2017年10月24日

宇都宮史跡めぐり 2017 番外編


さて9月に、久しぶりの史跡めぐりをして、
楽しんだ私達ですが、宇都宮に行ったら
やりたことが他にもありました。


それは、「宇都宮餃子」
「カクテル」を味わうこと。
宇都宮は、このふたつがとても有名なんですよ


宇都宮は餃子のお店が
とにかく多いのです。ウワサによると
200件くらいあるらしいですよ。
観光案内所に行くと、
餃子マップも置かれているほどです。


宇都宮といえば…
宇都宮といえば… posted by (C)ルンちゃん
駅前にはこんな像もあります


そして「カクテルの街」ともいわれているので、
「カクテル」もいろんなところで味わえるそうです。
宇都宮に来たからには、これらも味あわないと。


宇都宮の史跡めぐりは、実はがんばれば
1日で全部見終えてしまいます。でも、
あえて2日間にしたのも、夜の宇都宮を
味わいたかったからでした


というわけで、まずは餃子の話から…


餃子のお店はいっぱいありますが、
初めて来た場合はありすぎて
どこへ行けばいいのかわかりません。


餃子マップたよりに、
数件めぐるのも良い方法ではあります。
ですが、史跡めぐりがメインの私達には、
方々をまわる時間はありません。
そこで、駅に近い所から探します。


それで、最初に行ったのは、
「宇都宮餃子館 パセオ店」です。
実は昔、宇都宮に来たときも、
こちらの餃子をいただきました。


気になったのは、12個盛りのお皿です。
一皿に12個のっているのですが、
12種類の味が楽しめるのが特徴です。


「宇都宮餃子館」にて
「宇都宮餃子館」にて posted by (C)ルンちゃん


お昼ごはんでいただきましたが、
Kちゃんが頼んだ後に
「(12個だと)量が多かったかな?」
なんて言って心配していました。でも、
私は食べる気充分だったので、笑って
「大丈夫」と答えましたよ。


普通の味の餃子の他に、
明太子入りやドンコ入りなどがあって、
それぞれに違った味がいただけます。


「これ辛い! 明太子入りだ」「これはドンコだ」
「あっ、チーズが入っている」なんて
味わっている間に食べ終わってしまいました。
もちろんKちゃんも完食です


次の日も帰る前に、餃子をいただきました。
今度は「みんみん」というお店です。
「みんみん」も有名なお店で、本店は
二荒山神社の近くにありますよ。


以前、宇都宮に来たときに本店前を通ったら、
それはそれは長い列ができていましたっけ。
今回は駅前にある「駅東口店」に行きましたが、
やはりすごい列でしたよ。


「そんなに人気のお店なら、並んででも食べるぞ」
と、Kちゃんとふたり長蛇の列に仲間入り。
30分くらい並んだ頃にお店の中に入れました。
その後も列は続いていましたね。


こちらではシンプルに
焼き餃子と水餃子をいただきました。


「みんみん」にて
「みんみん」にて posted by (C)ルンちゃん


「宇都宮餃子館」の時は、
いろいろな味の餃子を楽しみましたが、
「みんみん」の餃子は王道という感じで味一本。
シンプルながら、これまた美味しいですね。


その日は朝食でも、餃子をいただいていました。
ホテルの朝食バイキングでも、餃子が出るのです
これはやはり、宇都宮ならではですかね。
驚くやら嬉しいやらで、
もちろん餃子をいただきましたよ


朝も餃子
朝も餃子 posted by (C)ルンちゃん
朝はレモン牛乳も飲みました


そして夜のカクテルですが、
最初に行こうとしていたお店が、
その日は貸切りのお客さんが入っていて、
行かれずしまい


そのため、道すがら入ったお店へ。(店名忘れた)
本当は「宇都宮カクテル」というものが
飲みたかったのです。


でも「宇都宮カクテル倶楽部」
という組織に加盟しているお店じゃないと
出していないそうで、
今回は残念ながら飲めませんでした。


まあ、カクテル自体はたっぷりいただいたので、
それでも満足です。でも、ごめんなさい。
どれも、写真を撮る前に飲んでしまったので、
カクテルの写真だけはありません^^;


夜はカクテルで乾杯
夜はカクテルで乾杯 posted by (C)ルンちゃん


というわけで、宇都宮の旅を
楽しく終えたわけですが、
新選組の史跡は、まだまだ各方面にあります。
次回はどこになるかわかりませんが、
また計画して訪れたいですね。
もちろん宇都宮もまた行きたいです


久しぶりの宇都宮
久しぶりの宇都宮 posted by (C)ルンちゃん
また来るからね〜♪ 
その時も美味しい餃子とカクテルお願いね〜

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2017年10月16日

その3 宇都宮史跡めぐり 2017


宇都宮史跡巡りの続きです
今回ご紹介するのは赤文字の部分です。

1日目
旧篠原家住宅 → 二荒山神社 → 宇都宮城 →

松ケ峰門付近土塁 → 松ケ峰門 → 光琳寺 →

六道の辻 → 報恩寺 → 一向寺 → 本陣 

2日目
英厳寺 → 下河原門 → 梁瀬橋(やなぜばし)



英厳寺は宇都宮の南側にあります。
こちらは、江戸の中期から宇都宮藩主だった
戸田家の墓所です。


英厳寺
英厳寺 posted by (C)ルンちゃん


戊辰の4月19日の戦いでは、土方歳三率いる
新選組と旧幕府軍がここに放火した際に、
幽閉されていた旧幕府主席老中の
板倉勝静、勝全親子を救出したという
場所でもあります。


といっても、現在は
お寺という名はありますが本堂などはなく、
広い空き地にお墓がいくつかあるのみです。
敷地の入口周辺は住宅地で、この時には
新築物件が数件売り出し中でもありました。


そのため、場所がすごくわかり難くて、
最初は行き過ぎてしまいましたよ
ご近所の方に聞いて、何とか探し出したのです。


亀趺型の墓石
亀趺型の墓石 posted by (C)ルンちゃん


細い入口の通りを抜けて、正面に見えるのは
幕末の宇都宮城当主、戸田忠恕公のお墓です。
彼は慶応4年、つまり宇都宮戦のあった年の
5月に病死したそうです。


当時22歳の若さだったそうですよ。
宇都宮戦での心労も、相当あったでしょうね。


その忠恕公のお墓は、めずらしい
亀趺型の墓石です。


亀趺(キフ)については、以前
会津の容保公の墓参に行った時に、
詳しくお話させていただきました

亀趺について詳しく知りたい場合は、こちらをご覧ください
 → 過去記事 クマと遭遇…か?


亀趺はカメのように見えますが、
カメじゃありません。
龍の6頭の子の中で龍になれなかった
といわれている霊獣です。


亀趺型の墓石はめずらしく、
私が初めて見たのは、島根県の松江でした。
会津の歴代のお殿様方の墓所には、
亀趺に乗せられた碑が置かれていましたよ。


亀趺にはとても興味がありましたので、
ここで再び拝見できてよかったです


さて、英厳寺から東の方角に進むと、
下河原門のあった場所へ至ります。
こちらは4月19日に、田川に架かる
梁瀬橋を渡ってきた土方達旧幕府軍が
通った東門(下河原門)跡です。


下河原門跡
下河原門跡 posted by (C)ルンちゃん


現在は当時の様子がわかるものは
何もないのですが、やはり土方さんらが
通ったと思うと、通らずにはいられません。


そしてすぐそばにあるのが、
こちらの梁瀬橋です。


梁瀬橋
梁瀬橋 posted by (C)ルンちゃん


この梁瀬橋は、土方歳三が
戦場から逃げようとした味方の兵士を
「逃げ出す者はこうだ!」と言って
斬り捨てたといわれている場所です。


後日、土方歳三は日光に勤番で訪れていた
幼馴染の土方勇太郎を呼び出し、
この時の兵士の供養を頼んだのでした。


ここでの戦いも凄まじかったそうですから、
かなりの戦死者が出たことでしょう。
でもこの辺りには、戦死者を弔った場所として
伝わっている場所はないようです。


土方たちの宇都宮での戦いは
この梁瀬橋から始まりました。
ここから宇都宮の中心地に
入っていくわけです。
でも私たちの史跡めぐりは
この地で終わりです。


こうして1泊2日の宇都宮史跡めぐりは
無事終了いたしましたが、私たちは
まだ時間があったので、
この後ふたたび宇都宮城に行ったり、
見学を勧められた教会に行ったりして、
宇都宮の旅を楽しみましたよ。


お城から二荒山神社を臨む
お城から二荒山神社を臨む posted by (C)ルンちゃん


史跡めぐりのお話はここまでですが、
宇都宮には「餃子」や「カクテル」が
ありますので、おまけのお話を次回にさせて
いただきますね


宇都宮城
宇都宮城 posted by (C)ルンちゃん


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2017年10月08日

その2 宇都宮史跡めぐり 2017


前回の続き。
宇都宮に史跡めぐりに行ったお話です。

ちなみに前回の記事はこちら 
  ⇒ 宇都宮史跡めぐり 2017 その1

まずは、今回のコースです。
一部幕末史跡以外の場所もあります。

1日目
旧篠原家住宅 → 二荒山神社 → 宇都宮城 →

松ケ峰門 → 松ケ峰門付近土塁 → 光琳寺 →

六道の辻 → 報恩寺 → 一向寺 → 本陣

 

2日目
英厳寺 → 下河原門 →  梁瀬橋(やなぜばし)


黒文字は前回にご紹介したところです。
今回は赤文字の部分をご紹介しますね


前回お伝えした「松ケ峰門」から、
もっと西へ向かうと、「六道の辻」に至ります。
「辻」というように、道が
いくつかに分かれているのですよ。


「六道の辻」は
宇都宮の中心地に至る入口でもあるので、
宇都宮戦では城を占拠した旧幕府軍と、
その奪回をはかる新政府軍との
激しい戦いが繰り広げられたのです。


その際にはどちらからも
多数の死者が出たそうです。
ですから、数箇所のお寺(場所)に
埋葬地があります。


その一つがこちらの「光琳寺」です。
「光琳寺」には、新選組とも縁の深い
桑名藩士らのお墓がありますよ。
そして、新政府軍だった
因州藩士のお墓もあるのです。


光琳寺
光琳寺 posted by >(C)ルンちゃん


お互い戦って亡くなっているのだから、
同じ場所で眠っていても、いいのでしょう。
長岡藩主・牧野忠敬公夫人の碑文にあるように、
「討つ人も 討たるる人も もろともに
 同じ御国の為と思えば」ですから。


でもこちらにある二つの墓所を見ると、
あきらかに両者の取り扱いの違いに
憤りを感じるのです


かたや鳥居付きの立派な敷地にたたずむ
綺麗に整備されたお墓。
かたや全く普通の、一般の方のお墓と
見まごうような地味なお墓。


別に「派手にしろ」なんてことを
いうつもりではありませんけど、
この格差はあまりというものです。


それならば、全く別のお寺に
埋葬してもらった方がよかったのに…
と思ってしまうのは、私だけでしょうか。


「勝てば官軍」という言葉が、
頭に浮かんできた一瞬でした。
しかし同じ気持をこの後、
すぐに味わうことになるのです。


六道の辻
六道の辻 posted by (C)ルンちゃん



「六道の辻」は、先にお伝えした通り、
宇都宮戦での激戦地です。
「六道の辻」の近くに建てられたこちらは、
旧幕府軍のお墓です。民家の敷地のひと隅に
建てられています。


こちらは、長岡藩士・山本帯刀らから
託された費用(刀類)によって、
宇都宮藩士・戸田三男らが建てた
お墓だそうです。


六道の辻近くの旧幕府軍のお墓
六道の辻近くの旧幕府軍のお墓 posted by (C)ルンちゃん


ちなみに山本帯刀(たてわき)は、
当時、長岡藩家老の山本家の24歳の青年で、
河合継之助の改革にも協力した人です。


戊辰戦争の際には、長岡から逃れて
会津へと入りますが、その会津戦で
濃霧の為孤立し、山本以下30余名は、
敵に生け捕りにされてしまいます。


山本という人物を惜しむ敵方からの
「降伏せよ」との言葉にも、それを拒否し、
明治元年9月9日に斬首されてしまうのでした。


さて話は変わって、「六道の辻」から
少し離れたこちら「報恩寺」には、
今度は新政府軍だった薩摩藩士らの
お墓があります。


報恩寺
報恩寺 posted by (C)ルンちゃん


それがまた一段と立派なものなのです。
ここでまた「勝てば官軍」の言葉が
頭に浮かんだのは、いうまでもありません。


戦死烈士之墓が建てられた
敷地にある灯篭には、あの
「中村半次郎」の名前もありますよ。


新政府軍の墓碑に立ち寄った後に、
幕末関係ではありませんけど、
チョッと立ち寄りたいなと思った場所があったので
そちらに行ってみました。


それは「一向寺」というお寺です。
ここには「汗かき阿弥陀」様が祀られているのです。
この「汗かき阿弥陀」様は、国の危機の時になると
汗をかくのだそうです。


今までにも、何度か汗をかいたそうです。
戊辰戦争の時にもあったそうで、
その時は阿弥陀様の化身が
本堂を覆いその汗によって、火事から
守ったとも云われています。


他にも関東大震災の直前や、
太平洋戦争の前などで
汗をかいていたのを人々は見たそうです。
「この先、汗をかくことがないように」と
祈りつつ、再び史跡めぐりに向かいます。


ここから、今度は北へと進み、
本陣のあったという場所へ。


この本陣跡がわかりにくくて、
気がつけば大通りまで、
出てしまっていました。
それで再び路地に入って、
なんとかそれらしい銀杏をみつけました。

本陣跡地
本陣跡地 posted by (C)ルンちゃん


この銀杏は、徳川将軍が
日光参詣の際に使用した本陣屋敷の庭に
植えられていたものだそうです。


慶応4年4月23日の戦闘の際には、
新政府軍の大山弥助(巌)が、この付近から
「四斤山砲」を据えて、城内にいる
旧幕府軍めがけて、大砲を撃っていたのだとか。


1日目の史跡めぐりはこれで終了です。
本当は1日でも充分、
全部の見学は可能だったのですが、
次の日もあるので、残しておきました。


というわけで、
こちらも残して次回に続きます。

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posted by ルンちゃん at 23:22| Comment(0) | ☆宇都宮(2017) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする