2017年10月08日

その2 宇都宮史跡めぐり 2017


前回の続き。
宇都宮に史跡めぐりに行ったお話です。

ちなみに前回の記事はこちら 
  ⇒ 宇都宮史跡めぐり 2017 その1

まずは、今回のコースです。
一部幕末史跡以外の場所もあります。

1日目
旧篠原家住宅 → 二荒山神社 → 宇都宮城 →

松ケ峰門 → 松ケ峰門付近土塁 → 光琳寺 →

六道の辻 → 報恩寺 → 一向寺 → 本陣

 

2日目
英厳寺 → 下河原門 →  梁瀬橋(やなぜばし)


黒文字は前回にご紹介したところです。
今回は赤文字の部分をご紹介しますね


前回お伝えした「松ケ峰門」から、
もっと西へ向かうと、「六道の辻」に至ります。
「辻」というように、道が
いくつかに分かれているのですよ。


「六道の辻」は
宇都宮の中心地に至る入口でもあるので、
宇都宮戦では城を占拠した旧幕府軍と、
その奪回をはかる新政府軍との
激しい戦いが繰り広げられたのです。


その際にはどちらからも
多数の死者が出たそうです。
ですから、数箇所のお寺(場所)に
埋葬地があります。


その一つがこちらの「光琳寺」です。
「光琳寺」には、新選組とも縁の深い
桑名藩士らのお墓がありますよ。
そして、新政府軍だった
因州藩士のお墓もあるのです。


光琳寺
光琳寺 posted by >(C)ルンちゃん


お互い戦って亡くなっているのだから、
同じ場所で眠っていても、いいのでしょう。
長岡藩主・牧野忠敬公夫人の碑文にあるように、
「討つ人も 討たるる人も もろともに
 同じ御国の為と思えば」ですから。


でもこちらにある二つの墓所を見ると、
あきらかに両者の取り扱いの違いに
憤りを感じるのです


かたや鳥居付きの立派な敷地にたたずむ
綺麗に整備されたお墓。
かたや全く普通の、一般の方のお墓と
見まごうような地味なお墓。


別に「派手にしろ」なんてことを
いうつもりではありませんけど、
この格差はあまりというものです。


それならば、全く別のお寺に
埋葬してもらった方がよかったのに…
と思ってしまうのは、私だけでしょうか。


「勝てば官軍」という言葉が、
頭に浮かんできた一瞬でした。
しかし同じ気持をこの後、
すぐに味わうことになるのです。


六道の辻
六道の辻 posted by (C)ルンちゃん



「六道の辻」は、先にお伝えした通り、
宇都宮戦での激戦地です。
「六道の辻」の近くに建てられたこちらは、
旧幕府軍のお墓です。民家の敷地のひと隅に
建てられています。


こちらは、長岡藩士・山本帯刀らから
託された費用(刀類)によって、
宇都宮藩士・戸田三男らが建てた
お墓だそうです。


六道の辻近くの旧幕府軍のお墓
六道の辻近くの旧幕府軍のお墓 posted by (C)ルンちゃん


ちなみに山本帯刀(たてわき)は、
当時、長岡藩家老の山本家の24歳の青年で、
河合継之助の改革にも協力した人です。


戊辰戦争の際には、長岡から逃れて
会津へと入りますが、その会津戦で
濃霧の為孤立し、山本以下30余名は、
敵に生け捕りにされてしまいます。


山本という人物を惜しむ敵方からの
「降伏せよ」との言葉にも、それを拒否し、
明治元年9月9日に斬首されてしまうのでした。


さて話は変わって、「六道の辻」から
少し離れたこちら「報恩寺」には、
今度は新政府軍だった薩摩藩士らの
お墓があります。


報恩寺
報恩寺 posted by (C)ルンちゃん


それがまた一段と立派なものなのです。
ここでまた「勝てば官軍」の言葉が
頭に浮かんだのは、いうまでもありません。


戦死烈士之墓が建てられた
敷地にある灯篭には、あの
「中村半次郎」の名前もありますよ。


新政府軍の墓碑に立ち寄った後に、
幕末関係ではありませんけど、
チョッと立ち寄りたいなと思った場所があったので
そちらに行ってみました。


それは「一向寺」というお寺です。
ここには「汗かき阿弥陀」様が祀られているのです。
この「汗かき阿弥陀」様は、国の危機の時になると
汗をかくのだそうです。


今までにも、何度か汗をかいたそうです。
戊辰戦争の時にもあったそうで、
その時は阿弥陀様の化身が
本堂を覆いその汗によって、火事から
守ったとも云われています。


他にも関東大震災の直前や、
太平洋戦争の前などで
汗をかいていたのを人々は見たそうです。
「この先、汗をかくことがないように」と
祈りつつ、再び史跡めぐりに向かいます。


ここから、今度は北へと進み、
本陣のあったという場所へ。


この本陣跡がわかりにくくて、
気がつけば大通りまで、
出てしまっていました。
それで再び路地に入って、
なんとかそれらしい銀杏をみつけました。

本陣跡地
本陣跡地 posted by (C)ルンちゃん


この銀杏は、徳川将軍が
日光参詣の際に使用した本陣屋敷の庭に
植えられていたものだそうです。


慶応4年4月23日の戦闘の際には、
新政府軍の大山弥助(巌)が、この付近から
「四斤山砲」を据えて、城内にいる
旧幕府軍めがけて、大砲を撃っていたのだとか。


1日目の史跡めぐりはこれで終了です。
本当は1日でも充分、
全部の見学は可能だったのですが、
次の日もあるので、残しておきました。


というわけで、
こちらも残して次回に続きます。

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posted by ルンちゃん at 23:22| Comment(0) | ☆宇都宮(2017) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする