。


相馬主計がいくつで亡くなったのか、
はっきりとはわかっていません。
でも、この肖像画を拝見すると
かなり高齢にもみえるのですよね。


もし40代くらいで亡くなったとして、
この肖像画のような姿だったとしたら、
ずいぶん苦労をしたのではないかと、
察せられるものです。


この写真だけ見せられて、「誰か?」
といわれてもわからないかもしれませんが、
「これが相馬主計です」と言われれば、
頬のあたりが、よく見る相馬さんの写真と似ていて、
なるほど〜と思えますよ。


他に相馬主計の書いた嘆願書
みられたので、
一応満足のルンちゃんです。


「新選組 その後」展は5月24日(日)まで開催中です。
新選組まつりの時もやってますので、
ついでに足を運んでみるのも
いいかもしれませんね。


特別展はいつも途中で展示換えもあるので、
私もまた、見学にいこうと思っています。

今日の記事はいかがでしたか?
「今日読んだよ、面白かったよ、役に立ったよ」の印に
応援クリックを頂けますと私の励みになります。

⇒ 歴史ブログ 幕末・明治維新

クリックをたくさん頂いた記事を、
今後の記事アップの参考にして、
もっと楽しい記事を作っていきたいです^^(ルンちゃん)
 
新選組のチョッと話 トップページに戻る
posted by ルンちゃん at 11:43| Comment(6) | 新選組のふるさと歴史館 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月06日

新選組のふるさと歴史館の企画展


今、日野市立新選組のふるさと歴史館で
企画展が開催中です


第1回企画展
「鉄砲から見た近代の夜明け」
平成20年7月19日(土)
     〜8月31日(日)



今年で開館4年目になる 『新選組のふるさと歴史館』


これまで新選組をメインにした特別展を
何度か開催していますが、
今回は初めての企画展を実施するということで、
気になって行ってみました


今回のテーマは『鉄砲』について。



実はルンちゃん、
鉄砲のことはさっぱりわからず、
知っているのはゲベールやスペンサーっていう
名前くらいなんですよ。


ですから、この機会にいろいろ知っておこうと
意気込んで見てまいりました。


日本における砲術の発展は、
国内の動乱とともにあります。
戦国時代はその典型ですよね。


ですから反対に、
天下泰平となる江戸時代の始まりから、
急激に衰退していくことになります。


それでも、武家社会のなかでは
砲術も精神修行の手段として、
廃れることなく続いていました。


刀が泰平の世の中で
美術品として見られていたように、
鉄砲も技術の面ではなく
芸術面での進化を遂げていくのは、
日本独自のものかもしれません。


日本製のものは、
留め金ひとつとってみても細工が施され、
昔の職人の遊び心が感じられるのです。


例えば、銃身に桜の花が施されているのですよ。
外国製の鉄砲は機能重視なので、
そんなものはひとつもありません。
(探せばあるのかもしれませんけど^^;)


こういった作品を見るとき、
昔の人の心に触れたような気がしてきます。


でも所詮、鉄砲は武器のひとつでしかありません。
社会が不安な情勢になるにしたがい、
なりを潜めていた性能の進化が再び始まります。


幕末になって、外国からの高性能銃の輸入や、
国内での改良による
技術の向上が確認できるのです。


展示されているものは幕末の頃の銃ですが、
技術の向上は止まることはありません。


そして幕末という時代は、
今という時代につながっているのです…
(その先のことは、あなた自身で思い感じて下さい…)


見方は人それぞれですが、
この展を見ることによって、
いろいろなものを感じることができますよ。


具体的に見ることができる技術の向上のひとつは、
ミニエー銃の弾丸のことです。
椎の実形の鉄砲の弾は、
じつは後ろに大きめのくぼみ
(上げ底みたいなもの)があるのです。


鉄砲の弾は、弾込めしやすいように
銃口より小さめになっていますが、
銃射の際には、発射時のガス圧で
弾の底のくぼみの部分がふくらみ
銃身にぴったりになって、
より飛距離が伸びる仕組みになっています。


よく考えてありますよね。


その他、幾つかの銃が展示されていて、
直接個々の特徴を見比べることができるので
進化の仕方もわかり易いと思います。


銃のことで他に気になるのは、
土方さんの持っていた拳銃のこと。
あなたも 興味がありますよね?


土方さんの拳銃については
何の話も残ってはいないようですが、
あの有名な写真には、
しっかり写っていますよね。


今回の企画展には
土方が持っていた拳銃(の型)は
これではなかったかという例として
ある拳銃が展示されています。


その名はフランス製の
ルフォウショウ・リボルバー

ナポレオン3世が徳川慶喜に贈ったものと
同型の銃です。


徳川幕府と関わりの深かったフランスの製品
ということで、土方が持っていた可能性は
充分考えられますよね。


実際の拳銃は、
直接会場でお確かめ下さいね。
(百聞は一見にしかずですから^^)
企画展は8月末までやっています。


ふるさと歴史館から遠い場所にお住まいの方は、
今回は無理でも、この名前をしっかり覚えておいて、
どこかの歴史展などで拳銃を見たときに、
チェックしてみて下さいね。


今日の記事はいかがでしたか?
「今日読んだよ、面白かったよ、役に立ったよ」の印に
応援クリックを頂けますと私の励みになります。

⇒ 歴史ブログ 幕末・明治維新

クリックをたくさん頂いた記事を、
今後の記事アップの参考にして、
もっと楽しい記事を作っていきたいです^^(ルンちゃん)
 
新選組のチョッと話 トップページに戻る
posted by ルンちゃん at 11:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 新選組のふるさと歴史館 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年04月23日

相馬主計『贈友談話』のこと


日野市立新選組のふるさと歴史館で行われている
特別展「新選組 戊辰戦争のなかで」展の展示品が
一部入れ替わったというので
再び見に行ってきました。


ちなみに前回の話はこちらです。
過去記事 ⇒ 「新発見!相馬主計の手記」


前回の記事でご紹介した土方歳三の手紙
相馬主計の手記「贈友談話」
引き続き展示されていましたが、
全体的には薩摩関係資料が目立った感じでした。


その中には今大河ドラマ『篤姫』にも登場している
小松帯刀(肝付尚五郎)の書状もありましたよ。
町田民部宛の書状で
「禁門の変」直前に書かれたものだそうです。


黒田清隆の内閣総理大臣の辞令書など
黒田関連の書簡も多数ありましたので、
薩摩関係に興味のある方には
嬉しいかもしれませんね。


そんななかで
沖田総司に関する風評がひとつ!
伏見街道で沖田が即死したという話が
巷でささやかれたらしい…


「上書・建白書並び風説書留」に
書いてあるのですが、
どこをどう間違えて近藤から沖田、
怪我が即死になるのでしょう。
また、そんなものが文面で残っているのも
面白いですよね。


さて、相馬主計の『贈友談話』ですが、
中身の詳細がやっとわかりました。


新選組のふるさと歴史館で
今回の展の詳細が書かれている
「日野市立新選組のふるさと歴史館叢書く 第三輯」が
販売されたのです。


そちらに全ページの写真と
翻刻文が載っています。


中身のことを詳しく書くと
「転載禁止」に触れてしまいそうで
あまり多くのことはいえないのですが、
『贈友談話』によっていくつかの不明瞭な部分が
多少なりともわかったと思います。


例えば相馬主計は箱館戦争後に後始末のために
新選組の隊長に選ばれたというわけでもなく、
箱館へ渡る前から、
別隊を率いることができるほど
優秀な人物であったこと。


そして、相馬主計だけが
新島へ流された理由などです。


反対に疑問がより一層強くなったのは
切腹についてでした。


相馬主計は新島から戻った後、
自ら命を絶つのですが、
『贈友談話』には自らの命があることに
喜びと感謝の念すら抱いているのですよね。


それなのになぜ
切腹してしまったのでしょうか?


その辺りの疑問を解消すべく、
もっとじっくり読みかえしてみようと思います。


「日野市立新選組のふるさと歴史館叢書く 第三輯」は
新選組ふるさと歴史館で入手できます。
気になるようでしたら、
見てみてくださいね。

今日の記事はいかがでしたか?
「今日読んだよ、面白かったよ、役に立ったよ」の印に
応援クリックを頂けますと私の励みになります。

⇒ 歴史ブログ 幕末・明治維新

クリックをたくさん頂いた記事を、
今後の記事アップの参考にして、
もっと楽しい記事を作っていきたいです^^(ルンちゃん)
 
新選組のチョッと話 トップページに戻る
posted by ルンちゃん at 14:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 新選組のふるさと歴史館 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする