2015年08月27日

斗南藩史跡めぐり その2


斗南藩の史跡めぐりの続きです
ちなみに前回の記事はこちら
  ⇒ 斗南藩史跡めぐり その1 


下北の斗南藩史跡の一覧
下北の斗南藩史跡の一覧 posted by (C)ルンちゃん
赤い印の所が史跡です

1.斗南藩士上陸の地
2.柴五郎一家居住跡
3.徳玄寺
4.円通寺
5.斗南藩史跡地

6.尻屋崎灯台


前回は1.2.の場所の話でしたが、
今回は赤文字の部分です。


「柴五郎一家居住跡」からタクシーに乗って
5分くらいで徳玄寺に到着。


徳玄寺山門
徳玄寺山門 posted by (C)ルンちゃん


徳玄寺は松平容保公の嫡男・容大公の
食事や遊び場だった所です。
容大公は、当時まだ数えで2歳。


徳玄寺のお隣の円通寺が斗南藩の仮館で、
容保公と容大公が住まわれていた場所です。
でも円通寺の敷地内では、
肉や魚介類を食べることができなかった為、
徳玄寺で食事をしたり遊んだりしていたそうです。
(徳玄寺は肉食妻帯が許されていた)
徳玄寺の説明板
徳玄寺の説明板 posted by (C)ルンちゃん


徳玄寺遠景
徳玄寺遠景 posted by (C)ルンちゃん


そしてこちらが円通寺。
徳玄寺とはお隣りどうしなので、
歩いて行かれます。


円通寺入口
円通寺入口 posted by (C)ルンちゃん


円通寺は藩庁が置かれていた所です。また、
田名部迎町大黒屋文左衛門方に開設されていた
藩校「日新館」も、こちらへ移されました。
現在も、容保公愛玩の布袋像などが保管されています。


じつは今年は、
明治3(1870)年に斗南藩が藩庁を開設してから、
ちょうど145年目にあたる節目の年で、
今年6月に円通寺で145年献霊祭が行われたそうなんです。
その時は、松平家14代目のご当主や関係者の方が
多数このお寺にいらっしゃったそうですよ。


奇遇にも私達は、その節目の年に
この斗南を訪れたわけですね
これは会津藩の皆さんのお導きでしょうか。

円通寺の説明板
円通寺の説明板 posted by (C)ルンちゃん


また円通寺は、
あの「恐山」を管理されているお寺さんだそうです。
今回は時間の都合で、恐山には行きませんでしたが、
以前には立ち寄ったこともあり、
とても厳かな場所でありました。


円通寺の門
円通寺の門 posted by (C)ルンちゃん


円通寺の境内には、
招魂碑が建てられています。

招魂碑
招魂碑 posted by (C)ルンちゃん

招魂の碑の看板
招魂の碑の看板 posted by (C)ルンちゃん


明治33(1900)年に行われた
戊辰戦争の殉難者の三十三回忌の法要の際に
建てられたものだそうです。
碑面は容保公の揮毫(きごう)です。

円通寺境内
円通寺境内 posted by (C)ルンちゃん


再びタクシーに乗って、
次の場所へ


旧斗南藩墳墓の地
旧斗南藩墳墓の地 posted by (C)ルンちゃん


こちらが旧斗南藩墳墓の地です。
墓地は高台の部分にあり、上へは
坂を登るか階段を登るかして行きます。
私たちは階段で上がることにしました。
けっこう急ですね。

こちらは階段
こちらは階段 posted by (C)ルンちゃん


急な階段
急な階段 posted by (C)ルンちゃん


入口はふたつ
入口はふたつ posted by (C)ルンちゃん


坂の方から上ると、最初にあるのが、
「斗南藩追悼の碑」です。
これは、斗南会津会の方々が建てた碑です。


会津藩再興となりながらも、
28万石の所領からたった3万石所領の
斗南に移ることになった会津の人々。
それでも新天地に夢をつなぎ、
17,300人の人々が斗南にやってきました。


しかしながら、
斗南での生活は想像以上に過酷なもので、
権大参事(=家老職のようなもの)・山川浩の言った
 「みちのくの斗南いかにと人問はば
        神代のままの国と答へよ」
が全てを表しているかもしれません。


そして志半ばで命を失った者や、
この地を去る者が続出したとのことです。


墓石はそんなに多くはありませんが、
真新しく立て替えた墓石もあります。
斗南ヶ丘唯一の生き残りの島影家や、
他家の縁者の方が守っているそうです。


斗南藩追悼の碑
斗南藩追悼の碑 posted by (C)ルンちゃん


再びタクシーに乗って、
斗南ヶ丘へ向かいます。
車で5分位だったでしょうか。


斗南ヶ丘
斗南ヶ丘 posted by (C)ルンちゃん


斗南藩史跡地です。
かつて斗南ヶ丘と呼ばれていた所です。
斗南藩が市街地を整備し、藩名にあやかって
「斗南ヶ丘」と名付けました。
現在あるのはその一部です。


ここには一戸建ての家が約30棟と、
二戸建てが約80棟建てられたそうです。
しかし激しい風雪や野火により
倒壊・焼失する家が続出し、
藩士たちの夢は、はかなく消えたのでした。


今、この地に建つと、
わずかばかりの盛り土が確認できるだけで、
当時のものは何もありません。
でも藩士たちの過酷な状況を聞くと、
彼らの姿が偲ばれるようです。


斗南ヶ丘に建つ碑の遠景
斗南ヶ丘に建つ碑の遠景 posted by (C)ルンちゃん


斗南ヶ丘の敷地内のずっと奥に、
1つの大きな石碑が見えました。


秩父宮両殿下御成記念碑
秩父宮両殿下御成記念碑 posted by (C)ルンちゃん


これは秩父宮両殿下御成記念碑です。
昭和11年10月に秩父宮両殿下が
この地を訪れたそうです。


秩父宮妃勢津子様は、
旧名を松平節子様とおっしゃり、
松平容保公の孫にあたる方です。
勢津子様の皇室への入輿は、
旧会津藩の復権をも意味する出来事で、
当時存命した旧会津藩の人々の喜びはひとしおでした。


その秩父宮両殿下が
この斗南を訪問されたことは
斗南藩の子孫にとっては、
大変喜ばしいことでありました。


そのことを記念して、昭和18年7月に
現・斗南会津会の人々によって建てられたのが、
この「秩父宮両殿下御成記念碑」です。


そして「尻屋崎灯台」も斗南藩の史跡で、
近くには「感恩碑」という
秩父宮両殿下の巡遊を記念した碑も建っています。
でも時間の都合で、今回は見学しませんでした。


ちなみに「尻屋崎灯台」は、
斗南藩の設置運動により建てられた灯台です。
その周辺の海域は航海の難所であり、
灯台は必要不可欠なものでした。


ですから斗南藩が設置運動をし、
その甲斐あって明治4年に
灯台が建設されることが決まり、
9年に竣工されたのです。


ここは雪の中で寒さに耐える
寒立馬(かんだちめ)の姿でも
有名な場所ですよ。
写真でもよく見ますよね。


明治4年に廃藩置県が行われたので、
斗南藩として存在したのは、わずか1年余りです。
その間の藩士たちの生活は、
並大抵なものではありませんでした。
しかし、その中で彼らが残した功績も多く、
今も続いているものがあるのです。


そんな所縁(ゆかり)も含めて、
会津若松市とむつ市は
昭和59年9月23日以来、
姉妹都市になっていますよ。


会津の人々がこの地に来たことで、
新たな交流が続いているんですね。


私もまた機会があったら、
この地を訪れてみたいです。その時は是非、
寒立馬にも会ってみたいです

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2015年08月24日

斗南藩史跡めぐり その1


斗南藩の史跡めぐりをしてきました


斗南藩とは、会津藩が再興した後の藩名です。
会津戦争で降伏した会津藩は廃藩しますが、
明治2年(1869年)に容保の嫡男・容大による
藩の再興が許され、斗南へと移ったんですね。


斗南藩の藩領は、北郡(現・上北下北)
三戸郡・二戸郡の一部で、後には北海道の一部
領地となります。


これらのうち、
秋田県の下北半島にある斗南藩の史跡を
友人のKちゃんと一緒に訪ねてみましたよ。
チョッと長くなるので、
2回に分けてお届けしますね


下北駅周辺には、いくつかの
斗南藩の史跡があります。
看板で見ると、こんな感じです。


下北の斗南藩史跡の一覧
下北の斗南藩史跡の一覧 posted by (C)ルンちゃん
赤い印の所が史跡です


一覧にすると
1.斗南藩士上陸の地
2.柴五郎一家居住跡
3.徳玄寺
4.円通寺
5.斗南藩史跡地
6.尻屋崎灯台
となります。


尻屋崎灯台以外は、
各場所はそんなに遠くはありませんが、
徒歩ですべてを巡るのは大変です。
今は夏だから気温も暑いですし。。。


そこで利用したのが駅から観タクン
予めタクシー券を下北駅のみどりの窓口で購入し、
駅前のタクシー乗り場で
タクシードライバーさんに渡すと
好きな場所(コースは決まっている)に
連れてって貰えるというものですよ


これを使うと斗南藩の史跡巡りが
簡単にできますよ。なんて言ってますけど、
最初は知らなかったので(後で観光案内所で知った)
「斗南藩士上陸の地」へは自力で訪問したんですけど^^;


さて、西側からスタートすると、最初に
「斗南藩士上陸の地」に行くことができます。
最寄りの駅は大湊駅です。
そこは下北半島の終着駅でもありますよ。


この地に立つと、
「東京からここまで、よく来たな〜」って、
感慨深げになります。
大湊駅
大湊駅 posted by (C)ルンちゃん
駅の正面は、釜臥山からの
夜景のパネルが貼られています。
わかります?



ここから徒歩で10分位の場所に
斗南藩士上陸の地があります。
途中看板があるので、見つけるのは容易いです。


斗南藩士上陸の地 看板
斗南藩士上陸の地 看板 posted by (C)ルンちゃん


そして上陸の地に到着!

斗南藩士上陸の地
斗南藩士上陸の地 posted by (C)ルンちゃん


背景に見えるのは、釜臥山(かまぶせやま)です。
一部の会津藩士とその家族が新潟から船に乗って
ここへやってきました。そして上陸した会津藩
(=斗南藩)の人たちが目にしたのが、
この釜臥山です。


釜臥山は恐山山地に属する山です。
この山の形が故郷の磐梯山に似ていると、
会津の人々は「斗南磐梯」と呼んだそうな。


現在は、この山頂近くまで登ることができて、
その展望台からの夜景は、街の明かりが
アゲハチョウのように見えて、
それは素晴らしいのだとか。


また昼間に登ってみれば、下北半島の
カマのような形の陸地がはっきり見えて、
地図上で見る地形そのままを実感できるそうですよ。


夜景か昼間か、
どちらかを登って確認したかったのですが、
天候の都合で体験できず、チョッと残念。


斗南藩士上陸の地碑
斗南藩士上陸の地碑 posted by (C)ルンちゃん


ここには「斗南藩士上陸の地碑」というのがあります。
平成2年に斗南藩120周年記念で建てたものです。
石碑には会津鶴ヶ城の石垣に使用されたものと同じ、
慶山石が使用されています。碑文の揮ごうは会津松平家
第13代のご当主によるものだとか。


そして何より胸にグッとくるのは、
この碑はなんと、陸奥湾の彼方にある
会津若松に向いて立っているのだそうです。


碑から湾を臨む
碑から湾を臨む posted by (C)ルンちゃん
建っている碑のように湾を眺めてみると
彼方にある会津若松の城が思い浮かんできそうです



碑の近くの説明看板
碑の近くの説明看板 posted by (C)ルンちゃん


釜臥山
釜臥山 posted by (C)ルンちゃん


下北駅ホームにて
下北駅ホームにて posted by (C)ルンちゃん


大湊駅からですと下北駅は隣駅になります。
下北駅の駅舎はきれいですね。

下北駅
下北駅 posted by (C)ルンちゃん


観タクンは、ここから乗ります。
むつ運動公園までは、タクシーで5分ほど。
その公園の裏側に柴五郎一家居住跡があります。
タクシーなら「柴五郎一家居住跡」間近まで
行ってもらえます。とても便利〜


柴五郎一家居住跡の入口
柴五郎一家居住跡の入口 posted by (C)ルンちゃん
ここも車で入れます。


柴五郎は、会津藩士・柴佐多蔵の五男。
会津戦争の時、
自宅にいた母や姉妹たちは自刃しますが、
五郎は別荘にいて難を逃れます。
明治6年に陸軍幼年学校に入り、
後に陸軍士官学校に進み、
大正8年には陸軍大将となります。


清国公使館の駐在武官に着任した時、
まもなく「義和団事件」が勃発。
その際の籠城戦で、見事な指揮を取った五郎と、
その配下の日本兵の勇敢さ・礼儀正しさは
大いに評価され、イギリスのビクトリア女王などから
勲章も授与されました。


また、日本とイギリスの間に
「日英同盟」が結ばれたのも、
その事件がきっかけだともいわれているようです。


呑香稲荷神社の鳥居
呑香稲荷神社の鳥居 posted by (C)ルンちゃん


呑香(どんこう)稲荷神社は柴五郎の兄が一時期
仮住まいしていた場所です。


呑香稲荷神社
呑香稲荷神社 posted by (C)ルンちゃん


そしてこちらが、柴五郎一家居住跡。
今は何も残っていません。


柴五郎一家居住跡
柴五郎一家居住跡 posted by (C)ルンちゃん

柴五郎一家居住跡の周辺
柴五郎一家居住跡の周辺 posted by (C)ルンちゃん


ここからまた、タクシーに乗って
徳玄寺へ。

続く…

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2015年08月17日

「廣澤安任展」に行ってきました


今年の夏休みは、青森の史跡巡りをしてきました。
そして以前にお知らせした通り
「廣澤安任 未来への挑戦と奇跡」展にも
行ってきたんですよ


それは、青森県三沢市の
「斗南藩記念観光村先人記念館」で行われている
開館20周年特別企画展です。


廣澤安任 未来への挑戦と軌跡
第1部「廣澤安任の生涯」 5月30日(土)〜7月26日(日)
第2部「廣澤安任遺品展」 8月1日(土)〜9月27日(日)
第3部「廣澤安任 未来への挑戦と軌跡」 
        10月10日(土)〜12月13日(日)

詳細はこちら 三沢観光協会HP 
⇒ 斗南藩記念観光村


大宮駅から2010年に青森駅まで開通した
新幹線に乗って八戸へ。
そこから「青い森鉄道」で三沢駅へと向かいます。
そして時間通りに、三沢駅に到着。

青い森鉄道
青い森鉄道 posted by (C)ルンちゃん

三沢駅
三沢駅 posted by (C)ルンちゃん


下調べをした時には、
バス便があるのは確認していました。
でも時刻表までは手に入れてなくて、
「現地で確認すればいいか」
くらいに思っていたんですね。


それで、改札を出てすぐにバス便を確認したのですが、
思った以上に時間(待ち時間や行くまでの時間)が
かかりそうだったんです。それで、
第2候補だったタクシー便で行くことにしました。
でもチョッと誤算が


「車で30分」と聞いていたのですけど、
東京と青森での「車で30分」は、かなり違いますね
信号があまりないから、どんどん走る。
それで料金がどんどん変わる!


目的地の近くには、小川原湖もあって
景色もとてものどかな感じがいいです。


でも料金がどんどん変わるものだから、
「どこまでいくの〜?」という不安な気分も少々混ざって、
目的地の斗南藩記念観光村に到着した時には、
えも云われぬ安堵感がありました。
「なんとか着いた〜」っていう感じ。


斗南藩記念観光村の風景
斗南藩記念観光村の風景 posted by (C)ルンちゃん


斗南藩記念観光村について、チョッとお話しますね。
会津藩が戦争に負けて降伏した後、
藩はおとりつぶしになりますが、
その後、斗南藩として再出発します。


しかし斗南での生活は、藩士達にとって
とても過酷なものでした。
藩士の一人だった廣澤安任は、皆のために
今の三沢市に洋式の牧場「開牧社」を作ります。


「開牧社」は後に「広沢牧場」という名前になり、
しばらくご子孫が経営されていたようですが、
昭和60(1985)年になって閉鎖されました。


その時、史料や建築物が
土地の一部と共に三沢市に寄贈され、整備の後に
平成7(1995)年に「斗南藩記念観光村」として
復活し、また平成12(2000)年には道の駅となります。


敷地内には、廣澤安任や
斗南藩士らの偉業を伝承するための
「先人記念館」「六十九種草堂」
また移住当時の藩士の暮らしぶりを再現した
「開墾村」があります。


また、子供達がいろいろ遊べるようにと
「ゴーカート場」や「遊覧馬車」がつくられ、
動物達とふれあう「ちびっこ動物ランド」や
「ポニー乗馬」もできました。


総合案内施設「くれぱ〜く」は道の駅として、
お土産や物産品が多数、販売されています。
こんな風に、見たり遊んだりできる施設が、
「斗南藩記念観光村」なんです
もう、1日中いても遊びきれない感じですよね。


さて、私達は「先人記念館」へ向かいます。
タクシーを下車してゆっくり歩いても5分くらいの場所です。
この日は第2部「廣澤安任遺品展」の展示です。


廣澤安任展ののぼり
廣澤安任展ののぼり posted by (C)ルンちゃん


廣澤安任は京都時代、公用方にいたこともあって、
とにかく人脈が広い方です。
勝海舟や榎本武揚、渋沢栄一、福沢諭吉。
新政府軍に捕らえられた時に、救ってくれたのが、
英国公使のアーネスト・サトーでしたしね。


そんな方々にちなんだ安任の遺品が、
多数展示されていましたよ。


ここで気をひいたのは、長州の前原一誠や
奥平謙輔と一緒に写っていた写真です。
「あれ?長州の人と?」と思いましたが、
明治3年に撮った写真だそうです。
(奥平謙輔が一緒だから、
 秋月悌次郎さんつながりでしょうか)


また、蔵書も多いですね。
彼は自分の部屋の押し入れを
本棚にしていたそうですよ。


牧場経営に関する本の他にも、
日本外史やフランスの民法・刑法とか。
また英国や中国の本なども多彩です。


廣澤家が所蔵する安任関連の蔵書が
約1500冊もあるというから凄いですよね。
しかも、こうしてちゃんと保管してあるのが、
これまた、すごいことですね。


書物の中には、松本良順先生の書などもあり、
しばらく立ち止まって見入ってしまいました


廣澤安任の遺品を先人記念館で見学した後は、
外に出て「六十九種草堂」へ向かいます。
ここは安任の住居兼書斎を復元した建物ですよ。


廣澤安任の家を再現
廣澤安任の家を再現 posted by (C)ルンちゃん


「六十九種草堂」という名前は、
牛が食べる69種類の野草を、明治14年の
内国勧業博覧会に出品したことを記念して
命名したそうです。


廊下
廊下 posted by (C)ルンちゃん


建物内に入って驚くのは、
完全なお茶室(和室)の隣に洋室があるところです。
今なら不思議なことはありませんが、あの頃に
しっかり西洋文化も取り入れているところが、
廣澤安任らしいといえるかもしれません。


茶室
茶室 posted by (C)ルンちゃん


時間があれば他も見学したかったのですが、
電車の時間の都合もあって、ここまでで終わり。
総合案内施設「くれぱ〜く」で
名物の「しじみラーメン」を食べてから、
往きにお世話になったタクシー運転手のNさんに連絡して、
再び長い道のりを三沢駅まで帰ったのでした。


往復のタクシーでは、運転手のNさんに
斗南藩の人たちのことを含めて
いろいろな話を聞きましたよ。
やはり地元のことは、
地元の人に聞くのが一番ですね。


まあ、長いタクシー乗車時間も、
それなりに成果があったということで
良しといたしましょう


馬の像
馬の像 posted by (C)ルンちゃん


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