2015年09月11日

青森市の新選組史跡めぐり


下北半島では、
斗南藩の史跡めぐりをしてきましたが、
そこから南下して青森駅へと向かいます。


ここには、新選組関連の史跡があるんですよ


以前、日野の「新選組ふるさと歴史館」に行った時、
資料の中に見つけました。前から知ってはいたのですが、
なぜかその時に「いつかは行くぞ!」って決めたんですね。
それがやっと実現しましたよ。


青森駅は人生2度目の訪問です。
実は昔、青函連絡船に乗って
函館に行ったことがあるんですよ。
その時、初めて青森駅に来たんです。
(函館もその時が初^^)

あおもり駅
あおもり駅 posted by (C)ルンちゃん


とは言っても、その時は夜行列車を降りてすぐに、
船に乗ってしまいましたので、青森駅を
しみじみ眺めることはありませんでした。
ですからある意味、今回が初めてとも
いえるかもしれませんね。


驚きの青森
驚きの青森 posted by (C)ルンちゃん


もちろん、当時には
このような橋の風景はなかったでしょうね。
でもなんとなく懐かしい。
そんな青森駅を間近に見てから、
繁華街とは反対の道を進みます。


駅から4キロ弱の道沿いに、
新選組隊士たちが訪れた場所がありました。
それが明誓寺(みょうせいじ)です。


明誓寺の入口
明誓寺の入口 posted by (C)ルンちゃん


明誓寺(みょうせいじ)は、
箱館戦争が終わった後、
降伏した新選組隊士たちが一時
恭順していた場所です。


新選組隊士・中島登の「覚え書」によりますと、
明治2年5月22日に箱館から青森に上陸し、
現在の青森駅近くにある蓮華寺で休息。
夕方になってから、この明誓寺に
やってきたようです。


明誓寺の本堂
明誓寺の本堂 posted by (C)ルンちゃん


その時、新選組以外に、
蟠龍の乗組員たちなども明誓寺に来ました。
彼らがここにいたのは半月くらいで、
その後は弘前へと護送されたのでした。


今の明誓寺には「新選組が来た」などの
看板は何もありません。ですから
調べてから訪問しないと、
見逃してしまうかもしれませんね。


中島登さんを偲ぶものはないかと
いろいろ探してみましたが、
やはりありませんでしたね〜^^;


蓮華寺
蓮華寺 posted by (C)ルンちゃん


そして、こちらは蓮華寺です。明誓寺からですと、
青森駅を隔てた反対側の場所です。
この二つの寺は4キロ(一里)くらい離れています。
青森駅からなら、歩いて15〜20分位でしょうか。


ここは新選組隊士らが青森上陸後、
最初に訪れた場所ですよ。


蓮華寺の朱色の建物
蓮華寺の朱色の建物 posted by (C)ルンちゃん


箱館からイギリス艦アラヒオンに乗って、
青森に着いたのが5月21日。
すぐに上陸したかったでしょうが、
海がしけてて無理だったそうです。
それで翌日の上陸となったわけです。


上陸すると旧幕府軍は
四か寺に収容されました。
そして新選組隊士は蓮華寺に入ったんですね。


蓮華寺には新選組隊士達の他にも、
旧幕府軍がいたようですが、
人数が多かった理由で、一部はすぐに
明誓寺へと移されたようです。


蓮心寺
蓮心寺 posted by (C)ルンちゃん


蓮心寺境内
蓮心寺境内 posted by (C)ルンちゃん


そしてこちらは蓮心寺
蓮華寺のすぐお隣りです。この寺には
新選組隊士は安富才助のみ収容されたそうです。
理由は彼が陸軍奉行添役だったから。


こちらには遊撃隊や、額兵隊、彰義隊、
伝習歩兵隊、見国隊の面々も収容されました。
235人というから、かなり大人数ですよね。


ところで今は何もありませんけど、
本堂の前には、その昔
松の木があったそうですよ。


明治9(1876)年、明治天皇の東北巡幸の際に
陛下が何度もこの松を振り返ったことから、
「見返りの松」と呼ばれていました。
でも明治43(1910)年に大火があり
松は類焼してしまったのです。


明治天皇がご覧になった明治9年当時は
見事な松だったと思うので、たぶん
明治2年の新選組隊士たちも
その松を眺めていたのではないかな〜
と想像します。


もし火事がなかったら、彼らが見た松を
直接見ることができたかもしれません。
そう思うと残念に思ってきますよね。


蓮心寺の本堂
蓮心寺の本堂 posted by (C)ルンちゃん


この周辺には「寺町四か寺」というのがあります。
旧幕府軍が護送された四か寺のようです。


寺町四か寺
寺町四か寺 posted by (C)ルンちゃん


ところで、私たちは列車の都合もあって、
朝5時起きして蓮華寺と蓮心寺を訪ねたんですよ〜。
早朝の寺参りなんて、初めてかもしれません。


でもこの日はお盆だったせいか、
すでに多数の檀家さんの姿がありました。
いつもと違う雰囲気の中、私たちも
邪魔にならないようにしながら、お参りしたのです。
これはこれで、いい経験でした

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posted by ルンちゃん at 00:34| Comment(0) | ☆青森(2015) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年09月07日

三内丸山遺跡にて


本日は
新選組関連のお話ではありませんので、
予めお知らせしておきます。
でも興味があったら、そのまま見て下さいね


夏休みの旅行で青森県に行ったとき、


「斗南藩の史跡巡りに行ってきます」


といっても、周囲の人には
「?」という顔をされると思ったので、


「三内丸山遺跡に行ってきます」


と言ってでかけました。
まあ、三内丸山遺跡と言っても
通じない人は通じないけど、私の身近では
それで充分わかってもらえましたので


「三内丸山遺跡」は、青森市郊外にある遺跡です。
縄文時代前期から中期のもので、規模は日本最大級。
縄文時代の代表的な遺跡です。
中学校の教科書にも載っていますよね。


江戸時代からその場所に
遺跡があることは知られていたようです。


でも本格的に発掘調査されたのは比較的新しく、
1992年に県営野球場を建設する為の事前調査で、
ここに大規模な集落跡があることがわかりました。
野球場建設は中止、そして2000年に
国の特別史跡に指定されました。
現在でも調査が続けられているそうです。


そんな三内丸山遺跡に、
一緒に旅行にでかけたKちゃんも私も
とても興味があったので、
今回の旅行のコースに入れていたのでした


さて、青森駅からバスに乗って
郊外にある遺跡に向かいます。
その距離およそ7キロメートル。
緩やかな坂を上って目的地に到着。


バスを降りると、まず見えるのは
縄文の丘 三内まほろばパーク「縄文時遊館」
建物に入っていけば、
いろいろな施設があるのが目に入ります。


建物の中には、発掘の様子が見られる映像シアターや、
縄文人の生活や環境が体感できる縄文ギャラリー、
縄文人が作った土偶つくり体験工房や、
縄文人が食べた食材を使った料理が味わえるレストランなど、
いろいろなことが体験できるようになっていますよ。


1日中いても飽きない施設なんですが、
これで入館料が無料だなんて驚きです。
今どき珍しいですよね。


さて私達が最初に行ったのは、
それらの見学施設ではなく
れすとらん 五千年の星でした^^;
その日、昼食を食べる時間がなくて、
ここで遅い昼食を取ることにしたんですよ。


縄文人が食べた食材の入った料理が食べられる
というので行ってみたところ、それは
さもだし・なめこ・ひらたけの
3種類のきのこが入った「きのこ蕎麦」でした。


そうか、5千年も前から
きのこはあったんですね。


他にもメニューはありましたけど、
軽めの昼食で済ませたかったので
「きのこ蕎麦」を注文。
味には特別なものはなかったですが、
普通に美味しかったです。


きのこ蕎麦
きのこ蕎麦 posted by (C)ルンちゃん


そしてもうひとつ気になっていたのは、
「縄文ソフト」なるもの。
正式名称は「そふと栗夢」で
栗の入っているソフトクリームなんです。
なんでも、縄文人は
栗を栽培して食べていたのだとか。


注文してソフトクリームを受け取れば、
縄文を意識してか、細かな模様の
モンブランケーキのようなソフトクリームでした。
味は「言われれば栗かな?」というくらいの
ほのかな栗味です。

縄文ソフト
縄文ソフト posted by (C)ルンちゃん


さて、
お腹が充分満たされたところで、散策開始! 
館を出て、遺跡群に向かいますよ〜。


三内丸山遺跡
三内丸山遺跡 posted by (C)ルンちゃん

山内丸山遺跡にて
山内丸山遺跡にて posted by (C)ルンちゃん


広大な土地の所々に竪穴住居が見えます。
それは元々あった跡から
復元されたものではありますが、圧巻ですね。


中には地元の小学生が体験学習ということで
建てたものもありましたよ。なかなか立派!


驚くべきことは、
竪穴住居でも1家族が入れるような
小さなものではなく、巨大な
大型竪穴住居もあったことです。
どのくらい大きいかといえば、このくらい。

大型竪穴住居
大型竪穴住居 posted by (C)ルンちゃん


ええ〜っ! ていう感じでしょ
私も見たとき本当に驚きました。


大型竪穴住居の内部
大型竪穴住居の内部 posted by (C)ルンちゃん


この大型住居は、
何のために建てたのかは確定していません。
住居だったのか、集会所だったのか、
それとも共同作業場だったのか。
この大きさなら、何でもできそうですけどね。


そして、もっと驚いたのは、
よく写真で見る6本柱の建物
大型掘立柱建物


大型掘立柱建物
大型掘立柱建物 posted by (C)ルンちゃん


写真だと比較するものがなかったので、
その大きさがわからなかったのですが、
人と比べるとよくわかります。
とても大きなものでした。


人と比べると
人と比べると posted by (C)ルンちゃん


大人一人では抱えきれないくらいの
太い栗の木で作られています。
しかも腐らないように、地面に立てる部分は
わざわざ焼いてあったらしいです。


この6本柱にしろ、大型竪穴住居にしろ
現代のような重機がなかった時代に、
よく人の手で建てられたものだなって
感心してしまいます。


他にも、住居地区やゴミ捨て場、埋葬地などが
きちんと別れていて、ここが
大きな1つの村だったことが
改めて実感できたのです。


しかもまだ調査中で、場合によっては
もっと拡大されるかもしれないのですよね。
なんて凄いのでしょう、縄文人!


貝塚
貝塚 posted by (C)ルンちゃん


山内丸山遺跡の風景
山内丸山遺跡の風景 posted by (C)ルンちゃん


館に戻って出土した品々を見てみれば、
縄文土器などの他に、土偶・針・装飾品。
そして「縄文ポシェット」と名付けられた
編カゴも含め、実に多彩なものを作り、
使用していたことがわかるのでした。


縄文土器です
縄文土器です posted by (C)ルンちゃん

土器のマンション
土器のマンション posted by (C)ルンちゃん

5500年以上昔でも、
しっかり人々は生活していたんですよね。


弥生時代の方が、その土地に
定着していたイメージを持っていたのですが、
縄文時代も思っていた以上に
生活がしっかりしていたと考え直しましたよ。

縄文の人々
縄文の人々 posted by (C)ルンちゃん


ところで、見学途中に
ひとつ疑問が浮かんできたんですよね。


縄文時代の遺跡は三内丸山遺跡を含めて、
この青森周辺や北海道南部には、
非常に多いのです。
でも、縄文人の着る衣類は薄手で、
寒さ対策はできていないように思われます。


斗南藩の人たちは、
寒さと飢えで亡くなった人が多く、
同じ理由で斗南を去った家族が多いと聞きます。
それなのに、なぜ縄文人は
生き残ることができたのでしょうか?


答え。
縄文人がいた頃の気候は、
比較的暖かかったようなんです。
それで薄着でも生活できたようですね。


でもいつしか気候が変わり、
だんだん寒くなり、縄文人もこの地から
別の地へと去ってしまったということでした。
注…一説によります


なるほど〜。
そんな私のささやかな疑問にも答えてくれた
三内丸山遺跡なのでした

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2015年08月30日

むつグランドホテルで発見!


下北半島の斗南藩史跡巡りの時に
一泊したのが、むつグランドホテルです。
むつ駅から車で東へ8分の所にあります。


市内の高台にあるホテルで、
部屋から釜臥山が一望できる
それはステキなホテルなんですよ。


でもホテルを選んだ第一の理由は
そこじゃなくて、実はここに
斗南温泉の文字を見つけたからなんです


「斗南」という文字に
過剰に反応してしまう私とKちゃん^^;
「もしや、斗南藩の人たちが入った温泉?」
なんて想像し、すぐ決めちゃったんですね。


さてその温泉ですが
「斗南温泉 −美人の湯−」といいます。


でも調べた限りでは、斗南藩ゆかり
というわけでもありませんでしたよ。
場所がら「斗南温泉」と
呼んでいるのかもしれません。
もっと詳しく調べれば何かわかるかもしれませんが…

斗南の湯があるんです
斗南の湯があるんです posted by (C)ルンちゃん


この辺りで温泉があるホテルは、ここだけのようで、
宿泊客以外に一般客も入ることができます。
市民にとっての憩いの場なんですね。


お湯はアルカリ性単純泉掛け流しで
少しだけ茶色がかっています。
入るとなんとなくヌルリとしたお湯です。
でも、お風呂から出た後はお肌すべすべ。
さすが、美人の湯ですね。


宿泊客と一般客のお風呂場は分かれていて、
宿泊客の露天風呂は小さめながらも、
私達が入った時間は人が少なく、
貸し切り状態みたいな体験ができたのが
嬉しかったですよ


しかも宿泊客は、
一般客側のお風呂場への立ち入りも自由なので、
サウナやジェットバス・白湯・電気風呂・
微細気泡湯なども充分楽しめました。
いろいろな意味で、とても良いお湯でしたね〜


と、ここまでの話なら、
ただの「いいお湯に入った自慢」なので、
あえて記事アップなんかしませんよ。
話したいのはここからなので、
よ〜く読んで下さいね


じつは、この温泉に入るには、
自分達たちの泊まっている部屋から
一度階下に降り、そこから
1階の中通路を通らないと行かれません。
温泉に行くには必ず通る道なんです。


その中通路に、なんと私たちにとっての
「お宝画像」があったのですよ!


最初に目に入ったのは松平容保公でした。
そして辺りを見渡せば、あらら?
壁という壁に、斗南藩(=会津藩)ゆかりの
画像の数々があるじゃありませんか。


その時の私たちの喜びよう
わかっていただけますか。

私にとってのお宝画像
私達にとってのお宝画像 posted by (C)ルンちゃん


お風呂なんか、そっちのけで
写真を見るのに、
時間を費やしてしまいましたよ。


もう少し詳しく話しますと、
そこにあったのは容保公の肖像画の他に、
現・松平家14代目のご当主の写真や、
会津藩主の現代まで続く家系図。


それから、前回ご紹介した
円通寺での「145年献霊祭」や
「120年祭」での縁者の集合写真や、
会津で行われた「会津藩公まつり」での
縁者の写真の数々です。


後で、東京に帰ってから調べてみたところ、
今年6月の「145年献霊祭」の前日に、
斗南藩にちなんだ講演会が開かれたそうなんですが、
その会場が「むつグランドホテル」だったのです。
それらがご縁で、写真等が貼られていたんでしょうね


まさかこんな所で
貴重な画像にお目にかかれるなんて
思ってもいなかったことなので、
すごく幸せな気分になりましたよ。


こうして予想外の情報収集と温泉とで、
心と身体がリフレッシュしたところで、
最上階にあるレストランで夕食です。


こちらは高台のホテルなので
市内が一望できるんですよ。


その日、釜臥山からの夜景は
雲がかかって見られませんでしたが、
レストランからむつ市内を臨む夜景は
しっかり見えて、とても綺麗でした。


料理も食べきれないほどの
海の幸や山の幸をいただき、
とても思い出深い夜を過ごすことが出来たのです



もちろん、翌朝も早起きして温泉に入ったり、
あの資料の数々を再びじっくり見たりしたのは、
いうまでもありません


というわけで、
もしあなたが斗南藩ゆかりの地に
行くことがあったら、宿泊先の候補に
「むつグランドホテル」も入れてみて下さいね。


私も味わえたような、しあわせな体験を
あなたも味わえることを祈っています

ホテルの詳細はこちら
⇒ むつグランドホテルHP

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