2015年10月08日

藩士の珈琲


弘前には「藩士の珈琲」というのがあるんですよ
ご存知でしたか?


藩士の珈琲とは?


その昔、鎖国の続いた日本の沖合いで、
外国船が見られるようになりました。
江戸幕府は沿岸警備の必要性を感じ、
各藩にそれを命じます。


北方警備の命を受けた藩のひとつに
弘前藩がありました。
文化4(1807)年、弘前藩士たちは
蝦夷(=北海道)の宗谷岬方面へ赴きます。


ここで彼らは、思わぬ敵に遭遇します。
彼らを襲ったのは、「北からの侵入者」
ではなく、ビタミン不足からくる浮腫病でした。
病は藩士たちを死に至らしめました。


安政2(1855)年、再び藩士たちは
蝦夷の警備に赴きます。
でも、その時の彼らには浮腫病の予防薬として、
強い味方がありました。


彼らが携えていたもの、
それは「珈琲」だったのです。


「珈琲」が浮腫病に効くということは、
蘭学医の広川獬が書いた「蘭療法」にあります。
藩士が最初に北方警備に赴く4年前の
享和3(1803)年に書かれたものです。


ちなみに浮腫病は水ぶくれになり、
顔はむくんで、お腹が太鼓のように膨れて
死に至るという奇病だそうです。


ビタミン不足が原因のようですが、コーヒー豆には
トリゴネリンという成分が含有していて、それが
焙煎の熱で分解され、ビタミンB1群の成分になるそうです。
それが予防に効果があったのかもしれませんね。


「珈琲」は当時、長崎(出島)の蘭学者や
特権階級者の間では飲まれていたようですが、
世間にはまだ浸透していません。


しかし弘前藩では、松前藩士や
警備に駆り出された庶民たちまでもが
珈琲を飲んでいたようです。
(もちろん予防薬としてですが)


蝦夷地御用留「二」というものに
当時の珈琲の飲み方が書かれているそうで、
それを現代に再現したのが
「藩士の珈琲」というわけです


さて、現在の弘前は
「珈琲の街」ともいわれているように、
沢山のコーヒー店が軒を連ねています。それは
前述のような歴史があるからかもしれません。


弘前訪問が決定した時、
「藩士の珈琲」というのがあることを知って、
是非飲んでみたいと思いました。
それで「藩士の珈琲」を提供している
お店(いくつかある)を探して訪問してみたのです。


でもお盆中ということもあって、臨時休業だったり、
営業していても忙しいことを理由に断られたりで
飲むことはできませんでした。残念!
(普通の珈琲より、ずっと手間がかかるので^^;)


でも、おみやげ用として
「藩士の珈琲」が販売されていたので、
迷うことなく買ってきましたよ。
帰宅後、自宅にていただきました


藩士の珈琲
藩士の珈琲 posted by (C)ルンちゃん
中身は7袋入っています


昔の藩士たちは湯のみ茶碗に入れて
薬の代わりに飲んでいたので、
私も湯のみで体験してみます。


パッケージと中身
パッケージと中身 posted by (C)ルンちゃん


ダンク式珈琲パックという
なにやらスティックのついた中身です。
そのスティックを真っ直ぐに伸ばし、
本体の白い部分を湯のみに置き、
湯を少し入れて蒸らします。


湯呑茶碗でいただきます
湯呑茶碗でいただきます posted by (C)ルンちゃん


程よいところでお湯を追加し、
スティックを持って茶碗の中で
上下に揺らします。


見た目は和風
見た目は和風 posted by (C)ルンちゃん


濃さはお好み次第。
でもあまりやりすぎると苦味が増すかな
と思って少し早めに取り出してみましたよ。


お湯をかけたときから、
コーヒー独特の香りが漂っています。
それがとてもいい香りなんですね


実は私は紅茶党なので、
ふだんはあまりコーヒーを飲みません。
でも、この「藩士の珈琲」はすごくいい香りで、
飲みたい気持をそそりますね〜。


口にふくむとその香りは一層増して、
口いっぱいに風味が広がります。
味もまろやかで、とても美味しかったですよ


江戸時代の「藩士の珈琲」の作り方は、
よく煎ったコーヒー豆を細かく砕いた後に、
麻袋に2さじほどを入れます。


その麻袋を土瓶に投入、
熱いお湯を入れて振り出すそうです。
そして茶碗に注いで、砂糖を加えてできあがり。


コーヒー豆を煎ったり、
細かく砕いたりする作業がすべて手作業なので、
かなり時間がかかるわけですね。
それでも予防薬だったので、
手間がかかってでも作ったのです。


とはいうものの、きっと江戸時代でも
美味しくできたでしょうから、
手間がかかっても作り甲斐はあったでしょうね


現在「藩士の珈琲」を出すお店は
弘前市内に何件かあります。その中でも
「藩士の珈琲」を最初に再現した
成田専蔵珈琲店では、
実際に作業を体験できるらしいです。


今度弘前に行ったときには、是非
「藩士の珈琲」を体験してみたいですね。
(あっ、その前に自宅で作ってみればいいか)


「藩士の珈琲」体験の様子はYouTubeで見られます
⇒ 藩士の珈琲    注…音が出ます

通販でも手に入ります^^

ANA機内誌『翼の王国』で紹介!珈琲の街ひろさき 
藩士の珈琲 成田専蔵珈琲店オリジナルブレンド


※本記事は「弘前は珈琲の街です委員会」の記事を
 参考にさせていただきました

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2015年09月27日

弘前市の新選組史跡めぐり


夏休み旅行の3日目。
青森駅から弘前駅へと電車に乗りましたよ。


ここで登場するのが、
五能線・リゾートしらかみです。
五能線は、そのルートの景観の見事さに
とても定評のある路線です。


リゾートしらかみ
リゾートしらかみ posted by (C)ルンちゃん


私達が乗った「青池」列車は
ブルーの車体がとても綺麗なんです。
しかも車内はゆったりしていて、
リクライニングシートでも他人に迷惑かけないし、
窓も膝のラインまでとてもワイドで、
まるで景色が飛び込んでくるようです。


いつまでもずっーと乗っていたい
と思う列車でしたけど、目的地までが短くて、
後ろ髪惹かれる思いで下車しました。
(絶景なのは弘前駅より先なのにね〜^^;)


さて気分を入れ替えて、弘前市内へ。
駅を出たところにあるのが、
弘前市観光案内所です。


ここではレンタサイクルを利用し、
市内を観光します。観光案内所の他にも、
市内の数箇所で自転車が借りられるので便利ですよ。
ガイドマップを貰って、街へGO!


弘前レンタサイクル
弘前レンタサイクル posted by (C)ルンちゃん
借りた自転車♪
いつも車なので自転車乗るのは久しぶり〜^^



最初に向かった場所は、薬王院です。
こちらは、箱館戦争で降伏した新選組隊士たちが、
弘前で謹慎した寺です。


薬王院
薬王院 posted by (C)ルンちゃん

薬王院の山門
薬王院の山門 posted by (C)ルンちゃん


箱館戦争後の彼らの収容先は転々としていて、
先にご紹介した青森駅周辺のお寺の後に
こちらへやってきました。

ちなみに過去記事 ⇒ 青森市の新選組史跡めぐり


この前後の彼らの移動場所は
弁天台場(箱館) ⇒ 称名寺(箱館) 
⇒ 蓮華寺(青森) ⇒明誓寺(青森)
⇒ 蓮華寺(青森) ⇒ 薬王院(弘前) 
⇒ 蓮華寺(青森) ⇒ 弁天台場(箱館)



となっていて、
蓮華寺のように休憩だけの場所もありますが、
約1年の間にあちらこちらへと、移動させられていたのです。
(情報提供…友人Kちゃん。ありがとうございました^^)


本人達は大変でしたでしょうけど、
おかげで私たちはこうして
いろいろな場所に史跡めぐりができるのですね。


弘前へ送られた旧幕府軍は約600人で、
そのうち97人ほどが薬王院に収容されました。
名簿の中には、中島登や島田魁の名前があります。
他には大野右仲や森常吉も。


薬王院本堂
薬王院本堂 posted by (C)ルンちゃん


現在の薬王院は、正面から見た感じでは
そんなに広い敷地ではありませんが、
ここに100人近くの人が一時
住んでいたというのですから驚きですよね。


本堂全景
本堂全景 posted by (C)ルンちゃん


当時のままに残っているのかは不明でしたが、
しばし彼らの面影を探すように一望して、
お寺を後にしました。


旧幕府軍約600人は、
新選組の収容所だった薬王院の他に、
複数の寺院に振り分けられて収容されたようです。


中でも耕春院は、新選組隊士の
安富才助が収容された場所なので、
行ってみることにしましたよ。


安富才助は新選組隊士でありながら、
陸軍奉行添役という立場から
こちらで謹慎となりました。


青森でも一行の責任者の一人として、
新選組隊士らが収容された明誓寺とは別に、
蓮心寺に収容されています。


蓮心寺の収容者のうち、安富才助含む
63人がこの耕春院に護送されました。


現在の耕春院は「宗徳寺」という名前に変わっています。
明治45(1912)年に、金沢市の「龍光山宗徳寺」と
ここにあった「長福山耕春院」が合併し、
「耕春山宗徳寺」と名前を変えたからです。


宗徳寺のある場所は寺町で、
「禅林街(ぜんりんがい)」と呼ばれている所です。


なんでも慶長15(1610)年に
2代藩主の津軽信枚が弘前城の南西の砦として、
津軽周辺にあった曹洞宗の主だった寺院を
集めたものだそうですよ。


40以上のお寺が連なっていて、
お寺の隣にお寺、その隣りも向かいもお寺という
普段の生活とは違った雰囲気の場所です。


ちょうど訪問日はお盆の時でしたので、
道は墓参車の大渋滞。
おまわりさんが交通整理をし、
道に露店が出店しているという
見たことのない光景に圧倒されました。


そんな渋滞を尻目に、
レンタサイクルで行く私たちは
渋滞に巻き込まれることもなく
スムーズに進みます。


寺町に入り、道を右に曲がると
その一番奥に宗徳寺(=耕春院)がありました。
こちらは山門も立派ですが、
本堂も趣があって重厚な雰囲気ですね。


宗徳寺
宗徳寺 posted by (C)ルンちゃん

宗徳寺山門
宗徳寺山門 posted by (C)ルンちゃん


また緑が深く、和むこともできますので、
ここでの謹慎なら、多少は心安らかに
過ごせたのではないかなと思います。


宗徳寺本堂
宗徳寺本堂 posted by (C)ルンちゃん


お寺が一番奥にあるためか
墓参者もまばらで、私達も
墓参の方々の邪魔になることもなく、
のんびり過ごすことができました。


宗徳寺にて
宗徳寺にて posted by (C)ルンちゃん


弘前での新選組史跡めぐりは、この二つです。
その後は弘前城やりんご公園まで足を伸ばし、
旅を終えたのです。

弘前城の過去記事はこちら 
⇒ お城が動いた


3日間で下北半島、青森市内、
弘前市内といろいろ訪問して、
かなり内容の濃い旅となりました


行きたい所はほとんど行かれたので、
とても満足しています。でも、今度
同じ場所に訪問することになったら、
それぞれの地域で連泊の旅がしてみたいですね。
(それだけハードスケジュールでしたから^^;)


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2015年09月21日

お城が動いた!


先月の夏休みの旅行では、
「弘前城跡」も見学してきましたよ


弘前城の追手門
弘前城の追手門 posted by (C)ルンちゃん


弘前城といえば、
お堀に見える天守が有名ですよね。


弘前城の天守
弘前城の天守 posted by (C)ルンちゃん


弘前城に行けば、必ず見る光景です。
でも、今はこうなっているんです。


お城は今
お城は今 posted by (C)ルンちゃん


実は、この天守のある本丸東側の石垣(=側面)が、
1983(昭和58)年の日本海中部地震の時から
少しずつ膨らんできているのだそうです。


このままいくと崩落する危険もあり、
上にある天守も落ちてしまうかもしれません。
実際に天守が傾き始めているのも
確認されているそうです。


そこで弘前市では、
天守を曳家することにしたそうですよ。
つまり解体せずに、お城ごと移動するんです。
これはビッグプロジェクトですよね


曳家技術の歴史は古く、
あのピラミッドの大きな石移動も
同じような技術で行われました。
日本でも古くから曳家はされていたようです。


近代で曳家された有名な建物ですと、
赤坂プリンスホテル(旧館)や
総理大臣公邸などがありますね。


まあ、私が知っている身近な曳家といえば、
日野の名主・佐藤彦五郎邸にあった
上段の間と御前の間ですけどね。
用水路を使って移動したそうですよ。


さて、弘前城の天守のほうは、
こんな風に移動するそうです。


移動予想図
移動予想図 posted by (C)ルンちゃん


移動の様子
移動の様子 posted by (C)ルンちゃん
赤い部分は別の遺跡の移動です。
曳家は右部分。



移動にあたっては、2回
向きを変えながら行います。


8月に行った時には既に、このように
移動場所の準備はできていたんですよね。
今にも曳家は始まるところだったんです。


お城の移動場所
お城の移動場所 posted by (C)ルンちゃん

曳家予定地
曳家予定地 posted by (C)ルンちゃん


そして、曳家開始!
8月16日(日)に「地切式」があって、
揚屋が行われました。その後も順次作業が行われ、
1回目の曳家が済んだようです。


そしてこの連休(シルバーウイーク)を含めた
平成27年9月20日(日)から27日(日)には、
「曳屋ウィーク」と称して、市民や観光客の手で
お城を移動するみたいですよ


作業は天守の台座に4本の綱をくくりつけ、
約100名の人の手で引っ張るという
いたってシンプルな方法なんですけど、
それでも動いた時は感動ですよね。
できれば現地で見たかったです。


弘前城の曳家の様子は、
弘前市役所のホームページで見られます。
興味があったら覗いてみて下さいね。
私も気になって見ています

⇒ 弘前市役所HP
※リンクはトップページしかできませんでしたが、
 弘前城本丸石垣修理事業 で検索の方が詳しいです

※弘前城移動では「曳屋」の文字を使用していますが、
 当ブログでは「曳家」の文字を使用しました。


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