2017年09月21日

介山先生と高尾山

以前ご紹介した
新選組も登場する長編小説「大菩薩峠


その著者である中里介山は、一時
高尾山に住んでいたことがありました。
先日、その足跡を追って、
高尾山へ登ってみましたよ。


とは言っても、じつは
高尾山へは毎月来ているのです
健康促進がてら、高尾山へ登っているんですけどね。
(まあ、家や職場から近いというのもありますが)


でも中里介山の住んでいたらしいポイントは、
よくわかっていなかったんですよ。


それでいろいろ調べてみたところ、
たぶんここだろうという場所がわかったので、
行ってみることにしたのです。


その場所は、ふもとの
ケーブルカー乗り場のある清滝駅の、
左側にある6号路へと至る道を進みます。


でも6号路は登らずに、
6号路入口の所で分かれているもうひとつの
右側の道を進みます。


そこにちょうど、
「妙音橋」という橋が見えますが、
じつはこの橋は、中里介山由来の橋だそうです。
(名前を介山が付けたとか)


妙音橋1
妙音橋1 posted by (C)ルンちゃん


妙音橋2
妙音橋2 posted by (C)ルンちゃん


その橋を渡ると、そこには病院があって、
その道は本当は病院の私有地らしいのですが、
通ってもいいそうなので、そのまま
病院の前の道を突き進んでいきます。


その先はチョッと広場になっていて、
そこで道がなくなります。


「あっ、行き止まり」
と、一瞬思うのですが、よく見ると突き当たりに
階段があって、それを上がると
そのまま山への道になるのです。


実は、中里介山の石碑は、
この階段を上った所にあったのでした


いつもよくわからなくて、
引き返していた場所だったんです。
でも今回は、もうここしかないな
と思って進んでみたところ、
思った以上に近い場所に碑はありました。


その碑がこちらです

介山の石碑
介山の石碑 posted by (C)ルンちゃん


歩道から少し離れた場所にあるので、
興味のない人には素通りされる所です。
私が来たときも、数名の人が通りましたが、
誰も気にしていませんでした。


こんな場所にあります
こんな場所にあります posted by (C)ルンちゃん
実際には、こんな感じに見えます


介山が、この高尾山から去ったのは、
ケーブルカーの建設工事がうるさかったから
と聞いていましたので、もっとケーブルカーに
近い場所だと思っていたんですけどね。


そんなこともあって、なかなか
見つけられなかったんです…^^;


まあ確かに、山を切り崩すといった工事だったので、
この辺りでもうるさかったのかもしれません。
工事の車だって入ってきたでしょうから、
のんびり過ごしたかった介山にしてみれば、
迷惑な話だったでしょうね。


現在、碑がある場所は草が茫々で、
ここに人が住んでいた庵があったなんて
想像ができません。


山の中という場所が場所だけに、
人がいなくなればすぐに
山本来の姿に戻るのでしょう。


高尾山で介山を感じることができるのは
さっきの「妙音橋」の橋の名前と
この碑だけのようです。


それでも、介山のことを知りたいと思う人には、
何もないよりは、これだけでもあれば
いいのかもしれません。


高尾山の介山関連の場所は、
こちらでしたが、実はこの近くにもう一つ、
介山ゆかりの場所があるそうなので、
また訪ねた時には、記事アップしますね

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posted by ルンちゃん at 00:46| Comment(0) | 中里介山の話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月13日

「大菩薩峠」20巻を読み終えた


以前にお伝えしていた
中里介山の大菩薩峠(全20巻)を
読み終えました


大菩薩峠/中里介山著
富士見書房



途中で飽きるということは
ありませんでした。でも、
じっくり読みたかったのと、途中で
別の本と平行して読んでいたもので、
意外と時間がかかってしまいました。


それでも、想像していたよりも
ずっと面白かったですよ。


「大菩薩峠」は中里介山が、
1913(大正2)年から
1941(昭和16)年という
長い歳月の間に書いた
大衆小説の魁ともいえる物語本です。


お話は安政5年の
青梅街道から始まります。主人公は
机龍之助(つくえりゅうのすけ)。


龍之助は、この物語のタイトルでもある
「大菩薩峠」のふもとにある沢井道場の
跡取り息子です。「音無しの構え」という
独自の技を使う剣の達人でもありました。


それだけなら「かっこいい♪」
って思うところなんですが、この御仁
大菩薩峠の頂上で、なんと罪のない
年老いた巡礼を一人、
斬り捨ててしまうのです


そして、机龍之助はもちろん、
殺された老巡礼の孫娘・お松や
その孫娘を助けた怪盗七兵衛、
それらの人々の行方を描いて始まるのが
「大菩薩峠」なのでした。


机龍之助はその後、
御岳神社の奉納試合で
宇津木文之丞という男と
試合をします。


文之丞には内縁の妻お浜がいましたが、
お浜は試合の前に龍之助に、
文之丞の妹だとウソをついて会い、
「この試合で負けて欲しい」と
龍之助に頼みます。


しかし、彼は聞き入れるどころか、
お浜を手篭めにしてしまうのです。


そして試合では、宇津木文之丞が
龍之助の刀に破れ、命を失います。
龍之助はお浜を連れて江戸へ向かいます。


その龍之助を、今度は
文之丞の弟の兵馬が、兄の仇と
龍之助をつけ狙うのでした。


龍之助は宇津木兵馬から
果し合いの書状を受け取るも、
それを無視して京都へと旅立ちます。
それより前、お浜を自分の刀で
斬り殺してしまう龍之助。


こうして龍之介は、次々と殺人を
冒していくのです。
もう最終話までには幾人殺したのか
わからないほどです。


ちなみに「大菩薩峠」
全20巻(42項目)は
下記の通りとなっていますよ。


第 一巻(甲源一刀流の巻)
第 二巻(龍神の巻)
第 三巻(女子と小人の巻)
第 四巻(如法闇夜の巻)
第 五巻(道庵と鰡八の巻)
第 六巻(小名路の巻)
第 七巻(無明の巻)
第 八巻(他生の巻)
第 九巻(流転の巻)
第 十巻(めいろの巻)
第十一巻(鈴慕の巻)
第十二巻(畜生谷の巻) 
第十三巻(勿来の巻)なこその巻
第十四巻(不破の関の巻)
第十五巻(白雲の巻)
第十六巻(胆吹の巻)
第十七巻(恐山の巻)
第十八巻(農奴の巻)
第十九巻(京の夢おう坂の夢の巻)
第二十巻(椰子林の巻)



この物語に、
じつは新選組も何度か登場します。
その中でも色濃く登場するのが、
その第一巻の中の3項目。
「壬生と島原の巻」ですよ。


ここでは龍之助は、芹沢鴨と
昔からの知り合いなんですよね。
京都で龍之助は、その芹沢鴨を訪ねます。
そして芹沢に頼まれて近藤勇を
暗殺することになるのですが…


龍之助と新選組との関わりは、
その項が一番濃いのですが、
その後も新選組の隊士たちは、
各場面で登場します。


思いもしないところで
土方歳三や沖田総司らが登場していますし、
後半では油小路の事件も描かれていて、
目が離せません。


そんな風に新選組が登場するので、
飽きもせずに、最後まで
楽しく読めたわけですけど。


でも全体的には、
机龍之助が出会った人物や、
宇津木兵馬が出会った人物などが
どんどん増えていくのです。


登場するそれぞれの人物の行動を
細かく書き上げているので、
場面がいくつも変わって読むのが大変です。


それで、お話も
主人公の机龍之助だけの話では
なくなっていきます。


しかも、こんなに登場人物が出てきて、
いろいろな場面が多数出てきて、
お話はどうなってしまうのかしら?
と思ったところで、
物語は終わってしまうのです。


実はこの「大菩薩峠」は「未完」なのです。
著者が腸チフスに罹り他界してしまったので、
登場人物たちは、旅の途中のまま、
永久に旅したままなのです。


そんなお話ではありますが、
著者が多摩地方の方であり、
史跡なども残っているので、私の中では、
とても記憶に残る作品でもあり、
著者さんでもあるのです。


さて、「大菩薩峠」全20巻は
読み終えてしまいましたが、まだ、
高尾山にあったという介山先生の
居住跡も確認していません。


また、物語に登場する
大菩薩峠にも登っていませんので
(介山先生ゆかりの碑などがあるらしい)
まだしばらく、私の大菩薩峠熱というか、
介山熱は冷めそうにありません^^;


そんなわけで、
また上記のどちらかを訪ねたときに
お話しようと思います

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posted by ルンちゃん at 22:12| Comment(0) | 中里介山の話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年06月15日

羽村市郷土博物館へ

先日のことですが、
羽村市にある「羽村市郷土博物館」に
行ってきました。


こちらには、私の興味をそそる物が
二つあるのです。


一つは、玉川上水についての史料が
あること。羽村は玉川上水の取水口が
置かれた場所で、その近くには
玉川兄弟の像などもあります。


こちらの展示場には、江戸時代の水門が
実物大で再現されていたり、江戸時代の
羽村堰再現模型や上水で使われた木樋や、
井戸などが展示されていたりするんですよ。


玉川上水については、
いろいろ知っているつもりでしたが、
実は知らなかったこともいっぱいあって、
ここに来たことで、新たな発見も
あったのです。


そしてもう一つは、
『大菩薩峠』を執筆した
中里介山の史料があることです。


中里介山は、明治18年(1885)に
この羽村で生まれた作家で、
高尾山に住んでいたこともあったのです。


介山の書いた未完の大作『大菩薩峠』は、
大正から昭和にかけて28年間
書き続けられた小説なんですよ。


その話の中には、なんと
新選組も登場するのです。


以前から『大菩薩峠』を
読んでみたいと思っていたのですが、
なにしろ41巻もあるらしいので、
今まで手を付けずにいたのです。
(新選組が登場するのは、最初の方みたいですが)


でも、やっと最近になって
挑んでみようという気になって、
その前にこちらの「羽村市郷土博物館」に
行ってみようと思い立ち、やってきたのです。


この館には中里介山が以前建てた
「大菩薩峠記念館」という建物の
正門だった赤門もありますよ。


もとは三ヶ島という
現在の埼玉県所沢市にあった
眼科医鈴木家の門だったそうですが、
昭和10年に介山が譲り受けて、
記念館の前に移築したというものです。


介山は、本郷にある東大の赤門に匹敵すると、
日頃から自慢にしていた門だそうですよ。


「大菩薩峠記念館」は既に
閉館されてしまいましたが、
昭和52年に中里家から町に寄贈され、
昭和59年(1984)12月に、この郷土博物館の
中庭に復原したそうです。


この近くには
中里介山のお墓もあるそうですが、
今回はそちらへは行かず、
この博物館にある史料と赤門を見て、
いよいよ長編に臨みます。

また、新たな発見がありましたら、
お知らせしますね

⇒ 羽村郷土博物館

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posted by ルンちゃん at 00:25| Comment(0) | 中里介山の話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする